Ⅲ. 音楽 メジャー化した途端懐古厨をするコアファンたちについて考える
1.なんでこんなことを思い至ったのか
きっかけはふとXを見ていたら、Mrs. GREEN APPLE の一期と二期の写真を並べて、昔を懐かしむようなpostがTLに流れてきたことだった。
そういうこともあるよなぁとそれを見たときは、特に気にも留めなかったが、ふと周りの友人たちとの会話で、昔より今の方がいいアーティストっていなくない?ということを言った友人がいたことを思い出したのだ。
2.周りの音楽好きたち
私は音楽が好きだ。主に邦楽のオルタナ系、ファンク系、マスロック系や海外のルーツミュージック的なファンク音楽を聴くこともある。
まぁまぁマニアックな音楽を聴く私の周りには、いわゆるマイナーな音楽、バンドを好んで聞く人が多くいる。(だからこそ彼らと話が合って友人になるのだが)
日本のインディーズバンドから、インスト系のバンド、ジャズやブルースなどの海外のルーツミュージックを好んで聞く人もいる。
そんな深く音楽が好きな彼らを見ていると、先の会話に挙げられる通り、マイナーで一見聞いてもわからないような音楽を至上としている空気感があるのだ。
3.深く知るほど排他的になる?
人間だれしも好きなものはあってよいと思う。それに対して、深い愛情を注いで誇りをもつこともよいだろう。
ただ、それゆえにそうではないものに対して、無意識的に排他的で攻撃的な姿勢になっていないだろうか?
先の友人も、ルーツ・マイナーミュージックが好きなコアファンほど、僧ではない音楽に対して、「あれは音楽じゃない」、「あれを俺は音楽とは認めてない」と言ったりもする。
好きゆえに排他的になってしまうこともわからなくはない。そのものに対して熱心に時間を使ってきたからこそ、それを軽く扱われたら癪に障る感じもわかる。
だが、明らかに悪意や皮肉を持って特定の音楽をバカにすることがなければ、そこまで声を荒げて返す刀に反論をする必要がないのではとも思うのだ。
むしろ、自身の好きを注いだからこそ、自分が知りうるその音楽の良さを周りに伝えた方がみんな幸せになると思うんだけどなぁ。
4.音楽のメジャー化に対するファンの反応
ここまで話がそれたが、こういった排他的になってしまう性質がメジャーによっていく、アーティストに対しても向けられているのかなと感じるのだ。
昔っから好きだったアーティストが時代と共に変化することは、当然起こりうることだろう。
それに対して、「昔の方がよかった」「最近は客にこびている」という人は多くいる。
では、ファンたちはそれを言っていったい何を求めているのだろうか。
アーティストもなんの考えもなしに在り方を変えていっているわけではないだろう。(メジャー化や創作源泉の枯渇など)
変化してしまったアーティストに対し、我々ができることは大きな愛を持ってすべてを愛することか、そっと後ずさりして彼らから離れることではないのだろうか。
昔から応援しているからこそ、全部を受け入れるか、変わった彼らに対し別の道を歩むかの二択ではないのかと私は思うのだ。
昔の音楽を引っ張ってきて、今の彼らに対して「このころがよかった」、「このころの音楽がまた聴きたい」というのは、自分自身にもアーティストに対しても不誠実じゃないかと思うのだ。
今も昔もすべてを受け入れる。もしくは今とは決別して昔の彼らの音楽を思い出として愛する。
本当に好きだったからこそ懐古厨を表すのではなく、全部を受け入れるか、決別するかを選ぶ方が、双方の幸福度が高いんじゃないのかなぁと思う。
5.終わりに
いろんな方向に話がとっ散らかってしまったが、音楽がメジャーになることはいいことだと私個人は思っている。
聞かれてなんぼの商売だ。
ただ、メジャーという道を選んだ彼らに対して、あっちに行きやがった、昔の方がよかったというのには違和感を覚えてならない。
全て包み込む愛か、今とは別れ昔だけをただ愛するか。
自分が好きになったものだからこそ、変わりゆく彼らに対して足を引っ張るようなことはせずに、愛で迎えてあげて欲しいと思う今日この頃だ。
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