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たとえ行き着く先が孤独や破滅であったとしても…それでも己の信じた道を行く、最後まで

【11-15歳くらいまでの話】

僕は人より少しばかりIQが高い

「IQが20程離れていると人はコミュニケーションが取れない」という説があるのを知ったのは大人になってからだが、相手の目線に合わせて会話をする癖は子供の頃から自然と身についていた

そうしないと会話が成り立たないことを知っていた

僕は子供の頃、先生や親などの大人と会話をすることが嫌いだった

何故子供の自分が、大人であるはずのこの人達に目線を下げて会話をしなければいけないのか、ということに強い抵抗感と憤りを感じていたからだ

同時に大人は子供の相手をする時に「頭の悪いフリ」をしているのだろうと推測していた

少しばかり大人になって、大人がとりわけ「頭が悪いフリ」をしている訳ではなくあれが素に近い姿なのだと悟ったときはガッカリした

そんな子供の僕はとにかく親や教師達に反発した、言うことを聞くことなど一度もなかったかもしれない

「大人のクセに頭の悪い奴」が心底嫌いだった

実に反抗的で素直でない、扱いにくく接し方がわからない子供だったろうと思う

今となってはあの当時に、もう少し大人の対応をするべきだったかなと思うこともあるが、それができるほど当時の僕は大人でなかった

子供の頃からのそういった経緯や自然とついた癖のせいもあってか、僕は悩んだ時迷った時などに誰かに相談をする、ということをしたことがなかった

したところで共感を得られるとも、自分では思いつかなかった打開策が生まれるとも到底思えなかったからだ

せいぜい徒らに自尊心を傷付けるだけだ、と

それは今でも変わらない、誰かに何かを相談することなどない

ある一つの事柄を除いては


【大学生の時の話】

僕は勉強が嫌いで受験に失敗した

東大に行きたかった、そんな勉強せんでも東大くらいは受かるだろうとタカを括っていた

自分が周りの秀才や天才たちと比べて頭が良いと思ったことは一度もなかったが、それでも要領の良さにだけは自信があったからだ

最小の努力で如何に確実に合格最低点を取るか、ということのみに注力したが、少しばかり甘かった

自分が思っていた以上に僕は勉強が嫌いだったようだ

今となっては何故あんなに東大に行きたかったのかはよくわからないが、ただ負けず嫌いだっただけだろう

良い大学を志した理由は初めの記事(はじめに)に書いた通り、まだ見ぬ家族のために可能性を広げるため、ただそれだけだった

勉強が嫌いだった僕は浪人せず、その次の大学に進学した

大学生活を満喫し自分でビジネスも始めた

この時の話は長くなるのでまたの機会に書きたいと思う…ので結論だけ

僕は就活をしないどころか大学も中退して起業した

およそ殆どの人が望むであろう、良い大学を出て大手企業に就職して人が羨むようなそこそこ裕福で安定した人生を送る、という選択を自ら捨てた

いともたやすく、迷いもせずあっさりと捨てた

せいぜいあったのは、「なんかもったいねーかな」くらいの感覚である

そんな簡単でありきたりな「普通の幸せ」には全く興味が持てないどころか、そうなる自分を想像しただけで吐き気を催すほど嫌だった

そもそも「良い大学」に入ったのは、世間知らずな子供が他に選択肢を思いつかなかっただけで、大学時代の豊富で有意義な時間のお陰で、少しばかり社会を知って無限にも思える選択肢に触れた当時、それ以上籍を置く理由もそのレールを進む理由も何一つなかった

もちろんこの時も、親にも友達先輩などにも相談せず一人で決めた

自分の人生とその結末は、誰かに決めてもらうものではない

自分の頭で考え、自分の心で感じたままに、信念をもって突き進むのみ

たとえ行き着く先が孤独や破滅であったとしても構わない、それが自由を求めて自由に生きると決めた者の宿命でもありまた責任でもある

何かに生かされる一生として終えるよりかは幾分かはマシだし、何よりどんな結末でも自分が納得できる程度には自分の生き様に信念を持てる

普通でありきたりな幸せなど求めていないし興味がない

「そこそこ裕福で安定した人生」を捨てた代わりに待つものは破滅かもしれない

それでもいい、11歳の時に決めた自分の生きたい生き方には一切の揺らぎはない

たとえ行き着く先が孤独や破滅であったとしても…それでも己の信じた道を行く、最後まで


【これからの話】

自我が芽生えてからあの時までの約20年間、まだ見ぬ家族本当の家族のために、迷うことなく自分の信じた道だけをただひたすらに真っ直ぐ突き進んできた

想定よりも遥かに早く、思いもよらない形で、自分の生きたかった生き方が終わりを迎えた

この生き方の先に続きの道はない、存在しない

しかし行き止まりではない、ゴールに到達したのだ

形はどうあれ、自分の生きたかった生き方ができた、最後まで成し遂げたのだ

本来ここで終わるはずのものが、少し道が短かかったために余白の時間ができてしまっただけだ

さて、この余ってしまった時間をどう消化しよう

また1から新しい道を探すしかないのだけど、そんなものはどこを探しても見つからない

この期に及んでなお、普通の幸せに興味をもてない自分のややこしさが少し憎い

この年になって今、初めて迷い初めて悩んでいる

あれだけしてこなかった誰かに相談を今はしたい

「当たる占い」とやらに行ってみたい


そんな時に思い出すのは決まって全てが終わったあの日のこと

眠った妻の元へ最後に一目見ようと300人以上の人が来てくださった

妻は芸能人でも何でもないただの一般人で、しかも変な感染症の流行が心配されるまさにその渦中で、である

そして多くの人が涙を流してくださった

中には泣き崩れて動けない人もいた

友達が多くて人望に厚い人だとは知っていても、まさかこれほどまでとは思わなかった

そんな人を妻にもてて誇りに思うと同時に、これだけの人に想われて見送られて逝けるなんて羨ましい、とも思った

そして生じた感情「こういう風に生きたいけど生きられない」は紛れもなく妻に対する尊敬の念であり、誰かのことを尊敬するのは人生で二度目だった

そんな妻の生き様を見て、「自分ももっと強く、もっと深い人間にならなければいけない、そうなりたい」と強く思った

次の道がどんなものでその結末が何であろうと、この時に感じた「もっと強くもっと深く」だけは忘れることなく胸に抱き続けてこれからも生きていきたい、と思う

またそれを

心から愛した亡き妻に誓う

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