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終のすみかの乙女たち「買い物リスト」

「ユニクロじゃだめですか?」
何度この会話をしただろうか。
せめて下着くらいユニクロにしてくれたら。
ヨーカドーもユニクロも変わらないと思うのだが。ヨーカドーは遠い。
しかも今日は三連休の最初の日。店も混んでいるであろう。
よりによって昨日から腰の調子が悪い。
恵介は食器を洗いながらため息をつく。

義母は施設に入る前まで長いこと成城に住んでいた。
義父が亡くなってからもしばらく一人で暮らしていた。
80歳を過ぎても、月に一度は行きつけの美容室へ行き、おしゃれを楽しみ、娘の明子(私の妻)とはデパートへ行くのが何よりも楽しみだった。

施設に入っても、それはしばらく続いた。
外出届を出して、月に一度は車椅子で出かけた。私はもっぱら運転と荷物持ち。
義母は紙袋いっぱいに衣類や化粧品を詰めて施設に帰って行ったが、施設の方で物は増やさないようにと注意を受けた。
それ以来義母は、
「デパートはもういいわ。行くと欲しくなるから」と寂しげに言った。

そこで明子は母親のために買い物ノートを作った。
必要最低限なものをこのノートに書き込んで、明子が買い出しをする。
主に、肌着や菓子、雑誌など、かさばらないものを。
絵が得意だった彼女は、時々絵で欲しい物を描いた。
だんだんとそれは、スケッチブックのようになって行った。

明子が亡くなってしばらくは、買い物ノートに書き込まれることはなかったが、ある日義母がノートは私に差し出して、
「これ、明子に渡して欲しいの」と言った。
私は「え?」と言ったのち、思わず、
「明子はもう……」と言ったのち、義母をみるとハッとしたような表情を浮かべた。
私は、この後は言わない方がいいと感じて、話を逸らした。

部屋を出ると施設長に呼び止められ、事務室に案内された。
「最近の千鶴さんなんですが、少し進行しているようです。なのでケアマネに報告しておきますね。それから近いうち、病院に行かれた方がいいかもしれません」
「そう言えばさっき、妻に渡しておいて欲しいと、まるでまだ生きているかのように言っていました」
そう言う時は、いきなり事実を言わない方がいいと言われた。
施設を後にして私は本屋へ行き、認知症とアルツハイマーの本を買った。

帰宅し、買い物ノートを見る。
細い字で「単三乾電池 2本」とだけ書いてあった。
きっと携帯ラジオの電池が切れたんだろう。
ノートの下の方には、桜の絵が描かれていた。

翌週、単三乾電池を持って面会へ行った。
花屋で買った、桜の花木を持って行ったら、とても喜んだ。
ノートよく登場しているコーヒーキャンディを持って行くと、もっと喜んだ。

それから、義母の買い物ノートが再開した。
以前に比べイラスト少なく簡素なものだが、私にもわかるように詳しく書いてあった。

ヨーカ堂2階 婦人下着売り場
パンツMサイズ 薄いピンク もしくは肌色 2枚
長袖肌着 肌色 1枚

駅前ドラックストア
ヘアートリートメント 育毛剤 

成城石井
カカオ72%チョコレート 二箱
コーヒーキャンディー

週間文春

「ユニクロじゃだめですか?」
「ヨーカ堂のじゃなきゃだめなのよ。やっぱり違うのよ。つけ心地が」
私にはわからないが、そう言うなら仕方がない。
ノートには紫陽花のイラストが添えてある。
花屋で紫陽花は買えただろうか。帰りに寄って帰ろう。

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