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これからは、「仕事」ではなく「為事(しごと)」になる(と森鴎外は予想していた)

ひきこもり界隈では、「(ひきこもりにとって)就労はゴールか」というテーマが話題になることがある。働いている人からすれば、「何を言っているんだ? ゴールもなにも働かなきゃ食べていけない」と思うだろう。

それはそうなんだけど、就労をゴールに設定すると就労そのものから遠のくという逆説がある。そして、そもそも仕事のパワハラがきっかけでひきこもる人も多いので労働環境自体が改善されないと厳しいというのがあると思う。

「佐藤さんにとってなにがゴールですか?」ある人が僕に聞いた。
「好きな人に好かれることがゴールかなあ」と答えた。深く考えて言ったわけではないけれど、意外と良いこと言ったような気がする。
「ああ! それはありかもしれないですね」と相手の方も納得していた。

じゃあ、就労についてどう考えているか。こういうときって就労の定義から考えなければいけないんだろうな。就労、仕事、労働のちがいとか。でも、面倒なので一緒くたにする。

仕事は自己実現をするためと言う人がけっこういて、僕もそんなことを言われたことがある。今は、生存の問題から実存の問題に移行しているからそういう考えも生まれたんだと思う。

だけど、いわゆるマックジョブ(低賃金で単調な仕事)で自己実現できるのかって思った。クリエイティブな仕事なんて誰でもできるわけじゃないし、多くの仕事でマックジョブ的な要素ってあるんじゃないのか。昔、僕がやっていた仕事だってそう。

でも、そういうマックジョブでも自分が大切に思っている人が認めてくれたら価値が変わってくる。自分だけのための仕事なんてやっぱりきつい。時間の切り売りしている感覚だけ残って絶望する。

「あなたがいるから、わたしは頑張れる」

そういうことってあると思う。他人の人生を生きたくない。でも、自分だけの人生も虚しい。大切な人の存在が人生に色取りを添えるんだと思う。Spice Up Your Lifeってね。

極論すれば、好きな人が認めてくれるなら仕事しなくてもいいんだよ。だけど、それって難しい。好きな人に見合う自分でいたいから。仕事というのは、大切な人との関係を築き上げる過程で価値を生むんじゃないだろうか。そして、人と人をつなぐ媒介の役割をもつと思うんだ。

また、「働く」の語源が「傍(はた)が楽になる」からという説もある。

森鴎外は、「仕事」を「為事」と書いていた。会社や誰かに仕えることでなく、為る(する)事と書く。案外、これからの未来の仕事は、森鴎外のいうところの「為事」に近づいているんじゃないだろうか。

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