映画「チワワちゃん」の感想(その4)~脇役の存在

ヨシダ君

青春の爆発をともにしたが、埠頭に来なかったヨシダ君。
ヨシダ君は、不器用なんだと思う。
感情をうまく言葉にできない。
いつも「お前だけ何か違う。」という口説き文句しか言えない。
無言で永井君のカメラを破壊するしかなかった。
ミキを抱こうとするしかなかった。

しかし、就活のために履歴書を書いている。
当然、本名を記入する。
彼も、彼なりの方法で大人になろうともがいているのだろう。

サカタ

カメラマンの酒田譲は、最初に本名を名乗って登場していることが
わたし達の匿名の関係と対照的だ。
もちろん、本名を明かせばいいということではない。

ところで、チワワちゃんと酒田の対話シーンの挿入が不自然だと思ったら、
岡崎京子の別の短編作品のオマージュであった。
映画においてサカタの存在は、年齢差と愛というサブテーマを示唆しているように思う。
しかしこの部分は、「チワワちゃん」とは別のテーマで、蛇足だったように感じる。

シマちゃん

ゲイ。相談相手。わたし達より一回り年上の存在。
600万強奪のきっかけを作った人物。
わたし達のたまり場である場所セジウィックの店主。
そのセジウィックの閉店が、わたし達の青春の終わりを印象付ける。

サカタの存在が年齢差と愛の問題を示唆していることに対し、
シマちゃんの存在は、年齢差と友情、性別の問題を示唆している。

青春の爆発としての夏の豪遊をともにはしなかったが、チワワ追悼のために東京湾に集まった。
つまり、青春時代の特別な関係は、同年代でなければ築くことが難しいかもしれないが、仲間になること、理解することに年齢は関係ないことを示唆しているようにも感じる。

東京湾で泣き崩れる永井君を黙って支える姿が印象に残る。

・・・(その5)へ。

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