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人と違うということ

この記事をご覧の皆さま、こんにちは!おぴんきーよ❤ご機嫌はいかが?
最近、新しいパソコンを購入したの❤いままでは「とにかく安く済ませよう!」だけだったのが「自分の商売道具にはちゃんとお金をかけよう!」と思って最新版のパソコンを思い切って買ってみたのよ❤以前のパソコンを使っていてそこまで自分としては困ることはなかったけど、新しいパソコンにしてみたら処理速度が全然早くて「こんなに違うのか!」と実感しているわ❗️
なので今日から新しいパソコンで書いてまーす😁

毎週日曜に投稿している「カマの社説」
今回も1日ズレてしまいましたが9回目となる今回は「人と違うこと」について書いてみようと思うの
最近よく「人との違いを受け入れよう」って話をよく聞くけどさ、自分と相手が違うことってカンタンに受け止められるものじゃないよなって思っていて…
だからこそ自分の言葉で書いてみたいって思ったから書くことにしたの❤
過剰な表現もあるかもしれないから気をつけてね

「人と違うこと」ってアタシにとっては苦痛だった
だって小さい頃から人と比べて生きてきたアタシにとっては人と違うことは喜ばしいことではなく、とても苦しいものだったから

両親が他の家の親より年齢が高いこと
他の家にあるものが自分の家にはないこと
父親も他の家は夜に帰ってきて週末は一緒にお出かけしているのに、ウチの父親は出張ばかりして帰ってきても一緒に遊んでもらうことが少なかったこと
母がお化粧をすると友達の母親と比べて首の上が明らかに白いこと
小さい頃から大人ばかりしかいない家だったから同年代の子と話しても話が合わないこと
人ができることが自分にはできなかったこと
ボール遊びよりもままごとや着せ替え人形で遊ぶことが楽しいと感じていたこと

思い返すときりがないからこの位にしておくけど、とにかく人と違うことが嫌で嫌でしょうがなかったなぁ…
小さい頃はよく「普通の家になりたい」って思っていたものよ

他の家と同じ一戸建ての家に住み
他の家と同じサラリーマンの父親が毎日夜になると帰ってきて
母親も他の家と同じ専業主婦で
他の家と同じように欲しいものは買ってもらえて
他の家と同じように休日は家族みんなで遠出をする

アタシにとって「人と違うこと」の始まりは生活からだったんだなと書きながら思ったわ
そこから自分の存在が他の人と違うことで苦しむようにもなってくるのよね

小学生になって「男と女の違い」を体験するようになってから「自分が他の人と違うこと」がどんどん苦しくなってきた
他の人と違うってことは「異分子」だからいじめられるようにもなったし、自分の身を守るために他の子をいじめたりもした
結局、「学校」というコミュニティーで生きていくためには「他の人と違う存在になることが悪いこと」って思うようになっていったのよね…
でもアタシは良くも悪くも目立つから「他の人と違うこと」が苦しくて苦しくてたまらなかった…
どこにも「それでイイんだよ」って本当に言ってくれる人がいなかったから…

大人になるとますます「人と違うこと」を隠すようになっていった
自分が同性を好きだと自覚したのが18歳でそのまま上京した時に
「人と違うことは悪いことではない」って教えてもらい
実家に帰ってカミングアウトをしたら
「それって自分のことも性的な目で見てるってこと?」
「お風呂に行ったらハーレムってこと?」
そんなことを言われて築いてきた関係が壊れたりとか
自分が就職活動をちゃんとしてこなかったから履歴書の書き方もちゃんとできなくて、勤務態度も良くなかったこともあり職場の人から
「お前は人間としてはどうしようもない人間」
と言われたことで自分が「社会不適合者」だと思って自分を過剰に責めたりとか振り返ると
「人と違うことは悪いこと」
ってルールを作って生きてきた

同性を好きになる自分
オカマみたいな自分
正社員になれない自分
世間的に普通の生活が送れない自分

自分以外すべての人と比べて、自分が他の人と違うことを「お前が悪い」って責めて生きてきたわね
自分でも責めてる上に他の人から責められるくらいなら
「自分はアナタたちより下の人間です」っていう身の守り方もしてきた
それをすればするほど自分の心をボロボロにしていきながらね
ホントのホントにブスしてきたのよアタシw

でも、こんな自分だからこそ伝えたいことがあって今回書いたのよ
それは、

「人との違いを受け入れよう」ではなく
「自分自身に寄り添ってあげよう」てこと

「人と違うこと」って当たり前じゃない
でも「人と違うこと」で苦しむのは当然のことだとも思うの
同じように仕事ををして
同じように恋愛をして
同じように生活をして
同じように生きていて
「同じように」がある限り人は周りと比べてしまうし、なんとなく「人と違うこと」に振り回されるようになってしまうのよ
だからこそ「人と違うこと」に大切なのは「自分に寄り添ってあげること」だと思うの
自分の一番の理解者は「自分自身」だと思うから
どんな自分であったとしても「寄り添い」があると安心できるの
「寄り添ってくれる場所」があるから初めて自分と相手が違うことを受け止められるようになる

アタシ「ブス説法」をしているんだけど、ホントに「自分や他人を責めるブス」って多いのね、アタシ含めてw
でも責める時って「人と違う自分」を評価しているからだと思うの
それくらい「人と違うこと」って「大きな当たり前」なのよ

自分自身も散々「人と違うこと」に振り回されて生きてきたわ
それで何回も自分を責めたし、自分以外の人すべてに嫉妬もしてきた
だからいま「自分自身に寄り添う」ことの大切さも知った
もし「自分自身に寄り添うこと」ができないと思ったら他の人を頼りなさい❤️
他の人を頼ることも「自分自身に寄り添う」意志があるからできることだもん‼️
アタシもオープンチャットをしているけど「寄り添うこと」を大切にして意識しながらみんなのコメントに返信しているのよ

「人と違うこと」=「大きな当たり前」
だからこそ「肯定」でも「否定」でもない
「寄り添う」ってことが必要なんだなって書きながら改めて実感したわ❤

アタシはこれからも「人と違うこと」に寄り添いながら生きていくわよ!
これを読んでくれた人のことも寄り添っていくからヨロシクね❤


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