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バタフライマン 第1話 蝶戦士覚醒

人の目の届かぬ暗い地の底で、世にも恐ろしい存在が動き出そうとしていた。その存在は何年も昔、「戦士」たちによって鎮圧され、一部の生き残りが地の底へと逃げた。そして密かに仲間を増やし、今再び、行動を開始しようとしていた。無数の牙が、鉤爪が、針が、触手が、久方ぶりの復活を喜んでいた。そしてこの日、恐怖の一族が人類に牙をむいた。
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 メタモル・シティはこの世界の経済、産業、文化の中心とも言える大都市である。早朝から深夜までこの街が静まることはない。どんなに遅い時間であろうとも必ず人が道を通る。
この日も、仕事を終えた一人の女性が夜道を一人歩いていた。そしてふと、路地裏の方を見た。
「ここから行くと家に近いんだよね。」
 この路地裏は彼女の自宅までの近道になっている。仕事で疲れて早く帰宅したい時、彼女は決まってここを通る。この近辺で働く労働者たちもよくここを近道として使う。しかし、今日は雰囲気がどこかいつもと異なる。女性は昨日までは感じなかったじめっとした不気味な感覚を覚えた。彼女は違和感を感じながらも、路地裏に足を踏み入れた。狭く人通りの少ない道。普段もそこはかとない不気味さを漂わせているものの、今日の雰囲気は明かにそれよりも格段上である。悪寒すら感じるほどだ。
「なんか‥今日は嫌な感じだな‥戻ろうかな。」
 女性は踵を返して元の道にもどろうとした。すると
「ヒョッヒョッヒョ…」
 笑い声がした。甲高く薄ら寒い奇妙な笑い声が。
女性は気のせいだと思って再び歩を進める。しかし、
「ヒョヒョヒョヒョ‥」
 今度ははっきり聞こえた。気のせいではない。
「誰?どこにいるの?」
 変質者かと思った女性はそう叫んだ。すると
「お前の上だよ。」
 という声が聞こえた。上を見ると、何かが建物の壁に張り付いていた。人のようであったが、その体からはいくつもの触手のようなものが出ていた。そして体中に燐光を放つ青い輪のような模様があった。
「ひっ‥」
女性は恐怖を覚えた。
「今行くぞ‥」
 それはそう言うと壁を伝ってこちらに降りてきた。それが動くたびにべちゃべちゃという音がした。女性は無我夢中で逃げだした。
「ヒョーゥ!」
 それは奇声を上げながら壁を伝って追いかけてくる。一瞬それの目が見えた。その瞳孔は横長だった。それが人間ではないことがはっきり分かった。女性は古びた倉庫を見つけ、その中に隠れた。しばらく息をひそめて隠れていると、べちゃべちゃという足音が通り過ぎていった。女性は安堵し、外に出ようとする。しかし、振り向いた瞬間、そこにそれがいた。入ってこられるはずのない倉庫の扉の隙間から頭だけを出していた。髪一本ない尖った頭、ぬるりとした黄色い肌に光る青い輪の紋々、横長の瞳、その下には歯茎をむきだしにした口があった。周りの小さな隙間からも青く光る黄色い触手が入り込んでくる。それは液体のように柔らかい全身を倉庫の中に入れようとしている。それが顔を上げる。そして女性の方を見てこう言った。
「みぃつけた。」

 ある朝、研究室で一人の男が目を覚ました。男の名はカラスマ・ミドリという。彼はメタモル・シティ大学の昆虫学、生物工学の教授で、その道の権威とも呼ばれている。今日も彼は朝早くに家を出て、大学へと向かった。家を出てしばらく進むと、路地裏に人だかりができていた。警察も来ているようで、パトカーが何台か停まっている。路地裏の入り口には何本もの黄色いテープが貼られ、2人の警官が物々しく立っていた。
(何があったんだ?)
 カラスマはそう思いながら大学へと急いだ。

 その翌日、メタモル・シティから少し離れた場所にある豪邸で、ある男が深刻な表情で新聞を読んでいた。その新聞には「メタモル・シティの路地裏で猟奇殺人」という見出しと共にこんな記事が載っていた。
昨日未明、メタモル・シティの路地裏で女性の変死体が発見された。遺体の身元は近隣に住むTさん(28)と見られ、現在警察による捜査が続いている。遺体には体に蛸の吸盤の跡のような傷がいくつも確認され、また、全身から多量のテトロドトキシンが検出された。犯人は異常な嗜好を持っているとみられ‥
「ついにこの時が来た!奴らが‥奴らがよみがえった!」
 男は新聞を置き、机を叩いてそう叫んだ。男の名はカラスマ・キイチという。他でもないミドリの父親だ。
「今すぐに、『繭』を再発足し、戦士たちを結集させねばならん。」
キイチはそう言うと、地下室へと歩いて行った。

その日、ミドリの部屋の電話が鳴った。
「もしもし‥何だ父さんか。何の用だ?」
「今すぐに私の家に来い。大変なことが起きた。昨日、お前の家の近くで殺人事件があっただろう。」
「あぁ。それがどうかしたのか?」
「あれについて話したいことがある。とにかく来てくれ。」
ミドリはすぐに郊外にある実家に向かった。ドアを開けると、父が早速出迎えた。
「早速本題に入るが、あの殺人事件の犯人が誰か分かるか?」
「さぁ…確かに惨い事件だが、おおかたどこぞの変質者じゃないのか?」
「実はあれの犯人は人間ではない‥いや、人間であることをやめた存在といった方がいいかもしれない。」
「それはどういう奴らなんだ?」
「カイジン一族だ…」
「カイ…何だって?」
「ヤツらの起源は遡れば数百年以上も前になる。その時代、ある男が人間に鳥獣魚虫の能力を植え付ける恐るべき禁断の技術を開発した。男はその技術を使って力を欲する人々を改造していった。やがて彼らは徒党を組み、傲慢になり、自らを改人(カイジン)と名乗って奢り高ぶり、普通の人間を見下すようになった。そして殺人、強奪、強姦と悪の限りを尽くした。その当時の私たちカラスマ家の先祖はそれに対抗すべく、虫、魚、鳥、花を模した強化戦闘服を開発した。そして長きに渡って戦い続け、ようやく奴らを絶滅寸前まで追い込んだ。しかし、生き残りが何匹か地下に逃げ、仲間を増やし続け、そして今に至るわけだ。」
「それで、僕にどうしろと?」
「戦うのだ。50年前の私のように。」
「しかし‥いきなり…」
「これは使命だ。お前は戦わなければならん。もし、戦士たちが今立ち上がらなければ、人類は奴らに支配される!そのためにお前にこれを授ける。」
キイチはそういうと、青緑色の蝶の形をしたものを取り出した。
「これは…」
「これが強化服だ。」
「アクセサリーか何かでは‥」
「そう見えるように作ってある。目の前にカイジンが現れた時、これを取り出し、「装身」と一言言えば、強化服に変形する。カイジンが近くにいるとき以外は起動しないようになっている。」
「今思ったんだが‥彼らと話し合いで何とか‥‥」
「お前も考えが甘いな。奴らは人の心をすでに捨てている。力を手に入れて奢り、人々を殺したり、犯したりすることしか考えられなくなった邪悪な半獣だ。奴らは人類を蹂躙し、世界を我が物にしようとしている。お前は血に飢えた獣と対話ができると思うか?」
ミドリは黙って話を聞いていた。。
「そして、お前も気をつけろ。その強化服を私利私欲のために使ったり、人間相手に使ったりはするな。強大な力を誇示し続れば、人はやがて奢り高ぶり、カイジンどもと同等の存在に成り果ててしまう。そのことだけは決して忘れるな。強化服の機能に制限を付けたのもそのためだ。そしてカイジンと戦っていることを人に誇るな。お前は市井の人々のために人知れず戦うのだ。メディアにちやほやされるようなことはあってはならん。」
そしてミドリは何が何だかよく分からないまま父の家を後にした。父の言ったことがまだ信じられず、夢を見ているかのような気分だった。そして帰り道、事件が起きた路地裏が目に入った。もうテープは撤去されており、中に入れる状態になっていた。ミドリは足を踏み入れることにした。もしもカイジンとやらが実在するのなら、今もここに潜伏しているはずだ。
ミドリは何とも言えない不気味な雰囲気が漂う路地裏を歩いて行った。すると、
「ヒョヒョヒョヒョ…」
奇妙な笑い声が聞こえた。ミドリは顔を上げた。
「何だ。今夜は男かぁ。ヒョッヒョッ…」
建物と建物の間の壁に得体のしれない生き物が張り付いていた。体中にいくつもの触手が生え、青い輪のような模様が不気味に光っていた。瞳孔は横長だった。
「お前は…」
「ヒョッヒョッヒョ‥俺はブルーリング。カイジン一族の端くれさ。」
(本当にいたのか…)
「昨日ここで人を殺したのもお前か?」
「その通り。あの女の死に顔は最高だった。ヒョヒョヒョ…」
「お前の目的は何だ?」
「俺は死体が欲しかっただけだ。俺は職人だからなぁ。」
「職人だと?」
「そう。人間の死体はカイジン社会の中じゃあ最高級の芸術品だ。俺も部屋に飾るのが一つ欲しくてな。最高のものを作ったんだが、少し路地裏から離れた隙に、警察に回収されちまった。」
「何を言っているんだ?人の死体を芸術だと?命を何だと思っている!」
「命ィ?そうだ。お前に俺たちカイジンの唯一の法律を教えてやろう。『カイジン以外の命はゴミ同然』っていうやつだ。どんな命も俺たちの好きなようにできるわけだ。最高だろう?」
「ふざけるのも大概にしろ。」
ミドリは意を決して父から託された強化服を取り出した。その刹那、蝶の形をしたそれがまばゆい光を放ち始めた。
「そっ‥それは!」
ブルーリングが動揺する。
「お前が遊び半分で奪ってもいい命など、この世には一つもない!」
ミドリはそう言い放つと、強化服を前にかざした。
「 Papilio maackii。」
強化服から音が鳴った。
「装身!」
 ミドリがそう一言言うと蝶の形をしたそれが5つに分離し、胴体と両手両足の装甲、そして頭部のマスクを形成した。服はメタリックなダークグリーン一色で、頭部のマスクには赤い複眼と触覚、蝶の口吻の意匠がある。背中には巨大なカラスアゲハの羽が生えていた。
(これが戦士の姿か‥)
「お前は『繭』の戦士か!」
 ブルーリングが苛立ったように言う。
「まさか行動を再開していたとは…まぁいい。戦士はまだお前一人だろう。ならばこの俺がこの場でお前を倒し、我らカイジンが世界を掌握する!ヒョーゥ!」
 ブルーリングは壁から飛び降りた。その醜悪な姿が月の光のもとに露わになる。真っ黄色な体に光る青い丸い模様がいくつも浮かび、体のあちこちに吸盤の付いた触手があった。顔は蛸の顔に人間の口がついたようで、唇がなく歯茎がむき出しだった。
「ヒョッヒョッヒョ…さあ何処からでもかかってこい。」
「では、行くぞ!」
 ミドリは拳を振りかざし、ブルーリングに殴りかかった。拳はブルーリングの鳩尾に直撃し、その体は10mほど吹っ飛び、段ボールの山にぶつかった。
「これほどの力が出るとは‥」
 ミドリは少し戸惑っていた。
「この俺を吹き飛ばすとは見上げたやつだ。だがこれはどうかな?」
 ブルーリングは全身の触手をミドリの方に伸ばした。何本もの触手がミドリの方に向かって襲いかかってくる。
ミドリは慌てずに次々と襲いかかってくる触手を避けた。まさしく蝶のような軽やかな動きだった。だが、ブルーリングはなおも触手を伸ばして攻撃してくる。まだこの強化服を着ての動きに慣れていないミドリはやがてブルーリングの猛攻についていくことが出来なくなり、路地裏の壁に追い詰められてしまった。何本もの触手に包囲され、身動きが取れなくなる。
「ヒョーゥ!最早これまでだな。『繭』の戦士よ。」
「まだ私は希望を捨てない!」
 ミドリはそう言うと背中の羽を大きく広げた。その瞬間、ブルーリングの触手が切れ、ミドリは解放された。
「ヒョッ!」
 ブルーリングは一瞬戸惑ったが、すぐに体勢を立て直した。
「触手を切った程度で俺に勝ったつもりか?残念だなぁ。俺の触手は切られたところですぐに再生する。」
 すると、切られたはずの触手がみるみるうちに再生する。
ミドリは慌てずブルーリングの後ろに回り込み、その両脇を掴んだ。そして翼を広げて勢いよく跳躍した。それと同時にミドリは空に舞い上がった。羽は彼の意志通りに羽ばたき、機能している。まるで自分の体の一部であるかのようだ。
「クソッ!離せっ!」
 ブルーリングは触手をミドリの体に巻き付けて攻撃してくる。ミドリは咄嗟にその触手を手刀で断ち切った。
「ヒョ――――ゥ!」
 ブルーリングは上空から真っ逆さまに落ち、街はずれの廃校の屋上に叩きつけられた。
ミドリもそこに着陸する。
「観念しろ。化け物め。」
「誰が貴様ごときに降伏するかぁーっ!」
 ブルーリングは激昂し、何本もの触手をこちらに伸ばしてきた。
「その手は食わん!」
 ミドリは目にも止まらぬ速さの手刀で全ての触手を切断した。ブルーリングはすぐに触手を再生させる。
「ヒョーゥ…男を毒殺するのは好かんが‥お前は特別に俺の毒で死なせてやる!」
 そういうと再び触手を伸ばし、ミドリの後ろに回して、触手の先の嘴のような器官でうなじから猛毒を注入しようとする。しかし、ミドリのうなじに触手が噛みついた瞬間、嘴の方が砕けてしまった。
「何ぃ!」
「ほぅ。こんなに硬いんだな。この服は。」
 ミドリはふと狼狽えるブルーリングの方を見た。すると、赤い複眼を通してブルーリングの胸の辺りに何か光るものを視認した。
(もしや‥あれが弱点か!)
ミドリは脚に力を籠め、地面を踏みしめ、拳をを握りしめて、遠距離からブルーリングの胸めがけて殴りかかった。
「大揚羽正拳突き!」
ミドリは自然とそう叫んでいた。
「ヒョッ…」
 ブルーリングの胸部に衝撃が走る。何かがひび割れるような音がした。そしてブルーリングはふらつきながら膝をついて倒れた。
そして次の瞬間、その体が燃え上がり、爆散した。
「何があったんだ‥」
 ブルーリングがいた場所には灰しか残っていなかった。
「何がともあれ、カイジン一族は本当にいた…こんな化け物を放っておいたら、人類は奴らに支配されてしまう‥」
 ミドリは夜の街を見下ろしながら全ての命のためにこの邪悪な一族と戦っていくことを決意した。
 
 
 
 
 
 
 地下にある空間でモニターのようなものを見て二人の人影が話していた。
「あ~あ。ブルーリングったら負けちゃったよ。弱いなぁ。まぁいいや。嫌いだったし。あのキモオヤジ。」
虹色のレインコートを纏った少女が言った。
「こんなことになるなら、私が最初に行けばよかった…」
縞々のタキシードを着た顔面蒼白の痩せた男がグラスに入った赤い液体を飲み干しながら言った。
「次はあなたが行きますか?レインボートラウト。」
「モスキートが行ってきてよ。あんたなら余裕でしょ。」
少女は水かきの付いた手に並んだ爪を眺めながら言う。
「では、次は私の出番ということで…」
男は地上へと続く階段を登って行った。
                             
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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