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省エネ人間

自分はこれまで「どれだけ努力しなくていいか」と「親にどう思われるか」を判断軸に人生を歩んできた。

前者は自分の怠惰な性格によるもので、後者は何かと口を突っ込みがち(中学生だった頃まで)な家庭環境が影響している。

大学生になって他の学生とは交われなかったが、人より色とりどりな環境に身を置いてきた。

そんな中で自分は今まで何をしてきた人なのか、人に聞かれた時に紹介が難しいと思った。


高校受験は田舎の進学校(偏差値は高が知れている)に難なく滑り込め、大学に至っては指定校推薦を使えた。

何の気なしに私大を選んでしまったが為に始めたアルバイトは、学生からすれば天国のような職にありつけて出勤もせず身銭が増やせる。

大学では学部内でも1番楽な学科に所属でき、多くの大学生が死にものぐるいになる卒業論文には縛られない。

これが恵まれた状況なのは分かっている。
現に難なく卒業できそうな見込みであり、学業が薄いために就職活動にも多くの時間を割くことができた。

でもあまり生きた心地はしていない。
何にも打ち込まず大した趣味や特技のない自分の無個性さに磨きがかかっただけで、過去を振り返るだけで自信が無くなる気がする。


自分が感じているこの虚しい気持ちはきっと、もっと前から感じていたことなはず。

二回目の転勤があったタイミングで部活動をやめたし、都会者として扱われたことで疎外感を感じてしまい学校に馴染めない時間が長かった。

そのあたりから自分と他人の比較をする傾向か強まりだし、自身の無さが膨れ上がって無気力省エネ人間の土台が完成。

自分がしてきた努力量に対して得ている結果はいい出来と言ってくれる人もいたが、努力した実感が伴わないために他人の人生を座って見させられているかのような感覚。

この感じはいつになったら抜け出せるだろう。ひょっとしてもう無理なのかとも思うし、もやもやする。

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