AIの活用法次第で自己実現を目指せる

私が小学生の頃、知らない漢字があれば部首を確認して、国語辞典の巻末の索引を調べていました。部首もわからない時は、画数を確認して索引で調べていたものです。
とても時間がかかり、ずぼらな僕としては勉強嫌いになった一因が、その手間だったように思います。

今はというと、読み方がわからない漢字があれば、IMEの手書き入力パッドを使うと、あら不思議、あっという間に漢字が表れ、読み方を教えてくます。読み方だけではなく、同時に意味や用法なども教えてくれて手間が大幅に少なくなりました。

受験勉強の際は、英語の辞書がバラバラになるまで開いたり閉じたりして、1つ1つ単語を調べて読解をしていたのを記憶しています(やった行為は記憶していますが、内容は忘却の彼方へ旅立ってしまって、二度と帰ってきてくれませんが・・・)
ちょうど、「銀河鉄道999」の映画が公開された時期で、その割引チケットを英語の原書のしおりに使っていました。ですので「銀河鉄道999」のテーマ曲や画像を見ると、嫌々ながら机にしがみつき、夜中まで英語の読解の勉強していた古い家の古い机を思い出します。

今は、英語の文章を読むときには主に「DeepL」を使っています。あっという間に英語が日本語になって、書いてある内容が理解できるのです。「DeepL」とは AI技術を使った翻訳サービスです。
そういえば、以前、お酒を飲んだ後に特に必要性を感じていなかったのですが、酔った勢いでニューヨークタイムズの購読契約をしてしまって、翌日解約しようと思い手続きをしたら、英語のメールが届きました。
「銀河鉄道999」の時代でしたら、わからない単語を1個1個調べて読解して、その後苦手な英作文に取り掛からなければならなかったでしょう。私の拙い英作文では、どれだけ私の意図が相手に伝わるか、とても怪しげです。

どうしようと、一瞬焦ったのですが、「そうだ!DeepLの力を借りよう!」と思いつきました。
「DeepL」でメールを日本語に訳してもらい、返答を日本語で書いて「DeepL」に放り込むと、それなりの英語の文にしてくれました。そのおかげで、数回のやり取りがありましたが、30分もかからずに無事解約することができました。
なんと便利な世の中になったものでしょう。

また、多くの家庭にあったように、我が家にも百科事典があり、父がよく百科事典を見ていたのを思い出します。索引があって、調べたい項目を探すと、「何巻の何ページ」とわかりますので、その巻を引っ張り出してページ数を探して、と言うことを繰り返していました。
今、我が家には百科事典はありません。なぜか?百科事典に代わるネット検索やウィキペディアなど、はるかに効率的に調べるツールが手のひらの中に収まる形で持っているからです。

当然、私はITネイティブ世代ではありません。父から計算尺の使い方を教わった世代です。だからこそ、技術の進化を身をもって感じています。

技術の強烈な進化という点では、AIに強い興味を持っています。
高度な数学理論、特に統計理論を駆使して、強力なコンピュターのパワーを用い、莫大なデータを扱う技術です。ですので、一部の専門家しか扱えないという認識がありました。
しかしながら昨今、Chat-GPTに代表されるように、還暦を過ぎたおじさんでもAI技術に親しむことができるようになりました。
まだまだ、Chat-GPTには誤りが多いと言われていますが、そこはAIの特徴。今までのような完成品が発表されるのではなく、未熟な学習(と言っても想像を絶するほどの学習過程を過ぎてきているのですが)段階でリリースされ、使われながら進化していくという特性を理解しておかないと、「ナーンだ、間違いがあるんじゃ、使えないじゃないの!」と今までの製品のような感覚で付き合っていると、そこに大きなズレが生じてしまうでしょう。使う側も、AIの特性を理解する必要があると思います。


さらに、マイクロソフト社は、Office製品にChat-GPTを導入すると発表し、さらに低コード/ノーコードのアプリケーション開発プラットフォームにプログラムのコーディングを支援する「copilot(コパイロット)」を追加すると発表しました。「copilot」とは、プログラムの自動生成やコードの修正・変更の提案を行う人工知能です。

今まで、一部の専門家しか扱えなかったAIが、一般ピープル、しかもアナログで育ってきた還暦過ぎのおじさんでも使える世の中になりました。
アプリケーションの開発も、今は一部の専門家しか扱えない代物ですが、近い将来、還暦過ぎのおじさんでも簡単に開発できる時代になることでしょう。

そうなったときに、何が肝になるか?というのが大切な押さえどころです。

AIがいかに優れているとはいえ、あくまでも道具です。AIでできる範囲内ですが、指示されたことは忠実にこなしてくれます。こなした後、結果を出してくれます。

でも、ここまでです。指示することと結果に対してどう行動するかは、今のところ人間様にしかできません。

正解を導き出すのは、もはやAIの仕事分野になることでしょう。でも、何に対しての正解なのかという「問い」とその「問い」に対して出てきた正解に対して、私がどうするか?ということはAIは教えてくれません。

つまり、どのような指示や問いを出せるか、という技術を今後の私は真剣に身につけ投げればならないのだろうと思います。


この、技術は単にスキルやテクニックではなく、アートに近い感覚で捉えています。アートとは「人格を伴った技術」というという意味が含まれています。つまり、その人の、私の個性や創造性・人格とスキルやテクニックが融合したものなのです。

ということは、私の人生の目的や意味、価値観、信念などが大きく関わってきます。AIの技術が発展し身近になればなるほど、アートという技術を磨いていく必要性に迫られるでしょう。アートを磨き上げるには、努力や挑戦、失敗や反省、自己認識などが重要になってきます。

この認識は、まさに、マズローが提唱した「自己実現」の概念と一致します。
AIが発展する→アートを磨く→自己実現に向かう、という流れが見えてきます。

AIという技術・道具をアートという切り口で捉えた場合、AIは、私の幸福や満足感、生きがいや充実感などを得る上でとても重要な自己実現志向な生き方に導いてくれる道具になり得る、と考えるようになりました。

どのような問い・課題を私の人格を通して発見し、それをAIに投げて、帰ってきた答えをまた私の人格を通して実行する、という流れを目指してみたい考えています。

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