41 勘所が違う人
Twitterなんかを見ていると「この人はどうも勘所が違うなあ」と思うことがあります。なんかズレている。曲解、というか、たぶんモノの感じ方が根本的に違うのでしょう。
以前、ある子と話をしているときに「あの先生は話がおもしろくない」と言うのでよくよく聴くと、どうもその先生は自分の話しかしないとのこと。でも、自分の話をしているのにまた違うある先生の話はおもしろいというのです。これは興味深い。
もう少し聴くと、前の方はどうも自慢話になるらしく、後の方は自分の失敗談のようでした。たぶんどちらの方も「場を盛り上げよう」としているには違いない。でも、一方は全くウケていない。たぶん生徒が、子どもたちが何を求めているのかに疎いのだと察しがつきます。これはある意味残酷なことで、気が付かない人はおそらくずっと気が付かないままなのだろうと思うわけです。話せば話すほど違和感があり、ムズムズする。きつい。
僕は野球が専門だったので(いまソフトボール部なので過去形です 笑)、中継プレーを例にします。外野からホームまで一直線で、しかも最短距離でつなぎたい。そのときに中継に入るカットマンのところで微妙なズレがあってそこを修正しないと後ろではもっともっと大きなズレになって取り返しがつかなくなるものです。だから中継のときはズレが小さいところで修正するんやで、とよく言ったものです。
ズレは小さいときに修正しないといけない。放置すると後々には大きなズレになる。言わずもがなで、これは何事にも当てはまる話です。
勘所が違う、勘所が悪い人はきっと言われてもわかりません。かく言う僕もいくら言われてもやっぱり直せない悪いクセもあります。
「スキルでないものをセンス。センスでないものをスキル」というのは一橋ビジネススクール教授の楠木健さんの言葉。実にしっくりきます。
たいていのことはスキルでなんとかなるのですが、生徒のこころをしっかり捉えようとなるとスキルではどうにもならないことがあります。僕も何度も失敗し、傷つけ、心の底から謝罪したことがあります。ある部分は僕には全く見えていません。それは言われて気づくもので、同時にそれに気づかず振る舞っていた自分に激しく後悔します。スキルというか経験知、経験値ではなくて経験知によってなんとかできることもありますが、やはり勘所が悪いところは相変わらずあります。
一方で、僕も「なぜこうなってしまうのかな」と他の人のことをひそかに価値付けしてしまうこともあります。明らかに子どもは困っているのに。ズレを修正するタイミングはなかったのだろうか。ズレていると感じないのか。感じても自分の感覚をのみ信じてしまうのか。そこはわかりません。
大人同士でもありますよね。人のことは言えませんが、「杉本さん、あれはダメですよ」と言われたときには素直に受け止めたい。僕もこれから先、どなたかに言うかもしれない。せめて、言ってもらえるような日常でありたいと思います。ただ、曲げたら駄目なところは戦えばいい。それとこれとは違います。そう、こういうところも勘所の違いが顕著に出てくるところかもしれませんね。
スギモト