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凪のような暮らしの中で見つかる小さな幸せ-岩手県大船渡綾里-

「ワカメ漁の手伝いを探している。」
画面をスクロールしていたらとある記事が目にとまった。岩手県、綾里、ワカメ。
理由は良くわからない、けれど気づけばそこにいた。滞在期間は約3週間。綾里で過ごした記憶を書き残しておきたい。


綾里という場所


岩手県大船渡市、太平洋に突き出た小さな半島に綾里はある。山と海の両方に囲まれた自然豊かな土地だ。人口はおよそ2500人ほど。海に関わる仕事をする人が多く、村のそこらに船や漁業の道具が見られる。海は人々の生活を支え、また文化を紡いできた。綾里の人にとって海は生きるということと切っても切り離せない存在だと言える。


ワカメの仕事

ワカメ漁の朝は早い。日が昇る前、3時〜4時に船を出す。朝の海は暗く、寒い。漁場まで行き、船を止めると、船体がぐわんぐわんと揺れる。初めて乗るとこれに酔う。私は前日の夜は早く寝て、きっちり30分前に酔い止めも飲んだのに、めちゃくちゃ酔った。顔面の色が青ざめるのが分かるくらいだった。

ワカメは養殖のもの。昔は天然のワカメを獲っていたけど、海の環境が変わりそうはしていられなくなったらしい。ワカメが鬱蒼と生える綱にフックをかけて釣り上げる。海から赤茶色に近い、ヌメリとしたワカメが現れる。ワカメは手作業で刈り取られる。初めてワカメの本体を見た人は口を揃えて「ワカメとメカブって同じなんだ。」と驚くそう。え、そうなんだ。私も初めて知ったとき驚いたが何故今まで一度も疑問に思わなかったのか少し不思議に思った。スーパーや家庭で見るそれはワカメの葉の部分。実はメカブもワカメの一部で、メカブから茎が伸びて葉がついたような構造をしている。

ワカメを刈り終えると、浜に戻り、獲ったワカメのボイル作業が始まる。赤茶色のワカメを熱湯に入れると、みるみるうちに緑色に変わる。この時の変色はとても美しく、謎に満ちている。茹でたワカメを冷やして、塩蔵、それを何度も繰り返す。浜での作業は大体10時ごろまで続く。

撮影:阿部さん

浜で塩蔵されたワカメの次の行き場はそれぞれの作業場(ほとんどは自宅の近くにある小屋、離れ)。そこで丁寧に芯と葉が分けられて、選別される。
ワカメの芯を取る作業を芯抜きとか芯取りとか言うが、これがかなり地道な作業だ。海や浜の仕事は機械も導入され、幾分か負担が軽減されつつあるがこの芯抜きだけは今も昔も全く同じ方法でやっているそう。

芯抜きなどの小屋の作業は忙しい時には家族、親戚が総出で行われる。作業場はいつも賑やかで、年末年始の家族の集まりみたいだった。家族の仲がいい、これは綾里で感じたことの一つだが、ワカメ作業を共にすることが関係しているのではいだろうか。


綾里の食卓

綾里に来て驚いたのは、食卓と食材の距離の近さ。「そこの海で獲れた貝」「今朝獲れた魚」「目の前の斜面に生えていた山菜」
自給自足と言うと畑を耕し、汗水垂らし、慎ましく暮らすようなイメージがあった。しかし、綾里は自然体でいて、半自給自足的な暮らしぶりだった。

綾里周辺の海ではホタテ、アワビ、ウニ、カキ、ホヤ、マグロ、サケ、マス、ワカメ、コンブなどさまざまな海の生き物が浜にあげられる。昔と比べると捕れる種類や数が大分変わったようだ。特にサケは水温の上昇などにより、近年ではさっぱり獲れなくなってしまった。海と生きるここの人たちにとっては、海の環境の変化は生き方の変化に直結する。ここで過ごした3週間で自然と生きていくことを少しだけだけど実感した。切り身の魚やパックに詰められたワカメを眺めているだけでは分からない、生の危機感がそこにはあった。

綾里は海だけじゃなく、山も豊かだ。春になるとポコポコとそこら中から食べられる植物が顔を出す。フキノトウ、タラの芽、コシアブラ、フキ、シドケ、ウド、コゴミ、ゼンマイ。綾里の山に入ると樹種の多さや森の明るさに驚く。下層の植物も多種多様で、ササなどの単一種が蔓延る山とは大きな違いがあった。

凪のような暮らし

漁師たちが「今日は最高の凪だった。」と言う時
それは風が無く、波が小さく、海が穏やかなことを意味する。私は綾里での暮らしは「凪」に近いと感じていた。毎日、漁に出てワカメを刈り、小屋で仕事をする。変化は少なく、また一つ一つも繰り返しだ。穏やかで変化のない日常はつまらないと言われるかもしれない。けれど、そういう時間にしかできない話や見つけられない小さな自然がある。日々変化に溢れ、たくさんの情報の波が押し寄せる日々には忘れてしまうような、儚くて小さくて大事なもの。3週間は断片的にはとても長く、全体としては本当にあっという間に過ぎて行った。故郷のようで別の時代のようで、別の世界のような不思議な場所だった。私はきっとまた綾里を訪れるのだと感じた。

綾里での暮らしと普段の暮らしのギャップは大きく混乱もある。綾里を離れた今こそ、凪のような時間を暮らしに取り入れて、普段見落とすてしまうような小さて大事なものに目を向けて見ようと思う。


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