映画「チワワちゃん」の感想(その1)~チワワちゃんを殺したのは誰か?
まず、冒頭のミキの語りが名文だ。
このセリフは、悲嘆にくれたトーンでも、悲しみを押し殺したトーンでもない。ただただ、ニュースを読み上げるように、淡々と語られる。
それは何故か?
このセリフを言葉通り受け取れば、
現代の人間関係の希薄さ、空虚さ云々と評することもできる。
しかし、それで片づけてしまうのはどうか。
むしろ、わたし達の関係は、戦友のような特別な関係に近いのではないか?
この映画は、ミキがストーリーテラーとして主人公に位置付けられている。
登場人物で東京出身なのは、ミキだけである。
みな何らかの目的をもって東京に来ているはずだが、ミキには目的がない。
モデルのようなことをしているが、あくまで趣味にすぎない。
実家は、庶民的な美容室だ。
「こんな所。」
もちろん東京のことである。決して好意的な表現ではない。
ミキに言わせれば、否定的なニュアンスさえ含んでいる。
ミキは、みなが希望をもってやって来る東京に、自らの意志ではなく、あらかじめ放り出されている。
東京への期待が薄い分、冷めた視点でいるので、
ストーリーテラーとしての役割を果たせている。
東京。東京湾。チワワちゃんの死体が見つかった場所。
東京湾は、決してきれいなものの象徴ではない。
むしろ汚いもの、よどんだものの象徴である。
欲望が流れ着く終着点としての。
こんな所に、泳げないチワワちゃんは、バラバラにされて沈められた。
「チワワちゃんを殺したのは誰か?」と気にする人が少なからずいる。
しかし、誰が殺したかなど、はっきり言ってどうでもいい。
そんなことは傍論にすぎない。この映画は、サスペンスではないのだ。
私が考えずにいられないのは、チワワちゃんが殺された後、
わたし達は、なぜ再び東京湾に集まったのかということだ。
なぜ、そうしなければならなかったのか?
なぜ、こう思ったのだろうか?
・・・(その2)へ。
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