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【昭和的家族】『しゃぶ肉』と唐揚げ

もう本当にだいぶ前の事、父が一番最後に実家で飼っていた犬と遠めの散歩に行く道途中に、個人で営業しているお肉屋さんがあった。初めて父が立ち寄って買ったしゃぶしゃぶ用の薄切り豚肉と、唐揚げがとっても美味しくて、家族みんなで大絶賛した。父はそれ以降、何かあるとそのお肉屋さんに行くようになり、しゃぶしゃぶ用の薄切り豚肉と唐揚げ以外にも、色々な種類のコロッケなども買いつつ、そのお店の店主であった父より少し年下のマスターと世間話をしながら仲良しになったようだ。

しゃぶしゃぶ肉は長いので、『しゃぶ肉』と父に略された。父は良く私達が実家に戻ると「今日は『しゃぶ肉』があるぞ」と教えてくれる。「唐揚げも食べたかったな」とか口を滑らすと「じゃあ、これから直ぐ行ってくるよ」と数分後には父の姿が消え、また沢山のお惣菜を抱えて帰ってくる。

だいぶ長い間、そのお店のお惣菜は、父が言うところの『我が家のご馳走』となった。実際、薄切りのしゃぶしゃぶ肉は東京のデパ地下の肉屋さんで売っているものに引け目をとらない上質なものだった。お肉自体に変な臭みが全く感じられず、何よりどんな料理に使っても、とても柔らかくて肉自体が自然な甘さで美味しかった。唐揚げもとてもカラっと綺麗な薄目の茶色に揚がっていて、中の鶏肉も薄い桜色をしていて、程よく噛み応えがありつつもジューシーで食べやすい。揚げ物なのにいくつ食べても胸やけしない優しい味だった。

親戚が実家に来た時のお土産も、暫くの間このお店の『しゃぶ肉』や唐揚げだった。そんな風に父が長い間贔屓にしていたお店だったが、ある時期から店主の方が重い病気を患ったという事で、時々長期的にお店を休むようになった。父は店主の病状も含め大変気になる様子で、自宅の電話番号を交換し、お店が再開される時は今迄よりも更に頻度高くその肉屋さんに通うようになった。

ある日、実家を訪れると、父がめずらしいくらい何度も何度も家の固定電話から電話を架けている。「繋がらないな」とつぶやいて一度切るけど、15分もしないうちにまた電話機に向かう。
「お父さん、どこに電話しているの?」と母に聞くと、
「ほら、例のお父さんの好きなお肉屋さん。予定ではもうお店に戻るとのことだったけど、ここのところ何度電話しても繋がらないらしいの。独り暮らしだったらしいんで、ご家族から様子も聞けないから、このところお父さん毎日何度も誰か電話に出るかもと電話し続けているのよ」
確かに、何度も何度も父は電話し続けていた。
気になって私は電話を架ける父の横で父が手に持つ受話器に耳をくっけて様子を伺う。コール音が数回鳴ってどうやらその後留守番電話になっているらしい。留守番電話に切り替わる音がすると、父はメッセージも何も吹き込まないで、ガシャと受話器を置いていた。
「お父さんさ、一日何回お肉屋さんに電話しているの?」
「さあな、少なくとも10回は架けているかな」”いやいや、今一時間の間に4回は架けているでしょ”と私は心で思い
「そんなに何度も架けていると、留守番電話に何十回も何百回も通話の回数が表示されて、店主の方が戻られた時すごくびっくりしちゃうと思うよ。せめて1日、2、3回にしたらどう?」と意見を言ったけど、この意見は全く父に受け入れられず、心配症の父はそれからも暫くの間、肉屋さんのご自宅へ電話を架け続けていた。

暫く経って、母から、そのお肉屋さんの店主が入院先の病院で亡くなったと聞いた。父の通話記録を見た民生委員だか何かの方が、連絡を下さって分かったそうだ。それから我が家では、誰が言い出したわけでもないけれど『しゃぶ肉』という言葉はだいぶ長い間父の前では禁句となった。


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