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見せるパーソナリティと見せないパーソナリティ

就活の自己分析で「何が好きか」「何ができるか」を明確化させることがあると思う。今回は何を見せるか、何を見せないかのお話。

何を呟かないかで人間性が決まる

私はSNSに誰かを傷つけるようなことは書かないとは決めている。しかし、これは表ルールだ。裏ルールも一つだけ。母に文句を言われることは呟かないだ。今まで、1型糖尿病、恋愛観(アセクシャル・アロマンティク)、発達障害(ASD)、履修におすすめの授業、大学の体制の批判、20歳とは思えない言葉遣いの日常ツイートに「消しなさい」と言われたことがある。結果、消したものもあるし消していないものもあるが、母はツイートを消せば黙るのだ

例えば、私は1型糖尿病についてつぶやいたことを良かったと思っている。日本中にいる同じ病気の人たちと血糖値や低糖質食材、1型糖尿病のオンライン啓発イベントの情報交換ができる。流石にもう母には1型糖尿病についてのツイートは許されている。何が悪い。

他にも、私は恋愛に興味なんかないと呟いたときも「本当にいいの?」と聞かれた。生まれつきの縮毛も相まってグシャッとした私の髪を見て「もっと見た目を気にしなさい」と言われることも多い。人として最低限の清潔感には気をつけるが、男ウケのいい髪型にも服にも合わせていこうなんて思わない。


しかし母に頼らなければいけないときもある

例えばバイトや就活の募集要項だ。募集要項の裏の意味を私はわからない。私服だからと言ってラフすぎてはいけないみたいな。背景にある意味を理解するために他人に見せないと、現地に行って面接をしたときに「がっかりさせてしまった」と感じてしまう。


発達障害に向き合うとき

これは私がASD(アスペルガー)なせいだからだと思う。そもそも私はSNSのプロフィールにASDと書いたことはない。ASDについて一度呟いただけで、母にうるさく文句を言われたからだ。フォロワーにはADHDの人もASDの人もいるのに書かないのはもったいないと今は思う。

就活において、1型糖尿病よりもASDの影響のほうが色濃く出てしまっている。ある社会人の方に「障害があると言った方がいいですか?」と相談したことがある。その方は「入社した後のコミュニケーションに関わるから言った方がいい。」と仰った。

ASDと言っても軽度だから努力すればなんとでもなると思っていた。しかし、募集要項を読んだり、ESを書いたり、面接に挑んだりしていくうちに「ただ努力すればどうにかなるものではない」と気づき始めた。瞬時に多面的、客観的、長期的に見る力が弱すぎるようだ。私は他人に怒ることがないので多面的、客観的、長期的に見る力はあると思っていた。しかし、私は怒らないだけで困っていた、苦しんでいた、理解できなかった


私はどんな仕事をするデザイナーになりたいんだろうか

先日、ゼミで卒制で取り組みたいアイディアの発表をした。

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このときに、

1.オリエンタル(宗教)なもの・世界情勢
2.代替食・昆虫食など新しい食材
3.ぶた
4.医療(身体・精神・発達ともに)

に興味があると発表した。

これがそのまま私がデザイナーとしてやりたいことなんじゃないかと友だちに言われた。マニアックな分野ばかりなので仕事を探すのは難しいが、何個かおすすめのサイトを教えてくれた。

そして私がこの4つの分野の仕事をするためには「こんなに好きです!」と伝えられる記録を作らなければならない。YouTuberとかがわかりやすい。


インターネットで傷つく「自由」をください

だから、この私の幼児のような探究心も、一生変わらない障害も全て晒して行こうと思った。母になんと言われようと、文句を言われようと黙らせる。母は私になりえないんだから。

ASDは悪口に気づきにくいと言われている。だから傷つけられても傷はすぐ治る。恐れることはない。

こんなにも世に出していない、または引っ込めた自分がいる。著作権の関係でやめたものもあるが、「混沌とした自分を見せてはいけない」と考えたからだった。

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終わりに

障害がビンゴしないように生きていきます。もう身体と発達の穴は空いているので、精神障害に気をつけます。

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