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天気が良すぎて、切ない味がする:トレスのフォーチューン・クッキー

 今日くらいには、仕事が少しだけ落ち着くだろうと見通しを立て、WAKO WORKS OF ARTで開催中のトレスの全世界同時展覧会の予約を入れていたので、午前中に企画書をやっつけて昼ごはん前に家を出た。私の中で六本木は、人が多くて、ちょっと小汚いイメージの街なので、感染リスクを抑えるために、防菌スプレーを全身に撒いて、大きめのマスクを装着。

 思ったよりも街に人はいなくて、とにかく快晴で、ビルの影すら焼き尽くしそうな太陽の光が、ひたすら眩しい正午。

 ギャラリーがいくつか入っているビルの3階で、ガラスの扉越しにも目に飛び込んできたトレスの作品がこちら。

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 Felix Gonzales-Torres, "Untitled"(Fortune Cookie Corner)
 期間中、この《Untitled"(Fortune Cookie Corner)》は同じ作品として世界中に登場します。このプロジェクトは人々が同じ作品を別々の場所で同時に体験することで、いまこの現況の世界におけるコミュニティの重要性や、共感がいかに見えないもの人々を繋ぐのかという事を今一度問いかけるものです。クッキーを持ち帰ることで、作品に触れるという世界共通の体験と、クッキーの占いから抱く個人的な感傷の経験という、公的な行動と私的な経験が同時に生まれます。このような、パブリックとパーソナルの両方を同時に我々に暗示することで、見知らぬ他者への共感を促すアプローチは、ゴンザレス=トレスの生涯を通じた制作活動の場所であり、既存の価値体系が産む社会的な問題を解決しようとする働きかけです。新型ウイルスが様々な世界の変化を引き起こした後に改めてこのプロジェクトとして行うことで、これからの私たちがお互いにどう関わっているのかを問いかけます。

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 仕事場に行かないという毎日は、生活と向き合う毎日でもあります。

 私の場合は、介護を週の半分弱手伝っていることもあり、人間の老いというテーマは非常に脳内占有面積が大きい。次いで、自分の機嫌をどうやったらうまく取れるのかの試行錯誤(相変わらずだな)、よく育つクッカバラの隣でやや成長の止まったアンセリウムの鉢をいつ植え替えるか、コキン鳥を飼ってみたいけれどなかなか心が決まらない、そんな事をクヨクヨ考えながら、いろんな昔のことを思い出してはため息をついたり。

 収まらなさそうなコロナ禍の続く世界でどんな希望を持って生きるのか、みたいに大きな事を言われてしまうと、ウッと詰まってしまうのだけれども。

 「仕事があるから」というよくわからない免罪符の元に、生活の中に生じている全ての問題、心の中に起こっている全ての不具合に蓋をして走り続けてきていたなあと、もう随分昔のことになってしまったコロナ以前の日々を反省しています。

 向き合わずに時間が経つことで、解決してきたこともあるのだろうけど。

 今日は涙が出るほど快晴で、こんなにきれいな空の下にいるのに、きれいだなあとテキスト送る相手もなんだか見つからなくて、いい展示だったよと介護をしている家族にLINEするのも憚られるし、SNSに投稿するのも嫌で、全部しっくりこない感じがして、切ない気持ちのまま一日を終えるのは嫌なので、こうやってnoteを書いてみている。で、結局SNSに投稿するんだけど。でも順番があるのよね。

 祖父の老い、母の老い、毎日それを目の当たりにすると、ひとつひとつの出来事がとても大切でかけがえのない事だと実感できる。老いという、どうしようもない失われていく何かとの引き換えに、手に入れた美しさなのかもしれない。

 ただただ完璧すぎる"美"は、そこからもう崩れていくことしかない、というのは日光東照宮の陽明門の柱を一本上下逆さにした考え方と同じだけど、本当にそうだなあと思いながら、フォーチューン・クッキーを開けてみる。

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