維新の会の社会保険料改革の評価点と問題点

 先日、日本維新の会が社会保険料負担引き下げなどを目的として、医療制度改革の提言を発表しました。まず、その内容を音喜多政調会長のXの投稿より引用します。

また、細かい部分についても公式サイトの政策のページから閲覧することができます。(一応、読まなくても大丈夫な文章にはしているつもりですが)

 この政策に対する私の率直な印象は、良いところもあるけど、問題点も多いな~といったところです。
 先に言っておきますと、私はしかるべき施策のための負担であれば受け入れるべきだと考えている人間です。そういったバイアスが含まれる文章であることを留意していただければと思います。

評価したい点

 まず、私が評価する点から述べたいと思います。端的に言うと、「医療制度改革に手を付ける」ということそものものが一定の評価に値するでしょう。医療は、非常に大きなお金が動く分野です。下の図では、社会保障給付に占める医療の割合が示されていますが、その額はなんと41兆円にもなります。(2023年度では)

引用:厚生労働省ウェブサイト(https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_21509.html)

これだけのお金が公費で入りつつ、個人負担分の料金も取れるわけですから、医療業界はガッポリ稼げる非常に安定した大きなマーケットを確保できています。そして、その利権を維持するために政治家に献金…というのもよく聞くお話でしょう。
 一方で、医療業界は、あまり議論されてこなかった様々な問題も抱えています。例えば、慢性的な疾患について病院側が過剰な受診を求めたり、終末医療の議論が不足していたり、といったものです。このあたりは、維新の会の出している提言書を読んでいただけるとより詳しく書いてあります。
 維新の会は、こうした問題に対して提言をしています。大きなお金が動く医療を多少なりともスリム化できれば、たしかに財政に与える影響は大きいでしょう。また、提言の内容に賛否があったとしても、医療制度や社会保険が議論の的になるだけでも一定の意義がある思います。

問題点

 さて、では私が問題に感じる部分にも触れていきましょう。私が最も問題視するのは、改革の中でも話題になっている「高齢者も窓口負担を原則3割負担にする」という提言です。現役世代の負担減が社会に与えるプラスの影響と、高齢者の負担増が社会に与えるマイナスの影響を足し合わせた時に、社会全体でプラスになるのか疑問が残ります。
 当然、維新の会はプラスになると思っているから提言してるのですが、まずはどのようなプラスが生まれると想定しているのかを確認しましょう。維新の会の提言では、この改革の目的は世代間格差の解消や少子化対策の財源確保にあることが書かれています。したがって、これが維新の想定するプラスでしょう。しかし、私は、この改革が必ずしもその目的に適うものではないのではないかと思います。
 次の章から、なぜ私がそう思うのかということについて述べていきます。

社会保険の機能を知ろう

 まずそもそも、「現役世代の負担が重くて高齢者の負担が軽い」ことがそんなに悪いことなの?というところから行きたいと思います。
 当たり前のことですが、人間誰しも年を重ねて老いていきます。その一生の中で、負担については先に述べた通りです。
 では、得られるリターンはどうなのでしょうか。リターンは、健康保険ならどれだけ医療サービスを受けたかで考えることができます。そこで、医療に関する支出は一生のうちにどのような変化があるのか調べてみましょう。厚生労働省のウェブサイト上に公開されている情報によれば、65歳以上から使われる医療費がグンと上がっています。まぁ高齢者の方が体にガタが来ていますから、この結果も想像しやすいでしょう。
 こうした負担とリターンの状況を表現すべく、このような概念図を作成してみました。

基本的には、人生の前半では負担額の方が上回るので損だけど、後半で医療費が必要になってきたときに得ができるというシステムになっています。
 医療保険をはじめとした社会保険は、このような「消費の平準化(consumption smoothing)」と呼ばれる機能を持っています。一生の中で生じる急激な消費の増大や収入の途絶に対応できるようにするのです。つまり、余裕がある時の消費を負担金として取っておき、余裕がない時の消費を給付金や保険金として助けてもらうことができるのです。世代間の負担額が異なることについて不公平だという声もありますが、消費の平準化機能を考えれば、むしろそれが妥当だと思います。
 さて、この説明を聞くと、「じゃあ保険じゃなくて貯金でいいじゃん」と思われる方もいるかもしれません。しかし、貯金と社会保険では大きく異なります。貯金では、当たり前ですが溜めておいた分のお金以上には支払いできません。しかし、社会保険では負担した額以上に費用が必要になっても保険の恩恵を受けることができます。
 さらに言うと、残念ながら社会の人々全員がちゃんと老後のために貯金をできるとは限らないという問題もあります。1年単位の税金ですら、ちゃんと溜めておくことができるかわからないから企業は源泉徴収を行うのですから、20年、30年先のことまで想定できない人がいるのも想像に難くありません。
 また、「年とっても健康だったら損しっぱなしじゃないか」という指摘もあろうことかと思います。しかし、保険と言うのは金銭的な損得だけが機能ではありません。保険には、「何かあっても大丈夫だという安心感を与える」という機能もあります。
 おそらくこの記事を読んでおられる方の大半は、火災保険などの保険にも加入しているでしょう。実際に火災被害に遭う確率はそこまで高くないでしょうから、ほとんどの人は保険料を取られるだけです。それでも保険に加入するのは、もしもの時を想定して、備えておきたいからです。これと同じように、たとえ一生健康のままでも、安心感という恩恵を受けることはできるのです。

維新の会の改革が実現すると…

 さて、社会保険についてある程度整理できたところで、先程の概念図に維新の会の保険料改革を適用したものを見てみましょう。

 破線で示したのが、維新の会の改革案です。現役世代の負担を下げて高齢者の負担を上げるわけですから、原則としてはこのような表現になると思います。
 こうなるとどのようなことが起きるのでしょうか。確かに、維新の会が言うように世代間の不公平は多少マシになるでしょう。しかし、一個人としてみると、現在の負担を老後に後回しにしているにすぎません。今現役世代の人はすごくありがたく見える維新の改革案ですが、後々自分の首を絞めることになりかねません。
 さらに、先に述べた消費の平準化機能としては、機能が弱まってしまいます。そうなると割を食うのは「ちゃんと貯金できなかった人」です。すなわち、低所得者や、私のような計画性のない人です。
 しかし、こうしたデメリットを抱えてでも維新がこの改革をやろうとするのは、「現役世代の負担を減らすことのメリット」がデメリットに勝ると思うからでしょう。負担を減らすから現役世代にしかできないこと…すなわち子育てにお金を使ってね、ということでしょう。そして、子育てでお金を消費すれば消費が増えて経済も上向きに…といった筋書きでしょうか。
 しかし、困ったことに現役世代の可処分所得が増えても消費が増えるとは限らないのです。詳しくは、次の章で…。

現役世代の可処分所得が増えれば消費が増える!…とは限らない

 可処分所得が増えれば消費が増える…という論法は色々な政党が使う論法ではないかと思いますが、少なくとも私が学んできた知識に基づくと、これは正確ではありません。というのも、条件が欠けているからです。確かに、可処分所得が増えることは消費が増えることの条件の一つですが、他にもクリアしなければならない条件があるのです。
 それは、「消費の欲求が貯蓄の欲求を上回ること」です。いくら所得が増えても、それを堅実に貯金に回してしまう人ばかりでは消費は増えません。消費を増やすには、消費の欲求を上げ、貯蓄の欲求を下げる必要があります。
 では、貯蓄の欲求が下がる状況とはどのような場合なのでしょうか。これは簡単で、「将来予想される消費が少なくていい場合」です。「将来への金銭的不安が少ない場合」と言い換えてもいいかもしれません。将来の消費…それは20代くらいの人であればそれは子育て費用のことになるでしょうし、50代くらいの人ならそれは老後の生活費になるでしょう。
 さて、先の章で述べた通り、維新の会の改革は、高齢者の負担が増える改革になっています。これは、将来の消費の増大を意味します。このような状況で貯蓄の欲求がどうなるかは、もうお分かりですね。これをふまえると、残念ながら、期待されるほど消費は増えないだろうことが予想できます。こうなってしまうと、改革の意義はどこにあるのか…となってしまいます。

維新の会に期待したいこと

 けっこうボロクソ書いてしまいましたが、個人的にはそれでも維新の会には期待している部分はあります。評価する点として述べたように、アンタッチャブルな領域だった医療に手を付けようという姿勢自体は良いと思いますし。ただ、視点が欠けているだけなのです。野党の中では存在感もあり、物事を動かす力もそれなりにあるわけですから、もっとしっかり煮詰めたうえで与党に働きかけてくれれば、いい結果を生むと思います。
 周りからの批判や指摘をしっかり吟味したうえで、提言をブラッシュアップしていってほしいですね。

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