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「anoyoで恋して」第1話。

気が付くとあたしは「anoyo」にいた。

恋心は死んでからみつけるもの。

あたしはつぶやいた。

彼の青いリブ編みのセーターの背中あたりからは、
細い糸のようなものがくっついて伸びていた。

その細い糸は、てらてらと光っている。

他の人には見えなくて、あの日それにつかまった人にしか
みえないらしい。
 
映像がゆがむ。
脳の中に浮かぶ景色と目の前の像がうまく結べない。
 
ここに来て間もないあたしは、めまいを覚えた。
あたしとラン君が出会ったのは通称「anoyo」だった。

アナザーワールド、「あなわー」とも呼ばれているところ。

まさか20歳そこそこでアナザーワールドのあなわーに
招かれるとは思ってもみなかった。

あほらしいぐらい、短絡的な名前の場所だけど。
あたしなら頼まれても書かないぐらいの逆にシンプルな
ネーミングというやつだった。

怒ってるんじゃなくて。

ここがヘルでもザ・ジゴクであってもあたしにはなんの
かわりはない。

でも来てみたらぜんぜん、もうひとつの世界とか
じゃなかった。

ある日、あたしがここでラン君を見た時。

恋心に目覚めてあたまおかしくなったんだと思った。

あたまはもともとおかしかったけど。

そしてラン君しんでくれてありがとうって思った。

そうじゃなきゃここで会えなかったのだから。

しなないと会えなかったのだから。

その時あたしの背中の羽がぴくついた。

死んでも恋心は残ってるんだと思ったけど。

もとい、そうじゃなくて。

死んだから恋心がフリーズドライのように温かいものを
注がれて生き返ったのだ。

乾燥していた心が熱いお湯を注がれて、ふくよかに
おいしくなった。

それはちゃんちゃらおかしい話で。

恋心が芽生えるのは死んだ者たちの特権らしくて、
他のものたちもここではだれかを好きになってゆく。

生きてるうちに恋していなかった者たちのるつぼのようで、
内心笑った。

現世ではあの頃恋している誰かをみつけることさえ
難しかったから、あたりまえっちやあたりまえだけど。

みんなこんなに死んでから必死ならさ、生きてる時に
必死コケって各々思ってるだろうなって思う。

そんなあたしも思ってるよ。

ここにたどり着いた人間はみんなコスプレみたいな姿で
やってくる。

ラン君は、とにかくチビTが目立っていた。

そこにはなぜかふてくされたプチブル犬が赤い舌覗かせてる
イラストが描かれていて、触れたらその犬は吠えるんじゃない
かって感じの表情をしていた。

鍛えられたラン君の身体のせいで犬の体もムキムキ
ムッキーだった。

あたしは死んだ時デイパックを背負っていた。

真っ赤なうざいデザインのやつだ。

これほんとは好きじゃない。

でも誕プレで継母にもらった。

誕生日プレゼントをかりそめであっても母親にもらうことに
憧れていたからほんの少し嬉しかった。

ほんとうは生きていると嬉しいという感情は邪魔なのに。
ちょっと嬉しかったのだ。

継母のセンスは最悪だけどもっと最悪なのは、これがあたしの
背中から生えてることだ。

もう一生荷物を降ろせないんだってここに来て二時間たった
時に知った。

髪は、ブリーチし損ねたまま。

理想はもっとピンクにしたかった。

家の洗面所で色を抜いた。

地肌をいちど苛め抜いてからじゃないと、いい色にならないって
ことは、都市伝説というか学園伝説のように知れ渡っていた。

行きつけの美容院「ニア路」の松原さんが、アルミホイルで部分
ブリーチのやり方を教えてくれたあの日のままの髪色だ。

その直後にあたしはしんだ。

やらなくてもいいよ。ブリーチは髪がしぬよって松原さんは言う。

うん、知ってる。みんな死んでるもんってあたしが言ったら、
松原さんはみんな死んでるって、そう言葉を繰り返しながら
中腰になって変にウケてくれた。

彼はとんがった美容師さんじゃない。

こんなあたしのことも時々大切にしてくれる。

ちゃんと髪を労わってるんだねって。
撫でてくれる時の松原さんの指のやわらかさは、あたしの心を
撫でてくれたみたいな気持ちになった。

きもちわりぃことを言った時は、こめかみがずきずきするから
無意識にそこに指をやろうとしたら。

あ、ほらぁあぶないよ!

って鋭い声がした。

松原さんがあたしの指を制した。

髪に入れていたハサミをワゴンの上に置いて鏡越しに聞く。
頭痛?
うん、ちょっとね。

いますぐ飲みたい?

ちょっと待ってて。

松原さんから渡された「なろんえー」というイブプロフェンの
入った薬はめちゃくちゃ効いた。

そしてその後あたしはハイになった。

この髪色はキャンディーハイピンクと名づけた。

ここにいるひとたちは、空間の死角になるところで
ハグしたり囁き合ったりしていた。

ハツジョウしてるなって思う。素晴らしきかなハツジョウ。

もう恥ずかしいものなんてないんだなって。

ラン君のこと好きなんだなって人たちはたくさんいた。

目を見ていたらわかるのだけど、そんな彼らはあたしが
その子たちの前に現われると、みんなさっさと消えた。

日和見さんやひなたさんとか、ツキヨミ君とかみんなそうだった。

あたしは経験上びびられたこともない、どっちかっていうと
マウントとられてマウントの佃煮ができるほどの日常だった。

きっとここでも嫌われてる、舐められてるちょろいと
思われてるきっとそうだ。

気休めにあのデイバッグのせいかもしれないと思ってみる。

強くなりなよ、あんたみてたらイラつくんだよってまわりの人間に
何度も言われ続けて。そんなんだったら現世では幸せになれない
よってさんざんこけにされた。

現世にいるのに、現世といいながら説教するやつは嫌いだった。

シャバで言われた時それを言ったやつを殺したくなったけど。
がまんした。

SNSだってずっとやらなかったのは、死にたい人たちの輪の中に
すんなりと入ってしまいそうだったからだ。

でも半年前ぐらいにやりはじめて。
それはまるで死のゲートウェイだった。

しにたいひとたちのるつぼのようなコミュニティにうっかり入って
しまって抜けられなくなっていた。

みんなおはようのかわりに「しにそびれたね」と言う。
おやすみのかわりに「もうしんだわ」という。

慣れっこになっていた。

ださいデイパックのままわたしはすこしだけ飛ぶ。

ここに来たら少しだけ飛べるようになっていた。
こいつ苦手だなって思うと軽く飛んでずらかる。

デイパックの羽は今日も背中にくっついていて、時々
付け根がかゆくなる。

すこし搔いてたらおばさんに声をかけられた。

あなたのそのリュック、素敵ねって。

あ、すみません。ありがとうございます。

あたしは慣れない社交を口角あげて発揮する。

ちょっと見せてくれない?

おばさんに言われて、これえっと取れないんですって
言ったらとてもびっくりされた。

傷つけたんじゃないかと思うくらいザ・鳩が豆鉄砲を
食ったような表情だった。

「あたくしね、夫は身体の自由を奪われていたから、意識も
ふたしかな夫にずっと抱いていた秘密をうちあけてみたことが
あるのよ。」

わ、「anoyo」の告白タイムが始まった。

あたしの話聞いてくださる?

太い小指になぜかピンキーリングだけをした、グレーのスーツを着た
初老のおばさまだった。

おばさまのコスプレはよくわからなかった。

絵にかいたようなどどめ色のスーツを着ていた。

「耳元で私が不貞のざんげしてしているとねあの人、指のあちこちを
ぴくって動かすの。ほんとうはね、ちゃんと聞いてるかもしれないって
思うようになったの。それでもね、打ち明ける時のあの開放感ったら
なかったのよ」

怖い話を聞いた。

でも目の前のおばさんは清々しい顔をしていた。

どうしてここに?

これを聞いた方がいいのかどうか迷った。

それからその話は永遠と続いた、積年の想いという言葉も
はじめて耳にした。

旦那さんに昔の恋を打ち明けられて激怒したおばさんは
逆に心臓をやられて死んでしまったらしい。

じぶんの身体の器のなかを、ひみつや罪でひたひたに
することは、限界があるものなんだろう。

そんな結論にふたりで達した。

抱えきれないなにかをぽろぽろっとこぼしてしまった時、
正直そこにはたしかな体積をたずさえていたのかもしれないって
思うぐらい、そのものじたいの容積が若干軽くなったような
気がするから。

これはあたしの持論だ。

告げるっていう行為はなにか想いを放つと、それが空気に
触れたせつな多少なりの重さが瞬間的に受け止めてくれる
だれかのもとに移動してしまうものなのかもしれないなって思う。

誰かの心よ軽くなれ。

あたしの心も軽くなれって気づくとつぶやいていた。

知らない子が、目の前にいた。

名前はしらない。

あたしは突然デヴィって呼ばれた。

デヴィ。

デヴィルっぽいからデヴィらしい。

そうここでのハンドルネームみたいなものだ。

おまえ誰殺して来たんだよってうれしそうに言う。

だれもころしてねーよっころされたんだよって知らない
そいつに言ったら、つまんねーなって蹴散らかされた。

その子は、首に赤いマフラーがまかれていてそのマフラーの先に
ミサンガみたいなラスタカラーの糸で編まれた鈴が先っぽに
ついていた。

だからその子が歩くと、りんりん鈴がなる。

ちょっとカウベルにも似た音だから、あたしは心の中でリン太って
名づけた。

それは嫌や。

その子の声がそう言った。

この世界は、あたしたちが何か思うとすぐにそばにいる人たちの頭に
転移してゆく。

彼の嫌はそのあだ名は嫌だって言う意味だった。

あたしはなぜか「anoyo」に来てからちょっと元気だ。

死んでから希望がみえたのかもしれない。

なんの希望?

ここに好きな人が居るという希望だ。

またこめかみが痛くなってきた。

娑婆にいたあの日のことを思いだしてる。

いつも継父に虐められていたから、ゴートゥザヘルってののしった。

ただこらしめたい、とりあえず従属系のしがらみから抜け出したかった。

関係にヒビをこしらえて家出するつもりだった。

幼い頃からの継父との関係はだらだらと長すぎていたから。

もっとまともな服を着ろ。

面白い話をしろ。

だれかに可愛いと言われて来い。

あと一品いつも足りない。

料理しながら後片付けしろ。

おまえがせーやって思いながらもまだまだバイトだけでは食べて
行けなくて扶養されている身で、文句も言えなかった。

下手するとそれは、えっとなんだっけスカンジナビアじゃない、
そうそうストックホルム症候群みたいになりそうで、あたしは
怖かったのだ。

ストックホルム症候群。

よくアメリカのドラマなんかで長い間の監禁生活の中で語られる、
なし崩しの現象のことだけど。これはむかし同じ穴の狢の人に
教わった。

監禁された人が監禁している人とのあいだで充足してしまう
おそろしい現象のようなもの。

ある日、あの人の頬をあたしが不意打ちで殴ると、抗い方のバランスが
くるって、継父はうっかりあの世に行ってしまった。

と、思っていたらあの世に行ったのは、まったくもってあたしの
方で。

気が付いたらここの住人なんかになってしまった。

のたうちまわるのかなって思ってたけれど、それはお坊さんを信じすぎ。三途の川や針の山、血の池火責め水攻めはなかったけれど、ここが地獄だよっていう噂が、ここら中にバズっていてただただそれが不安の塊になって押し寄せていた。

バズるって、結局のるか反るかなのだ。

ラン君はこの「anoyo」で娑婆で言うインフルエンサー的人気を誇っていた。

そういうのつまらんやんって顔しながらラン君が気に入っていないのを知っている。

あたしは遠くから見ていた。

つまり、ここに来てみても社会はここにあって。
コミュニティもあった。

ほんとうにそういうことから逃れられないようになっているのだ。

いちど人間に生まれてしまえば。

そして死んでしまっても。

娑婆での名前はカン君と言ったらしい。

ここではラン君。

彼の噂はもうすでにいろいろ流れていた。

噂が流れるということは人気がある証だ。

おそろしく機敏な肉体をもってること。

声がしゃがれてること。

ほとんどがツンでできてるけど時々、デレをイケ散らかしてるところ。

でも女の子に手をだしたことは一度もないらしいこと。

誰かにうっかり殺されたこと。

ここでは、いつかわからないけれど、空からいくつかの糸が垂れてくる
日がある。

いや糸なのかもわからない。

糸のようなものという噂だけはみんな口々に言っていた。

天上あたりからつつつと、何本かの糸が降りてくる日が何年か
一度ある。

それって助けてもらえる日。
生き返ることのできる日。
いわゆるシャバにただいまができる日。

ここにいて間もないものは気がつくと、上を向いている。

今日その日がやってくるかもしれないと、鶴首して待ってるのだ。

マジか。シャバだよ。そんなただいまとかいいたいのか、
みんな。ここ「anoyo」にいるものたちよ。

蜘蛛の糸になぞらえてスパイダーズ・スレッドで
<スパスレの日>、
スパイダーシルクだから通称<スパシルの日>とも
呼ばれてる。

あたしは個人的にはスパシルに一票いれておきたい気分。

スパイダーシルク、女子はなにかというとシルクだからって
継母がよく言って買ってくれたものがある。

パジャマだ。

あたしが死んだ時もシルクのパジャマだった。
薄青い色、ブルームーン、プレミアリーグ、マンCのホームの
ユニフォーム色ですきだった。

だから好きな物は汚されたくなかったのに、最期は継父の鼻から
出た朱色が滲んでみっともないドット模様付きになってしまった。

で、その<スパシルの日>は、かならずいつかはやってくるのだけれど、
ただその日は激戦らしく一本の糸で助かったのは過去のリストを見ても
ほんの数名だって知らされていた。

だからあたしは目指していないのだけど。

地獄の門に入ったものは狭き門を目指して抜けていかな
ければいけない。

とりあえず筋肉は鍛えておけってことだ。

死んでからなんてもっと筋力なくなるんだよ。

筋肉女子系になりたくなったのはいつか継父と戦うときのために、
鍛えてた。

腹筋にスクワット、カモイで懸垂なんてへっちゃらでレッグマジックの
サークル状になってる脚が開脚するタイプとか。
ダンベルばんばん上下させて。そんなのは朝飯前だった。

トレッドミルで走り込んでた。インターバル・トレーニングってやつだ。

軽い負荷じゃたりなくて高速モードでなんども耐えた。
苦しくないはずはないけど。

継父にされたことを思えば耐えられた。

チェストプレスで胸を鍛え。背中鍛えるためにはラットプルダウン。

でも今思うとなんの役にも立たなかった。

ほんとあれはなんだったんだっていうぐらいむなしい。
努力は人を裏切らないってアスリートが言ってたけどあれはうそ。

そしてそれに意味があったのはシャバにいたからだったのに。

簡単に継父にあの世送りされていた。

シャバのことしょっちゅう思い出す未練チックな人はここ
「あなわー」に居続ける。

あるいみそれはあたしだわ。

つまり娑婆には戻れない。これも噂。

しかしここも噂だらけだ。

地上の世界となんらかわらなくて、噂という名の情報で日々なりたっている。

噂が泡の如く生まれては消えてゆく。それは泡の如く生まれては消えてゆくって思うと。あたしの目の前で嘘にまみれた噂は泡につつまれて、マンガのネームみたいに泡になってきえていった。

現世でもこんなふうに目に見えて泡になってくれたらよかったのに。

あんなに鍛えていたあたしも、あっさり継父にやられるぐらいだからあまり今は体力に自信はない。

ラン君とツキヨミくんたちと話していたとき。

戒名は憶えられなくてやっぱりシャバの名前しか知らないって、
ラン君が言う。

戒名あったんだねってみんなでなぜか笑った。
あたし戒名のこと知らない。
どんな名前がつけられたのか知らない。
無縁仏でも戒名はあるのかな。

ツキヨミ君はビルからダイブしたって言ってた。

でもツキヨミ君は、息を吐くように接続詞のように嘘をつくから
きっと死に方だって盛ってるはずだ。

それは地下鉄にダイブの時もあるし、ビルからダイブの時も、學校の
プールの飛び込み台からだっていう時もあった。

ラン君が下の世界で相当悪いことをしてきたらしいことは、風貌と
視線の尖り方でわかった。。

あたしはランくんとできるだけ地獄みたいなここで一緒にいたいだけ。

誰にも邪魔されたくないだけ。

彼とふたりきりになったことがあった。

地上でいうところの屋上みたいなところ。

あの世に行ったのに天井知らずに上がある。

てか、いまいるあたしたちの場所はぜんぶがだたっぴろい屋上
みたいなところだけど。

ラン君が地上でかろうじて学校に行ってた時のこと思い出すんだって
話してくれた。

学校ではなんどもしんでるって言った。

俺らって、ある意味いっつも死んでたやん。
だからあんまし、実感ないんやな。
よくやったやろ。机の上に花とか花瓶を置くやつ。

毎朝おれの机の上には花瓶が置かれてて。
それを教卓の上にもどしてから座るっていうのが毎日の儀式
みたいになってた。

ラン君と同じクラスで、その花瓶を誰よりも早くどけてしまえる
競争があったらあたしが一番だと思うよって心の中で思った。

ここでは誰かがなにかを思い出す時、記憶を語ろうとすると
語りたい人の頭のなかに映像が浮かぶ。

そして心のことが手に取るようにじぶんにも
すこしだけのぞける。

目の前には映画見てるみたいに誰かの記憶が移植されてゆく。

そうやって誰かの記憶は自分の記憶のようになって、忘れたり
残ったりただするだけだ。

自分の記憶のトラウマなんてない。

ここでは消える。

だってそれは誰かの記憶だったからかもしれないから。こういうことを
思うにつけ、時々思う。

あたし死んでみてよかったのかもしれない。

カン君の記憶を今映像に起こしているところだった。

ウェアラブル端末をみてるみたいな感じで。

<字を読んでるとめまいがするんです。>

カン君の声がビジュアルになってゆく。

<黒板の字も教科書も、ぜんぶがゆらゆらっとゆれて意味がつかめない
っていうか。僕、おかしいのかな? っていうかなんかの罰ですか?
罰?そうです罪と罰の罰です。教えてください。>

カン君意外に僕って言ってたんだって。
そのことを隣にいるカン君に話したら、それ俺の記憶と違うでって
言い出した。

じゃあ誰の?
誰の記憶をあたしはみてるの?って言ったら、知らんけど、ご愁傷様って
言って笑った。

コンフュージョントラブルっていうのが時々ある。

ここは人の心がダダ洩れになっているからうっかり誰かの記憶を
キャッチしてしまうのだ。

ここにきて間もない人は。バグなら直せよって必ず言う。

ここにいる他のひとたちが言う。

娑婆ではバグは直されるべきもの。

でもここでのバグはそれこそがエンタメになるのでみんな次の場所にいくまでの楽しみになってるって。

きっとあたしの内心だって、誰かの頭の中に移植されてるのかもしれないけれど。

いちど見始めた記憶は誰にも止められなかった。

ラン君を目で追えるところまで追ったけどいなかった。

スパシルの日に向けて、筋肉鍛えてんだろうなって思った。

コンフュージョントラブルの最中。

あたしの目の前にいたのは、この間入ったばかりの赤坂太郎だった。

ほんとうに無口な男子。

唇と唇が透明な糸で縫い付けられてんじゃないかって言うぐらいに
無口だから、ほかの子たちがミッフィーちゃんって名づけた。

それに彼の耳元には、イヤーマフが被されている
死んだときミッフィーちゃんはたぶんイヤーマフを耳にあてたまま
死んでしまったのだと思う。

ミッフィーちゃんは、いつも焦点のあわないような黄昏た目をしている。

瞳の中に青空が映りこんでいるような青い虹彩を持っていた。
なんとかビームとかでないの? って意地悪な「あなわー」監督官に
馬鹿にされてる。

内心あたしはミッフィーちゃんと呼んではいても、あんな監督官なんか
いつか殺しちゃえって思いながら彼にエールを贈ってる。

こんな世界でもまだマウントとるやつはいるんだ。

マウントのミルフィーユだと食レポの誰かみたいなことを思ってみる。

どしたのミッフィーちゃん?

それ、樹木栞さんのそれ、ぼくの。

は?

てか、樹木栞ってあたしの娑婆の名前じゃん。
なんで知ってんだよ。こえ~よ。

ここについたときのハンドルネーム、嫌だけど「デビル」ってのが
あるんだからそっちを呼んでよってミッフィーちゃんにツッコんだ。

なに?

だから樹木さんのみている映像はぼくの記憶。

そういう声だけがした。
そうなんだ、ミッフィーちゃんの記憶だったのかあたしが見てたのは。
で、それちょっと長いよって言った。

あたしはびっくりした。それちょっと長いよっていう映像のシャクの話じゃなくて。ミッフィーちゃん喋ってるやんって、彼の唇あたりに透明な糸の名残がないか見ていた。

ない。

そんな声が目の前でする。

あたしの脳内にミッフィーちゃんの声が先回りして
届いたせいだ。

ないんか。唇に糸ついてるとおもってたわってあたしは笑った。

樹木さんにならしゃべれる。

そんなふうに彼はつづけた。

そりゃおおきに。でも好きになんないでね。あたし好きな人おるから。

声をださずにミッフィーちゃんが笑う。
知ってるよって言う。
ラン君だよね。

図星やった。

途中で途切れていたミッフィーちゃんの映像がまた脳内で再生されていた。

<え? 罪と罰? リフレインした後、スルーされた。それっていつ頃からかな?東山先生は、じっと僕の目を見て待っていた。

いつからってだから、アルハンブラ三宅君が、あっちの世界に行ってしまってから。彼が使っていた机の上に、花瓶が置かれて、しばらくしたら花瓶の中のガーベラの花びらが色あせた頃、その花瓶がいつしか亀にしかみえなくなってから。亀は僕にしか見えないことを教えてくれたのはデボラ山口さんだった>

ちょい待って、デボラ山口さんって誰?

ミッフィーちゃんに訊ねた。
うまく説明できないって、あの転校生って言うと閉じてる口をまたぎゅっと閉じた。

さっきラン君が言っていた机の上の花瓶と重なって切なかった。

待っていてもらちが明かないから、あたしはまた映像に戻った。

<赤坂君もあれが亀に見えるんだねって、東山先生が放してくる。
びっくりした。正直すぎると命取りになる世界に生きてる僕たちだから。アルハンブラ君がいじめられていることを僕は知らなかった。いつも帰り道は彼といっしょだったのに何かしらのサインを送っていたかもしれないのに気づいてあげられなくて>

これは赤坂太郎の全部こころの声だ。

ミッフィーちゃんこと太郎の物語をあたしの頭はリフレインし続けた。

この後デキコンだった両親が、適当に名前をつけたことを悔やむミッフィーちゃんがいた。

そして赤坂なのに太郎という名前からよく浦島って言われたらしい。

おまけに桃っていうやつもいた。

子供ってやつは、どうしようもない。

ほとんど授業中から休み時間までほぼクラス全員からシカトされまくって無口でいることも平気になって。そうこうしているうちに、デボラ山口さんもアルハンブラ君と同じ道、あの世を選んでしまった。

そしてあたしがぼんやりしていたせいで映像は早送りされてしまい。

習い始めたチェロでバッハの<無伴奏チェロ組曲第一番>を海辺で弾いていたら、雲行きがあやしくなって雷に打たれて、闇の中の住人になってしまうという河野さんという人が登場していた。

誰のことかさっぱりわからなかったけど。

それはミッフィーちゃんがよく読んでいた小説の主人公らしかった。

ミッフィーちゃんの思考回路はちょっとめんどくさい。

そこから彼、赤坂太郎つまりミッフィーちゃんが海をみていたいつかの映像がいつまでも続く。

ひかる波が、ぽつりぽつりと頭の中を巡っている。
そして耳に不穏な声が入り込んでくる。
ひたすらミッフィーちゃんがイヤーマフのもふもふの上から耳を抑えていた。

みんなここにおるもんはいじめられてなかったもんなんておれへん。
いつやったからラン君が言ってたことだ。

こうやっていじめられた人間の話を聞くたびに、娑婆ではこんなことごまんもあったのにあたしはそのどれにもまともに聞いてあげる人間じゃなかったことを思い出すのだ。

そこで映像がバグった。

ミッフィーちゃんがわけのわからない<亀と走る男>になっていて、
ハッシュタグをつけてSNSにアップされていたことを知ったシーンが
描かれていた。

あたしはこのツイート知ってる、知りすぎていた。

#亀と走る男 がしばらくトレンドワードになったことがあった。

殆どの人にはこの亀はみえない。

でも深く闇を知っている人にだけは見えるから、闇度心理テストに利用されたりしていたことまであった。

でもあたしには亀が見えた。

RTには見えないもの見えちゃう系? って笑われていた画像が映ってたけど。

アイコンは棚白唯華の偽アイコンのアカウントのやつだった。

正直に言う。
あのハッシュタグをつけたのは実はあたしだ。
あたしには見えていたから、あたし見えてるよその亀って見知らぬ彼に声を送りたかったのだ。


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