潜在意識は書き換えできるのか
潜在意識系の情報発信の方の中には、潜在意識を書き換えるってことを言う人もいるんだろうが、
そもそも潜在している、いわゆる無意識のものを、人間がどうこうするというのが、概念的におかしな気もする
潜在意識に気づくならわかる
ただ書き換えという言葉がつまり潜在意識の一部分に気が付いてそれを顕在化する私の認識の部分を更新するという意味で言っているのだと思うので、それを勘違いして潜在意識そのものを全て把握できるような感覚を得てしまうことは問題なのでいわゆる行間を考えないといけない
潜在意識はいわゆる不可知のままで、少しづつ感じられる把握できるという形にしないと、いつのまにやら
それは私が思っている潜在意識、という形になる
それが何の問題になるのかはまた触れるとして
潜在意識というものはそもそも計り知れない部分が多いため
本来のところ認識として、不確かであればあるほど、
深い部分に辿れるというのも、ある意味わかる話ではある
そもそも潜在意識はもちろん完全に把握もできないもの
潜在意識は確かに無意識とは違って捉えれる意識ではあるがそれを全て把握したりそもそも書き換えを意図的に全てするというようなことは不可能だといっていいだろう
無意識という深い部分の上に存在しているが人が自覚できない無自覚な部分が潜在意識であるがある意味自覚もできなくはない部分にはなる
自覚される顕在意識ということに用語としてはなるのだろうが
問題はこの潜在意識を書き換えるということはアプローチとして
人が主体となって更新することになりいわゆる潜在意識そのものを操れるということになってしまう
もはやそうなると潜在意識ではないので
厳密にいうと潜在意識を認識する私達の認知や知識を更新するということになるのだろう
この一つ後ろに下がったことがなぜ重要かというと
いわゆる量子論的観測で見たと思ったらすでに私達の主観の作用がでてきてしまい、純粋な潜在意識というものではなく一つの枠を作ったものをみてしまうことになるので
それは深く潜在意識とか無意識に繋がることを阻害する壁になることがあるからだ
潜在意識ということなので最終的にいつまでも潜在している部分がないといけないそういう付き合い方は重要なのである
恐怖的な世界の終わりやら何かを想定するのは不十分
そもそも潜在意識が何のために有益かというと恐怖にあおられてしなければならない的なものであるかもしれないが
それは最初の一段階であるはずだ
顕在意識のままいてはならない、切羽つまったところにいるから、より精神の深部である潜在意識を、
意識しないと危機感があるということで、しなければならい恐怖的な側面はあるのだが
ある程度潜在意識を理解できたなら、いつまでもこの危機感の中にいては、潜在意識の深部を辿ることは
常に危機になってしまい、何かそこに幸福感もないのである
確かに人が何かしらの状態異常によって、この潜在意識とはかけ離れた生活をしているにしてもである
人たち到達をある程度できたら、危機というよりそこに滞在する安らかな気持ちが必要で
そもそも人が潜在意識を本来捉えられないのであるから
それにそもそもあなたがどういう行動をしようと潜在意識がそこから離れることもない
なので危機的なものは到達するまでに必要な意識でしかなく
潜在意識そのものを把握ではなく単に意識できたあとはそこに危機があるのは逆に過剰に潜在意識と付き合うことになる
潜在意識を正しく触れるためには
恐怖ではなくて危機ではなくて
親和力だと思う
それはそのまま受け入れるということ
私の存在と思っていた顕在意識より何か深いものがあると
ただ受け入れることだけでいいんだと思う
そうしないと見えるのは危機的に立ち向かう潜在意識でしかなくなる
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