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禅の公案の答え(9)

十牛図

悟った後は悟りを忘れる、というのが正しいのかどうか、ずっと調べておりましたが、どうやら忘れる必要があるようです。
禅の十牛図という、悟りの境涯を表した十枚の絵があります。これは牛を飼い慣らすことを悟りに例えた絵なのですが、その7枚目と8枚目に「忘牛存人」「人牛倶忘」という絵があります。
忘牛存人とは牛(悟り)を忘れて人だけが残る境地、人牛倶忘は牛(悟り)も人もなくなってしまうという世界を表しています。
これが一応、禅的な答えだと私は判断しました。
さて、悟った人が悟りを忘れるとどうなるでしょうか。それは「人生に前向きで親切なただの人」となります。ここにきて私は初めて、何も苦労して悟りを開く必要はないということに気付きました。人生に前向きになるには、必ずしも坐禅でなくて、各々の生き甲斐、子供の成長であったり仕事上の成果を追い求めることで実現出来ます。親切さというのは、もともと人に備わっているものですから、それを表に出せば良いだけのことです。
このことを自信を持って言えるようになるため、私は修行をして来たのだと思いました。そう、こんな当たり前のことのために。
私と同じように厳しい修行を求める方を、私は止めません。ただ、そんなことをしなくても同じ世界には簡単に行けるし、言葉で伝えることも可能なのです。
自分が前向きに生きて、人に親切にすれば、自ずと周りが変わって行きます。これが「布教」に当たるかと思います。
なので仏教を実践する人は、仏様が見ていると信じて、人生に前向きに、人に親切にすれば良いのです。坐禅は気持ちの良いくらいに留めておいて一向に構わないと思います。
そういう気持ちで一つお勤めしてみれば、また新しい自分に気付けるかもしれません。

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