自己効力感→ドーパミン→オキシトシン?(Web記事もろもろと温かいテクノロジーを読んでいての雑感)

ほぼ日のWhy Camp?という記事、noteのペーパーシュートなるカメラのレビュー記事、「温かいテクノロジー」というLOVOTの開発に関しての本を読んでいて思ったこと。

第3回 私たちのギアはあくまでサポート | Why Camp? どうしてキャンプをするんだろう。 小杉敬さん | 小杉敬 | ほぼ日刊イトイ新聞

家電なりスマホなり、便利なものがあって何でもできちゃうような世の中。
それなのになんでキャンプが流行っている(ように見える)のか?ということが思い浮かんだ。

家電とか使って楽な暮らしとかをするってのは、誰でもできるようにできているから楽ではあるんだが、逆に簡単すぎてつまらないという感覚もあるのかと。
キャンプっていわば、大昔なら生きるための術を、現代でレジャー化したと言える。
楽な暮らしをできる中でキャンプをすると自分で生き抜く力を味わえるわけで、うまくできれば一種の達成感を味わえるのかと。
つまり、自己効力感を味わえると考えられる。
そうすると、上手くできた嬉しさでドーパミンがドパドパ出てきて楽しくなる。
で、その快感が忘れられず、続けていくうちにオキシトシンが出てきて抜け出せなくなるのだろうか?
と、この記事を読んで思った次第で。

【レビュー】話題のカメラ paper shoot〈ペーパーシュート〉とは?【使い方】|たゆうおわ
一眼レフできれいな画像は撮れる。スマホのカメラでもきれいなものは撮れる。便利かつ楽。
でも写ルンですとかこういう簡易的なものだと、上手く撮れたり、撮れなかったりというランダム性と、自分の腕次第で変わる部分がある。
そうすると上手くいったときの自己効力感が味わえる。
結果、ドーパミンドバドバ?になったりするのではなかろうか。

ということを考えたときに、キャンプと構図としては似ているように感じたわけである。

世の中の中毒性のある物事って、自分の力でここまでできるんじゃん!みたいな気づきが生まれることで、ドーパミンが出て、「楽しいー」、という状態が生まれる。
そこから、オキシとシトシンが出始めるとやめられなくなるんじゃないか?という面があるのかもなあと。

そうすると、ドーパミンを出すための行為を行うために必要なツールを使い続けていくうちにオキシトシンが出て、愛着が生まれてくると思われる。
そうであれば、オキシトシンが出る状態を作り出すためのツールとして、ギヤとかって存在価値があるんじゃないか?
というのを、今読んでる温かいテクノロジーと合わせて見ると考えられたわけで。

総中流の人々が飽和してるような時代だからこそ、効率云々よりも、それを使ってどんな愛着のあるストーリーを作り出せるかを伝えたほうが効果的ということが腑に落ちる。思い込みに過ぎないが。

ホルモン的なところから考えてみるのも面白いもんだな。
ネット記事で極端な意見取り上げるのもこういうところに起因してるんだろうなー。
ふーん、くらいにしか思わなから別にいいんだけど。
マニュアルにしたがって書かないといけないんだろうから、御苦労なもんですわ。
まあ、頑張ってくださいや。

今日の駄文はここまで。
サウナも水風呂が冷たすぎるとドーパミンが出るとか。

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