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死者論としての『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』#読書の秋2020


1、この本を届けたい想定(潜在)読者


読書感想文は書評もレビューでもない。
この投稿を通じて、私はこの本を評価するつもりもなく、ただ一人の人間として、この本を読んだ感想を述べていきたいと思う。

しかし、私の第一の感想は、この本を多くの人に読んでもらいたいということであった。
であるからには、この本を読んだことのない未来の読者を自分なりに考えて、そこに発信していきたい。

そして、その想定(潜在)読者層は、「近しい人の死に直面したことのある人」だ。

なぜかと言えば、この本は、芸人がキューバに独りで行くという一見特殊な話に見えて、「死との向き合い方」という極めて普遍的なテーマを丁寧に扱っているからである。

この本は、とても簡単に言えば「死への向き合い方」を旅行記というメディアを通じて語っているのである。

これは個人の感想の域を出ないわけであるが、私にはそう読めてしまったのである。

読書感想文を書くにあたり、意図的に「死への向き合い方」の部分以外は削ぎ落して書いていきたいと思った。
しかしながら、その様に書くと、この本の冒頭から終盤までの紀行文はほとんどが削ぎ落されてしまう。

なぜなら、若林さんは、この本の冒頭から終盤までは、キューバに来た「ほんとうの理由」を書いていないからである。

なので、冒頭から終盤までの紀行文部分については、完全に削ぎ落しはしないものの、多くの方に是非読んで頂きたいパンチラインを引用するに留め、終盤の本題の部分に関して紙面を割こうと思う。

2、カバーニャ要塞の野良犬~最後の社会主義国家・キューバ~

冒頭では、若林さんがキューバに行く「理由」が語られる。

家庭教師をつけて、歴史を勉強していた若林さんは、これまで自分自身が感じていた生きづらさの黒幕を、新自由主義に見出す。
常に誰かと比較して生きなければならず、劣等感を抱き続けなければならない地獄。
その地獄は、往々にして新自由主義のせいであり、システムの問題であったと気づく。
では、そんなシステムのない世界では、人々はどう暮らしているのだろうか。それが、冒頭述べられている若林さんのキューバ行きの理由である。

なので、冒頭から終盤にかけては、「資本主義や新自由主義が侵蝕していない世界」や「他者と自分を無理やりに比較しないで済む世界」という観点で文章は綴られる。

革命博物館でチェ・ゲバラの生きざまに触れた際の

ぼくはきっと命を「延ばしている」人間の目をしていて、彼らは命を「使っている」目をしていた。

という文章や

タイトルにもなっているカバーニャ要塞の野良犬を見て

誰かに飼いならされるより自由と貧しさを選んでいた。

という印象的な洞察。

そして、社会主義のキューバに広告がないことをニューヨークと比較した

広告の看板が目に入る。それを見ていると要らないものを持っていなければいけないような気がしてくる。必要ないものも、持っていないと不幸だと言われているような気がぼくはしてしまうのだ。

という文章等、終始、資本主義の日本(やニューヨーク)と社会主義のキューバという二項対立をベースに紀行文は綴られていく。
そして、社会主義の、まさしく「誰かに飼いならされるより自由と貧しさを選んでいた」キューバの人々に、資本主義の人々にはない屈託のなさや、鷹揚さを感じ、憧れを抱くのであった。

終盤まで、長らく資本主義と社会主義の比較を通じて、キューバの紀行文は綴られていくのだが、ruta25に入った段階で、変調する。

なぜなら、ruta25「音叉」とruta26「マレコン通り」では、若林さんがキューバに来た「ほんとうの理由」が語られるからである。
そして、ここがまさしく、私が多くの人に読んでもらいたいと考える部分なのである。

3、マレコン通り~死者との対話~


ruta25「音叉」では、オビスポ通りからマレコン通りに繋がるローカル感漂う路地を抜けるところが描かれる。携帯も持っていない若林さんが、屈託なく笑うキューバの街の人々の中を通り過ぎていく姿がありありと想像できる。

そして、ruta25では突然、もう一人の人物の声が現れ、若林さんはその声の主と対話する。街路の描写の中に、あまりにも自然に埋め込まれた対話は、通常なら異物感を覚えるところだが、すんなりと入ってくる。

「前から聞いてみたかったんだけど……」
「ん?」
スニーカーで踏む度に砂が軋む音が聞こえる。
「……幸せだった?」
「……」
家の玄関先にただ座り込んでいるおばあさん。笑いながら追いかけ合っている姉弟らしき子供。
「……幸せだったのかな?って」
「……」
(中略)
海が近づいているのか、空がだんだん大きくなってきた。広場は少年たちが野球をしている。
「楽しかったなぁ」
「……俺も」

Ruta25では、若林さんが誰と話しているかは全くわからない。


Ruta26で親父さんとの回想が入り、初めてruta25で話していた相手が親父さんであったとわかる。

親父が死んでから、ぼくは悲しみたかった。
でも「俺は物心ついた時から親父はいなかった」とか「37歳まで親父が健全だったなんで幸運じゃないか」と言われると、悲しんではいけない気がした。
東京では。


日本では、「親父の死」を悲しむことすら自意識過剰になってしまう。
生まれた段階で既に父がいなかった人や、幼少期に亡くなってしまった人の方が悲しいのではないかと思ってしまい、日本では「親父の死」すらも、悲しむことができない。そんな世界が嫌で、日本を飛び出してきた。

そして、親父さんが生前行きたがっていたキューバという土地に、誰かに呼びつけられるような気持ちで、若林さんは向かったのである。

亡くなって遠くに行ってしまうかと思っていたが、不思議なことにこの世界は親父が充満している。
現にぼくはこの旅の間ずっと親父と会話していた。
いや、親父が旅立ってからずっとだ。
スピリチュアル嫌いな自分が、こんなことを実感として抱くなんで意外だ。生きている時より死んだ後の方が近くなるなのでことが、あるんだな。


4、「存在しないという仕方で存在する」ということ

ruta25とruta26を読むと、どうしても死について考えてしまう。
そして、人は死について考えるとき、自分自身が直面した近しい人の死の体験に手繰り寄せて考える。
私も、この文章を初めて読んだ時、自分の祖父を想起し、死について考えていた。
そして、文庫本として再読した際にも、私は今年の6月にがんで亡くなった会社の同期を想起し、もう一度死について考えた。

人は死ぬとどこに行くのであろうか。

これは誰にもわからない。
自分勝手な解釈かもしれないが、「どこに行くのかわからない」のであれば、「どこにでもいる」可能性がある。

そして、それはお墓の前かもしれないし、故人がいつも座っていた場所かもしれないし、キューバの街路かもしれない。
しかしながら、人は、どこかで必ず、死者の存在を感じ、対話をする機会に巡り合う。

死とはきっと「存在しないという仕方で存在する」ということだ。

これは、私の好きな内田樹先生の受け売りであるが、
「死者が私のふるまいを見たら、どう思うだろう」という問いが事あるごとに回帰して、そこにいない死者の判断を己の行動の規矩とする人にとって、死者は「存在しないという仕方で存在する」。
それどころか、しばしば死者は「生きている時よりもさらに生きている」のである。

驚くべきことに、私たちは死者を生きている時よりさらに生きている状態にする能力を持ち合わせている。

若林さんは、キューバの街路で確かに「存在しないという仕方で存在する」親父さんに出会い、対話した。
気まぐれな応答ながら、そこにしっかりと対話は成立していた。
「死」という壁を通じて理解を絶した他者となってしまった者と、残された者の邂逅がそこにはあったのである。
私はそのシーンの崇高さ、美しさに強く心を揺さぶられた。

その時、その瞬間に、若林さんの親父さんは、確かにキューバの街路に居たのだ。
若林さんは、まさしく亡くなった親父さんだったらどう思うだろうかという死者の判断を行動の規矩とすることによってキューバに向かい、そして、それによって親父さんを生きている時よりもさらに生きているように感じることが出来たのである。

残された者にとって、近しい人の死は別離ではなく、新たな関係性のスタートである。
そう思えた時、人は近しい人の死を乗り越えられるのであろう。

若林さんは、この本を通じて死者との向き合い方を提示してくれているように思える。
残された者が、死者があたかも存在するかのように聴き耳を立て、死者への感受性を高める時、死者は「生きているときよりも生きている」のである。

私は、この本を再読することを通じて、会社の同期の死を乗り越えられたように思える。
新たな関係性のスタートとして、「存在していないという仕方で存在」している同期を感じることが出来た。

結局、人は死についての体験を多く持ち合わせてない為に、私も例外なく自分自身の死への体験に手繰り寄せて読書感想文を書いてしまったが、やはり、この本を多くの人に読んでもらいたいと切に思う。

生きとし生ける者が必ず直面する近しい人の死に対して、この本は一つの答えを提示し、人々に癒しを与えてくれるからだ。


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