「子育て支援金制度」は「現役世代から取って現役世代に配る意味のないシステム」なのか?

 子育て支援制度に対して、「現役世代を支えるためのシステムなのに現役世代から取っては意味がない!」という批判を耳にします。先に結論から述べさせていただくと、それは違うと思います。なぜなら、「能力に応じて負担し、必要に応じて分配されるシステム」だからです。
 まず、現役世代が受け取るお給料というのは、市場の機能によって行われる分配です。ここでは、仕事や役職に応じてお給料が決まりますよね。そして、仕事や役職はどう決まるかと言えば、おおむねその人の能力によるでしょう。市場では、能力によって資源(お金)の分配が行われます。まぁ、これは当たり前の話ですよね。しかし、市場の分配システムには欠陥がありまして…「格差が広がる」という点です。残念ながら、人間には能力に差がありますから、「雇う側」と「雇われる側」に分かれますよね。さらに、役職や仕事もモノによって差があるわけですから、限られたポストを取り合う椅子取りゲームです。ここで「上」になれた人は安心して子育てを行うことができます。一方、「上」の椅子を取れなかった人たちは、経済的な理由で子育てを諦める、渋る、ということが起こり得ます。
 また、困ったことに、市場は救済システムがありません。思いがけず子供を授かったとか、子供を授かったけども会社が潰れて職を失ってしまった、病気になって働けなくなってしまった、といった事態に陥り収入が足りなくなったり、なくなったりしても、市場の分配システムだけではどうにもできません。病気になったからといって急に治療費を賄えるくらいお給料が上がることはないですよね。
 さて、では政府による再分配はどのような分配となるのでしょうか。ここでは、市場の分配で発生した格差を縮めることができます。能力ではなく必要に応じて給付されるからです。能力に関係なく、必要な人が利用できる制度ですから、能力によって生まれた格差の是正につながりますし、不測の事態にも対応できます。こうしたことを言うと「共産主義的」という指摘も飛んできそうなので先に反論も書いておきましょう。共産主義と違い、すべての所得格差をなくすのではなく、特定の事柄についてのみ所得に関係なく公共サービスを利用できるようにするのが、現代の福祉国家です。例えば日本では、医療、介護などは所得に関係なくサービスが受けられるように社会保障制度がつくられています。そして、こうした「どのサービスについて公共化すべきか」ということについては選挙を通じて価値判断に加わることもできます。全てを政府が差配する共産主義とは全く異なるものです。
 
 今回の「子育て支援制度」は子育てに関しては所得に関係なく公共サービスを受けられるようにしようね、というシステムです。「取ってから配るなんて二度手間だから最初から取らなけれいいじゃないか」というのは、既に子育てに十分な所得を確保できている家庭では確かにそうかもしれません。しかし、そうでない家庭の支援も考えるなら、やはり政府による再分配も必要だと思います。
 
 当然ですが、あらゆる政策には財源を要します。今回は社会保険料が利用されました。他の選択肢としては、税金、国債、歳出削減による捻出があります。これらはどれも一長一短で、良いところしかないものなどありません。その中で、社会保険料は確かに負担増だけど、基本的に企業も半分負担する労使折半ですから、財界からも金を取れる仕組みではあります。また、使途も限定されますから、税金よりもベターな選択肢ではあったのではないかと評価しています。

 なお、この記事を書くにあたって、内閣官房がウェブサイト上に公開している議事録を参考にしました。どのような理屈や理念で政策が考えられているのかわかりますので、時間がある方はぜひご覧になってみてください。
リンク:https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodomo_mirai/index.html 


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