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言葉を発するときは,一旦飲み込んで

 私は、難病発症をきっかけに、実家とは絶縁を宣言され、妻も病気の人間とは、一緒にいられないと言われ、離婚した。
 このことを、患者会の役員の方に、淡々と語ると、その方は必ず、なんてひどい家族なの?私ならそんなことはしない、あなたよく了承したわねと言われる。
 その方とは、もう何度もこのことで、話を聞かれ、毎回同じ言葉が返ってくる。私はその都度とてもいやな気持になる。
 患者会の役員の方的には、実情を聞いて慰めてるつもりかもしれないが、決して良い記憶ではないし、何より何度も同じことを質問されることで、この人は実は聴いてないし、興味がないんだと、ある意味その人の人間性に疑問符が付く。
 そして、離婚を了承した、自分お決断も、判断をあからさまに否定された気がして、正直面白くないし、会話の後でとてもいやな思いが残る。
 本人は、離れていった家族を非難しているのであって、私を非難する意図はないかもしれない、しかしその”言葉”を受け取る側としては、その”言葉”を受け取って”混乱”しもやもやが強く残る。
 私より、長い人生を生きてこられて、人を指導する職業から、介護まで経験された方なのに、発する”言葉”に鋭い刃を載せて伝えてしまう、とても残念な方だと思った。
 ある意味、患者団体の中で支援する役割を、当てがわれ、そうしなくてはいない、そういう思いで活動されているのかもしれない、だから発する”言葉”は選んでいるようだけど、”心”や””想い”が自分に向いているのだろう、受け取りての”心””心境”に寄り添うことができない、役員と会員の距離間が理解できていない?そんな気がする。
 ”言葉””会話”は良く誤解を生むことがある、発する”言葉”に勢いが付きすぎたと思ったら、ごくりと飲み込んで、考える、心の準備をしたいものです。


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