外国人の血が少し流れちょっと違った精神性があるけど日本人な僕からみた日本の変なところ
哲学に出会うまでは私は自分は変った人だと思っていた
いわゆる世間体とか気にしないわけではないが、それだけが世界の全てでないと思っていたし、
合理的でないことが多い日本の社会や正義という概念が何か空虚な日本は、とても居心地悪かったのだが
留学したことで私はかなり得をしてそして自分の何かを理解したようになった
私が変わったのは自分の考えが、アメリカでは当たり前な価値観であって
衝撃的だったのはそんな当たり前のことを、今更なんで声をあげていっているんだということ
つまり日本である種、異端的といっていいか、何か相いれないものが他国にはあってそれがある種全く無視されていて、意識されていない領域となっているようだということ
そして一番の衝撃はそれを意識できたとしても
でそれで
と実は他国ではその次の事は当たり前に相当先まで熟考されているということ
意識されていないことは実は、2手3手遅れているということが現実にあるということ
それが何であるのか感覚的には私にはわかるのですが
どうやって説明していいのかわからないでいるのです
それは何か、空気というようなものの圧力ということに、似ているものがあるようで、その正体が私もそうですが、きっと皆さんもわからないのだと思います
なのでそれが何なのか考えていきたいと思っている
人物やモノなどの偶像崇拝
日本と外国の文化得に西洋との比較で驚くことはいろいろあるのですが一つにはアイドルの存在です
もちろん他の国もアイドルが好きな層はいますがそれでもそれは部分的であり特に世俗文化でのアイドルにおいては海外では若者だけに限られることが常識となっているように感じます
一部熱狂的な人はいなくはないです
これは文化の中に宗教的要素があってキリスト教が影響を及ぼしている西洋社会は偶像崇拝についてタブーの概念があるせいだとは思いますが
あと成長した精神は自分意外の人形の他者を崇拝してそれに群がり留まるということからは卒業すべきだという考えもあるのです
これは哲学的な考えるという力を重要視するために起こる文化的な違いだとは思いますが
実にアジアは西洋哲学的なものが嫌われるということをいって日本もそのアジアの一員だと思いこむというような風潮がもしまだあるならそれは考え直した方がいいでしょう
アジアの中にもキリスト教の国もたくさんあり、共産圏はそもそも哲学と思想から逃れることはありません
また仏教的なものに影響を受けている国もかなりあります
正直日本だけがある意味何もない空白な感じさえするのです
周りの90%以上がもしそうなら何もないことはわからないかもしれません
その恐ろしさがあるのですが
この偶像崇拝をやめることが今のところ日本ではかなり難しいと思います
ことにメディアがそれに対して批判的ではないからです
理性的なものの代表であるメディアがそうであるなら
一般の人は壊滅的だとは思います
偶像崇拝の意味
もちろん全ての人が偶像崇拝者であるということが日本の現状ではありませんがそうでない人はかなり少なさそうです
体感では10%もいないかなと思います
偶像崇拝を禁止しているキリスト教の信徒は日本では1%
意外かもしれないがイスラム教徒も偶像は崇拝しないものであり、ユダヤ教ももちろん偶像禁止ではあるので
自然崇拝とか何か人物崇拝というのはどうしても逃れられない部分はあるしにしても基本NGな概念はそういう意味で世界のほとんどの部分で意識されているといってもいいが
これが日本では意識されていない
理由は簡単だろうが雨ごいの儀式などの現代の日本でも多くの人は生活の安定とかに幸福のベクトルを持つ傾向が強く
正しさや意味などにベクトルを合わすことはしないわけではないがどうもこの生活の安定つまり西洋的にいうとご利益的なものを求めていく傾向が現代の科学技術が発展した中でも古を同じく息づいている
それが偶像を生みやすい風土なのだと思われるのだ
そもそも偶像とは何かそれの方が実は意味があるのだと思う
しかしこれがなかなか表現するとなると難しく
偶像というのは西洋的にいうなら人が刻んだものということになりつまり神という崇高な存在から来ないで人が何かする場合に表象される言葉というところがあるのだが
もしそれならこの世は偶像だらけになってしまい西洋でも偶像たたくさんある
しかしながら日本と西洋の違いが何かというとそれは人は偶像から逃れられない罪深き存在であるとしてもそれから解放されるべく努めることを忘れることはするしないという違いだと思う
西洋や他の国はそういう意味で止まっていない文化で人の存在や意味というものを追求していく点が日本にはない特徴になっている
偶像から解放されるためには
それは簡単である
ある意味単純な方法ではあるが一端日本的なものを全て捨て去って日本の常識や価値観で考えないことをしてみること
自分の発想の根源を考えてみて問いただし
それを否定しながら一体何が残るのか
そういう体験をしてみるのがおすすめである
もちろん余りしすぎると精神崩壊など起こすかもしれないがこれは一時的に将来自分というものをどうとらえるかの試みの一つとしてするものであって
もといた場所にもちろんかえってきていいのである
私はそうはしなかったがそれは西洋人の血が流れていたのでそもそもが日本的なものが元居た場所の全てではないので精神崩壊など起こすはずもなく逆に自分の本来の姿がわかって安心したのだが
これは確かに一度にやりすぎるのは禁物だとは思う
けれどこの価値の放棄と多文化への追従によって日本の何がいいのかもわかるしことに何が足りないのかもわかるのである
私はそういう体験を大学生の間にぜひできたらしてもらいたいと思うのだ
空気を読むだけの人生ではきっと解決できない見えてこない世界もあるのだろうから
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