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一休禅師の言葉がしみじみ感じた葬儀

昔室町時代に頓智(とんち)で有名な一休禅師がいました。この一休さんの沢山ある逸話の一つに次のような逸話があります。


ある所に豪商のご主人がいました。そのご主人がある時一休さんに「正月の床の間に飾る掛け軸にめでたい言葉を書いてください」。と頼んだそうです。

すると一休さんは、「親死に、子死に、孫が死ぬ」と書かれたそうですね。

するとご主人は、正月のめでたい日に死ぬなど縁起でもないと怒ったそうです。すると一休さんは、「順番に死んでいくことほど幸せなことはないではないか」。と、さとされたそうです。皆様如何でしょうか。


さて、私は以前満104歳で亡くなられた女性の葬儀を担当致しました。そのおばあさんの実のお子さんは皆、おばあちゃんより先に亡くなり、遂には子供たちが皆亡くなってしまったそうです。ですからおばあちゃんの葬儀の喪主は姪っ子の夫が喪主をされました。


 その義理の甥っ子さんからお話を聞いたのですが、生前にそのおばあさんは、この一休禅師の言葉の内容をしみじみと語られ、

「長生きは有難いが、子供たちが私より先に死んで行くのは寂しいものだね」

といわれていたそうです。


 私このお話を聞いた時、お釈迦様のさとられた「縁起」のことが頭に浮かびました。

それはご縁に因って生まれ、ご縁に因って病気になり、ご縁に因って老い、ご縁に因って死んでゆく。ご縁のままでなければどうすることもできない身であり、自分の力ではどうにもならない身をいただいていることです。

それを仏教は「無我」と教えているのです。

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