楽しいから頑張れる。フォトライターが撮影だけの仕事を増やしたくなった理由。
仕事の依頼は写真、文章、もしくは両方の依頼がやってくる。
最近、今後ボリュームが出る案件があり、撮影も文章もとなるとスピード的に懸念が出ていた。
それで依頼者との打ち合わせで
「ご依頼に支障がなく、かつインタビュイーがOKならオンラインで他のライターさんに取材してもらって、写真だけ現地で自分が撮影と、分業することはできます。それならスピードが上がります」
「文章が先にできていれば、どんな写真が必要かが分かるので、よりフィットする写真も撮りやすいから撮り直しも少ないです」
という話をした。
「なるほど、ならばそれでもいいですよ」と言われた。
自分で言っておいてなんだが「…いいの?」と思った。
いや、依頼主様が「いい」と仰るんだから「いい」んだろうけど。
本音をいえば、撮るのは好きだから嬉しい。
これぞ「人」だと思うシーンを、公私関係なくもっと撮りたいと思う。
(取材は「人」がメイン)
尊敬する写真家、土門拳が残した言葉
恐れ多くも土門拳の言葉を借りるなら、被写体が何であれ、「人間」を感じさせるシーンを撮っていたいのかもしれない。
先日、製造業の現場に行った時も、働く人を撮るのがとても楽しかった。
プライベートでは難しい場や、出会えなかったであろう人たちに出会えて撮れるというのも気持ちが上がる。
写真がそんなに楽しいなら文章はといえば、このようにプライベートでnoteを綴っているぐらいなわけだから、嫌いではない。
が、仕事でどちらか選んでもいいよと言われたら、自分は「写真」だった。
文章も写真も、技術に自信があるわけでなし、自分に足りないことばかりと思うことはあっても、より楽しいほうはどちらかといえばの話。
楽しいから、困難な状況であっても、もっとやりたいと思う。
消耗しにくいから、数だって今よりはこなせるかもしれない。
それでも「いい大人なのに、撮影だけしたいなんて我儘言っていいのだろうか…」と、躊躇したが、「ここがターニングポイントだ」と今までにない強い実感があった。
意を決して「オンラインインタビューが可能なら、自分は写真だけが…イイです」と伝えてみた。
そこでそれを言ったからといって、すぐに何かが変わるわけではないかもしれない。
写真か文章か、両方かは、案件によりけりだろう。
ただ「写真だけの依頼も歓迎」「もっと撮りたい」と表明しておくことは、これからの自分と、4月から始めた古民家図書館の先行きにとっても大切なことのように思ったので、noteでもしたためてみた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?