他人が怒られているのに自分がダメージをうけてしまう
早朝のコンビニでサラリーマン風の男性が店員に「早くしろよ!」と怒鳴っているところを見て一日中憂鬱になったことがある。自分が怒られたわけでもないのに。
ひきこもり専門誌「ひきポス5号」にも書かせてもらったけれど、幸福学によると幸福は伝播する。それと同様、憎悪も周囲の人間に悪影響を与えると思う。
ひきこもりやメンヘラの中には、どうしても親や学校や過去のことで感情が爆発する人はいる。そして、どんどん口汚く罵るようになって言葉が攻撃的になる。
それは本人からすれば、当たり前のことだし、良くなる過程として必要なことなのかもしれないけれど、その憎悪を感じるとこちらの具合が悪くなってしまう。精神科医やカウンセラーはすごいと思った。
だけど、ただの無関係の素人が、憎悪がむき出しの人間に接するのはかなりのエネルギーを消耗させられる。その怒りや憎しみが正当なものであったとしても。だから、多くの人はその人たちとは距離を置くようになるし、関わりたくないと思う。
これはマイノリティの活動でもそうだけど、自分たちの思いがなかなか認められないことに苛立つあまり、攻撃的な言葉遣いになり、顔つきが険しくなっていく人たちをみかける。
そうなると、ますます大多数の支持を得られない。マイノリティの人間なんて星の数ほどいるわけで、多くの人は”きれいな“弱者に共感するし同情をする。結果として、支援が得られやすい。
困った弱者は、いつまでも困ったままだ。困ったね……。
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