BURVE@空への誓い

愛する妻を亡くした男のこれまでとこれから

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愛する妻を亡くした男のこれまでとこれから

最近の記事

3回忌を迎えて

朝目が覚めて深い溜息が出て、また退屈で憂鬱で孤独な1日が始まる。もう長い間清々しい朝を迎えられた記憶がない。 妻がいなくなってからの2年間、楽しいことなんて何一つなく、ただ息をして過ごしていただけだったようにすら思う。 こんな毎日が一生続くのか いつかまた清々しい朝を迎えられる日が来るのだろうか 重い体を起こしてお線香に火をつけて仏壇に手を合わせる、短い時間でも毎日妻と向き合う時間を作る。これから先も続けると決めたこのルーティンをすることで、朝の重たい気持ちと体がほんの少しだ

    • 指輪の話

      妻が亡くなって左手薬指に馴染んだ結婚指輪をどうしようか考えた。 左手にし続けるのも変だし外してしまうのも抵抗がある。ので、右手薬指にすることにした。 決めているわけではないけどなんとなく、これから先もこの指輪は外せないだろうと思う。 何故外せないのか、この抵抗感の正体は何なのか、自分自身の整理も兼ねて記録として記事にしようと思う。 1)命の価値とは どれだけの人が命の価値を明確に定量化できるのかわからないが、僕の場合ははっきりとその定義ができる。 人の命の価値とはつまり、ど

      • 占い(霊能力)の話

        先日生まれて初めて占い(霊能力)師をお呼びしてカウンセリングをしてもらいました。 2時間たっぷりで35,000円。 僕は元々占いというものは全く信用しておらず、根拠も後付けで単なる話術でしょうと思っていたしそれは今も変わりません。 霊能力や死後の世界というのは、妻が亡くなるまでは一切信じておらず当然存在しないものだと理由もなく完全に決めつけていました。 これは今では考え方が変わり、死後の世界は存在するとした方が合理的だと考えるようになりました。 こういった類の話は精神的に強く

        • 小説風1:白血病発覚の日

          あらすじとか 太郎:29歳 自宅の近くで事務所を構えて小さい規模で会社経営 花子:22歳 専門学校を卒業して美容系企業で営業の仕事を始める 2016年12月24日 西麻布の会員制レストランで太郎は花子にプロポーズをする 二人が出会ってちょうど3年が経つ2017年2月27日に入籍することに 2017年2月初旬 花子は太郎と一緒に表参道でランチをしている途中、酷い腹痛に見舞われてほとんど食べることなく帰宅した 動けないほどの激痛はめったにあることではなかったが、しばらくすると

        3回忌を迎えて

          これからやりたいこと の話

          妻が亡くなって半年が経とうとしている今、やりたいこと・やらなければいけないと感じることがいくつかあるので、そのことについて書こうと思う 1.作品作り【曲】と【本】 僕たちは大変な経験をしたにも関わらず、思い出以外に何も残せなかったことに強い心残りとやるせなさがある その思いを消化するために作品として形に残したい、という理由と 彼女の素晴らしい人生を1人でも多くの人に知ってもらいたい、という理由の2つ 彼女は若くして多くの人に愛されて慕われる人格者で、僕にとってはもちろんのこ

          これからやりたいこと の話

          人の本質の話

          何が善で何が悪だとか、正義がなんだとか言う人たちをみると「君は神か何かにでもなったつもりか?」と言いたくなる 善悪なんてものは環境や時代によっていくらでも都度定義されてきたもので、それはこれから先も変わらないしそこに普遍性はない 人間風情が決めていいものではないはずだ、それこそ神か何かでもない限りは 例えば殺人であっても、それは善悪ではなく法律による秩序の話に過ぎない そもそも我々は人間である以前に一生物であり、生物界の自然摂理は弱肉強食だ 弱い者は強い者に食われる、これが

          結婚式の話

          僕は大抵のことは気にしないしズボラだけど、こだわることにはとことんこだわる性格だ やるからには中途半端にではなく徹底的にやる、ということがたまにある 結婚式もまさにそうだ やるからにはとことん作り込んで感動の渦を巻き起こす、参列者全員に泣いてもらい、「こんなに感動する結婚式は初めてだ」と言わせる それくらいやらなければやる意味がない 入籍直前に病気になり、結婚式はおろか新婚旅行もできずにいた 治療が終わって徐々に日常が戻って、さぁこれからだという時に病気が再発した それ

          たとえ行き着く先が孤独や破滅であったとしても…それでも己の信じた道を行く、最後まで

          【11-15歳くらいまでの話】僕は人より少しばかりIQが高い 「IQが20程離れていると人はコミュニケーションが取れない」という説があるのを知ったのは大人になってからだが、相手の目線に合わせて会話をする癖は子供の頃から自然と身についていた そうしないと会話が成り立たないことを知っていた 僕は子供の頃、先生や親などの大人と会話をすることが嫌いだった 何故子供の自分が、大人であるはずのこの人達に目線を下げて会話をしなければいけないのか、ということに強い抵抗感と憤りを感じて

          たとえ行き着く先が孤独や破滅であったとしても…それでも己の信じた道を行く、最後まで

          あの瞬間 の話

          あの瞬間のあの情景は、これから先どれだけ時間が経とうとも、脳裏から離れることはないだろう あの日の前日の昼頃、息もできない程の激痛に耐える妻をこれ以上見ていられなかった 痛みから解放してあげられる手段があるのならどんなものでも講じてあげたかった 主治医に頼んで、強い薬で眠っていられるようにしてもらった 次第に痛みは和らいだようだった、、、意識と引き換えにして もしかしたらもうこのまま目を覚さないかもしれない(いやまさか、彼女に限ってそんなことはない、またすぐに目を覚

          あの瞬間 の話

          はじめに

          11歳の時に自我が芽生えた まず疑問に思ったのは、教師が黒板に書く内容をそのままノートに書き写す板書と言う行為の合理性についてだ 板書の内容は教科書に書いてある内容そのままで、書き写したノートを見返すことなどない 実に無駄な行為に思えてならず、それ以降中学高校と進学しても板書という無駄な行為を行うことはなかった そうすることで授業中の時間が暇になり、多くのことを考えるようになった 例えば生きている以上誰もが一度は考える事象 人生とは何か、生きる意味とは何か この