千姫の菩提を弔う伊勢・寂照寺

気が付かないうちに今年の大河ドラマ、どうする家康の最終回が終わっていました。視聴率的には今一つだったようですが、やはり英傑たちが覇権を競った戦国時代はドラマチックで大河的には外せないのだと思います。

さて、大河ドラマでも悲劇のヒロインとして描かれる千姫(天樹院)の菩提を弔うためのお寺が伊勢市にあることはあまり知られていないかもしれません。
千姫は徳川秀忠の娘、つまり家康の孫で、7歳の時に豊臣秀頼に嫁し、徳川家との抗争にあっても豊臣家のために尽力しました。大坂夏の陣(1615年)の際に大坂城から救出され、その後本多忠刻と再婚。夫に従って伊勢桑名、播磨姫路に住み、夫との死別後は天樹院と号して、江戸城で隠棲し、寛文7年(1666年)に70歳で亡くなりました。

葬儀は江戸・小石川伝通院で知恩院住持の玄誉知鑑により執り行われましたが、知鑑は、生前伊勢神宮を厚く崇敬していた千姫の菩提を弔うため、伊勢(山田)古市にあった栄松山寂照寺を中興して、位牌や遺物をここに移しました。延宝5年(1678年)のことです。

この寂照寺は今も現存しており、伽藍のうち、山門や経蔵(大光明蔵)、金毘羅堂が重要文化財になっています。
宇治・山田は明治維新の際に苛烈な廃仏毀釈が断行されたため、ほとんどの寺院は廃寺となってしまいました。特に徳川家と近かった寂照寺が、明治新政府の弾圧を免れたのは奇跡とも思えますが、その理由についてはまたの機会にご説明します。

寂照寺 山門
寂照寺境内 中央の石像は画僧として高名だった住職の月僊(げっせん)上人

寂照寺があるのは、かつて外宮と内宮を結んだ古市街道の中間地点です。近くには有名な麻吉旅館もあるので、伊勢には何度も観光に来たので何か目新しいところに行きたい、という方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

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