現代人の考える世界の基礎は実存主義

実存主義という言葉はあまり聞きなれないかもしれない
今そこにある人が対する現実といってもいいのか
そこに存在があると仮定するものだが

そう一般的に今私達が現実をどうしようこうしようと考える傾向はこの実存主義的な価値観に大きく影響を及ぼされているといっても過言でない

ある意味昔の人は実存を知らずにのんびりと暮らしていたといえなくもないが現代人はこの実存という概念に気が付いてしまった

その起源はそもそも哲学的な発想法にあるわけだが具体的なところでは19世紀ごろから生じた考えといっていい

実際あの悪名高きヒットラーもある種の実存主義者だった

いわゆる政治理念とか政策とかは実存に合わせて作られることが多いため実存主義的な傾向を持つのは仕方ないことではあるが、また思想や正論の類も実存にあったものでないとすでにあるこの哲学の影響で誰も振り向かない傾向にはある

特に日本では理想は理想現実は現実と理想と現実の乖離を意識するため現代において現実というのが実存に置き換えられてしまっているがため多くのものは実存に影響を受け振り回されてしまうそんな傾向はあるのだが

そこで疑問だが

そもそも実存とは何か
またどんな実存があるのか
そして実存でない世界観というものは何なのか

そんなことがあがるだろう

そもそも実存とは何か

端的に答えるとそもそもの実存は上にのべたように現実に向き合ったときに人が存在している場所ということになる
まあ当たり前さほど難しい表現ではないと思われるが二つ目のどんな実存があるのかという点については実は正解が見えてないのが現状だ

そもそもこの現実をこれだと規定するその人の部分が主観的な考察になってしまうため仮説じみた内容があって実存は哲学者の数だけ存在するといってもいい

ただ適当に設定できるというわけではなくこの実存にルールはある

それは根源的な表現をなされていてしかもある種時代や世界が変わろうと買わないものと今考えられるもの

である必要がある

つまり実存というのは今の最高度に考えられる人の存在様相のことといってもいい

蛇足だがハイデッカーは実存は時の前に放り投げられているといっていたり、キルケゴールによっては実存はすなわち絶望に瀕しているといったりほとんどの学者は実存が楽観的になっている希望的でないことが多い

それも不思議な傾向ではあるがここではおいておく

実存ではない世界や存在を見る考えとは

最後の実存でない世界観というのはどういうものだろうか

実はこれは簡単なものでそんな答えなのですかという形になってしまうのだろうが

実存でないものは今人が認識を十分にできないが人の存在にとって重要なものである

言葉にするとどうも絶望的な実存よりこちらの方が希望的なのであるが問題が最初の部分にあるように

今人が認識を十分にできないもの

ということである

つまりわからない理想やわからない楽しみを人は受け入れることがそうたやすくできるわけもなくこういうたぐいのものを喜ぶのは一部の人でしかない

本来それは実存になってもいいし、それに10年後にはそれも実存だと思われたりしているかもしれないが今それを人は意識できないので除外されているのだ

いやそんなものがあるとしても認識が簡単にできないのだからどうしようもない

だから結果的に実存にはいい要素なのだとしても実存に取り込まれないという結果になる

それを客観的にいうならそもそも実存には最高度の幸せな人の存在の意味が内包されることは難しいということも指す

ここに実存主義の限界があるのも事実ではある

しかしながらじゃあどうすればいいのだろうか

理解できないものを探求する意外にもちろん方法はないのだから
心ある人が考えていくしかない

結果的にはそういうことになってしまう

昔から言われているイデアや理想論、ネガティブなものを排除した楽観論や人の認識を超えて感じられる悟性の世界やアプリオリ、啓示、インスピレーションの類など

そういったものの中に実存を超えるもしくは新しい実存を生み出す何かがあると言えるのだが

まあ人がそれを得るのは本当に難しいことで
だから少しづつ何かが見えてきたように時代も文明もこの理想的な姿の実存を求めてきているのだ

これら人の存在をどうとらえるのかで
人が世界がどう見えるのかの根拠ができることにもなるのだがそれらは人が何を認識するのかによって引き出されるものでもある

その意味では人の認識の形や秘密というものは重要な部分になる


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