普通に考えてニュースは記者の価値観でしかない ならば…
ニュースは社会人などにおいてある意味、社会常識などという既成概念が勿論あるし、それは偽りでもない
その反面、ニュースは書いた人の意見を除いて客観的にすることもできやしないことも事実である
ある意味それは特殊な状況での情報を得ることができる記者が切り取ると整合性があると思った情報をつなぎ合わせたものにならざる負えない
私達はしかしながら、自分でその情報を追うことができないから、それを参考するしかないのも事実である
このどうにもならないジレンマを超えて、ニュースからより確かな現実をとらえるにはどうすればいいのか
それについて考えてみた
記者の価値から抜け出せないしそもそも先端の情報は受けられないからならば
まずは記者の価値観の乱舞がニュースや情報メディアだと割り切って考えてしまうしかそもそもできやしないので
それをどうのこうの批判するのは情報の現状ということではなくて、本当は価値観の部分ではないとということ
それを考えてみてもいいのではないかと思うのです
価値観というと難しいところがあるように思えるのですが
それは価値について自分でしっかり考えていないからで慣れればそれは自然と身につくものです
漫然として聞いているよりこの方が建設的でまた考える力もつくのでいいことずくめなのですが問題は価値観を深めたり鋭くしたりしても、そこにさらに付加されるべき善悪観ということには注意が必要ですが
それは入り口での話ではありません
SNSの民主化は情報の民主化ではない
民主化という言葉がはやっているようだがSNSは情報の民主化と一見すると思えるのだが情報そのものはそもそも発信した人の恣意的な解釈がどうしても不随するものです
また自由に情報が流れることで出元やまたそれが何次の情報なのかもわからないということもあります
それは情報や知識を基にだけするからそうなる可能性が高いだけなのです
情報や知識などは発信した人の価値から再構成されて発信されるというのは仕組み上どうにもならないことなので
本来民主化として注目するのは価値観の民主化ということです
民主化というの単に自由に何でもできるということだけではもちろんないのですがそれについてはまた機会があったときに触れることにします
それを踏まえて私達は価値を自由化民主化することに注意しないといけないのです
価値をどうやって判断するのか
いろいろありますが簡単な方法論としては情報が何であれ
価値には楽観的、悲観的なものがあります
どちらを選択されているのかまずそれを考えるのが重要でしょう
楽観的な記事なら逆の立場を想定してみてその情報がどうなるのかということを考えてみるとまた情報の本質も見えてくることでしょう
よくよくみると楽観的なニュースが少ないことに気が付くと思います
もちろん現実に悲観的なことが多いのかもしれませんがそれらのニュースを楽観的な視点で書き直してみるとどうなるのか
そもそも人の心はかなり揺れ動くものですからニュースの当事者も悲観的に報じられているのは一部を切り取られただけかもしれませんし
それに時間ともに楽観的な立場に変わっている場合もあるでしょう
この作業をしていくことで全部の記事かというわけにはいきませんが
そもそもニュースの記者が何に注目しているのかある程度推測できるわけです
※日経平均が500円下がったとかの記事などはどちらに立場でも事実は変りません
例えばこの記事ですが
単にそういうことがあるのか大変だと思ってしまったら
それで価値については何も触れないことになります
この記事は
…遊覧船事業に暗雲
…国と旅行協会が安全対策について議論を進める
この2点などについていわゆる悲観的な見方となっている
それで最初の部分はそもそも影響が起きないわけはないのである程度仕方ないことだろうがそれでもなぜ悲観的なのかと考えると
遊覧船すべてが同じことになるとは限らないということ、そもそもそういう事故はそうした状況下ならさけることはできないリスク要因として知床の事故以前でも以後で同じくある
その意味で悲観的には捉えているがこれについては普通に考えてそれがゆえにずーっと遊覧船が使われなくなることはないはずであるという楽観的な立場もある
その反対の立場を考えるとそもそもキャンセルは全ての修学旅行客においておこなれているわけでもないと推定できる
というのもそれについては触れられていないからだ
では二つ目について同じくみれるものだ
そもそも議論を今までまるでしていなかったのにあたかも不足のような前提で描かれている悲観的な立場になっている
確かに事故があったことで議論がより慎重に精密になることはあるだろうしかしこのことだけをとると国とその協会やらが手抜きをしていて怪しからんという結論を持ってしまうかもしれない
それは極端だがこの二つの国と協会にいいイメージを持たないかもしれない
記者がどういうつもりでしたのかはもちろん不明だがそういう組織に対する悲観的な想いをもちやすいためにこの情報を入れてきたのかもしれない
もちろんそれは行き過ぎなければ管理に釘をさすという役割もできるのだろうからそういう意図で書いているのかもしれないが
どちらにせよ悲観的である
印象操作するつもりがなかったとしても私達はなるべく中立な立場でみていくことが必要なのでこれを楽観的に捉えても考えいかないとならない
そもそも自然との関わり合いで人がすべてを管理できないことは誰もが知っている事実ではある
だからこの事故を教訓としてできるだけの施策をしていくという意味合いで国と連動してより一層のという風に捉えれば楽観的になるだろう
もちろんよく読むと記者はどちらかに極端に変更しているわけではどちらの解釈もできるようになるべく中立になるように書かれている
これは大きな組織になればなるほどその発信している情報はそうしようと努力はしているのは基本あるのだが人がやることなのでそもそもどうしてもどちらかに偏向するし、時代の流れや読者獲得のために読者が納得してもらうポジションに寄ることもあるのだろう
どちらにせよ
簡単にこのことだけで価値ということを見出すことはできないにしても
物事の両面として楽観的、悲観的なことを意識するだけでも
ニュースは違って見えてくる
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