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石位寺 忍阪(おっさか) 白鳳時代の薬師三尊石仏

 奈良県桜井市の東、忍阪(おっさか)にあるお寺です。以前は融通念仏宗でしたが、今はどちらの宗派にも属しておられません。

 小高い丘の上に礼拝堂と集会所と収蔵庫が建っていて、本堂はありません。重要文化財の三尊石仏は収蔵庫の中にお祀りされていました。

 三尊石仏は元々、石位寺より東の山中にあった粟原寺(おおばらでら)の仏様だと言われています。

 石仏と言えば、大分県臼杵(うすき)の石仏の様に、岩に彫られた磨崖仏が思い浮かびますが、石位寺の仏様は厚さ約30センチ、高さ・幅がそれぞれ約1.2メートルのおむすび型の白っぽい石(砂岩或いは安山岩。はっきり分かっていないそうです。)に浮き彫りされています。7〜8世紀頃造られた、日本で一番古い白鳳時代の石仏です。

 お姿は、橘寺や河原寺の裏山から出土した同じ白鳳時代の三尊磚仏(せんぶつ)とそっくりです。

 遠近法を取り入れ、台形に描かれた椅子に腰掛ける薬師如来様が中央に彫られています。頭上には天蓋、足元には蓮華座があります。
 左右には、観音様に似た日光菩薩様、月光菩薩様が合掌をして蓮華座の上に立っておられます。日光菩薩様だけ薬師様と同じ、二重円の頭光が表されていて、左下には薬壺があります。
 そして、三尊とも柔らかに微笑んでおられます。

 2010年までは秘仏だつたようで、江戸時代も本堂の厨子の中に祀られていたそうです。それ以前はよく分からないそうですが、どうやら屋内にあったようで、そのせいでしょうか保存状態が極めて良く、ほとんど欠けた所が有りません。
 
 今年1月から3月、東京国立博物館であった「出雲と大和」展に出展されることになり、初めてお寺を離れられたそうです。それまでは、一度もお寺の外に出られたことは無かったそうです。
 そのせいでしょうか、最近まであまりその存在が知られていなかったようで、私も、展覧会のパンフレットで見て、初めて知りました。
 
 実は、東京国立博物館に行かれる前、10ヶ月間は、奈良の美術院で修理をされていて、そこから東京に行かれたので、この4月に1年振りに寺に戻られたそうです。
 帰ってこられた仏様はほこりが取れて以前より白くなって帰ってこられたそうです。さらに、以前は石の台座に置かれていただけでしたが、今回の修理では、両サイドからステンレス板で仏様を挟み台座に固定したことで耐震性が上がったそうです。

 石位寺にはこの仏様の他には仏様がいません。(実は、大正時代の初めまでは、たくさんの仏様がいらっしゃいました。その仏様は現在、長野県の清水寺[せいすいじ]というお寺に祀られています。)
 なので、御本尊様が東京に行かれていらっしゃらない間、そのお身代わりにと、精密な写真が印刷された布製のタペストリーが作られ、収蔵庫にかけられていたそうです。(このタペストリーは本当に精密で、1ミリ以下の微細な石の凹凸まで実物大で写されていて、本物より良く分かる位で驚きました。)

 ところで、お世話くださった方のお話を聞いて驚いたことがあります。博物館に仏像を貸し出す時は、貸し出すお寺の側が輸送費などの費用を負担することになっていて、お寺さんは赤字なのだそうです。(私はてっきりお寺さんに博物館からお礼が来るものだと思っていました。)お寺には、仏様が有名になるというメリットしかない、とおっしゃられていました。
 
 石位寺のある 忍阪は、万葉集や、国宝の銅鏡にもその名が残る古い地名で、近隣には舒明天皇陵等があり、天皇や皇族の古墳が大変多いところです。

 14年前に住職がいらっしゃらなくなってから、石位寺は忍阪地区の250人で守られています。

 本当に仏様を我が子の様に大切になさっていて、今回の展覧会にも忍阪の方たちで2度も東京に見に行かれたそうです。(東京に就職した我が子が心配で、様子を見に行った親御さんみたいだなぁと、お話を伺っていて思いました。)

 250人の内150人は外から新しく来た人だそうです、新しい人が加わってくれているのでまだマシだけど、夏場だけで3回の草刈りがあり、年6回、お寺の行事が有るので大変ですとおっしゃられていました。

 薬師三尊石仏様は忍阪のシンボルのような仏様です。これからも、忍阪の地で地元の方の絆として、大切に守り伝えられていかれるのだと思いました。

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 拝観の際は、桜井市観光まちづくり課に拝観予約をして下さい。

 お寺の周辺には駐車場がありません。忍阪地区の駐車場が少し離れた所にあります。予め場所をご確認ください。お寺の周辺の道は、Uターンもできない細い路地ですので、ご注意下さい。