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東京都知事選挙と東京の今

久しぶりにnoteを書くから、書き方というか編集の仕方を忘れた。
まあ読みにくい感じになったらお許しください。あまり構成とかを考えずに思いつくままに言葉を連ねていきます。

①都知事選挙で浮かんできた感覚

普段から割と生活のスタイルが一般の社会人と違うので、主に午前中に時間があり、さりとて別に今更新しい勉強などもする気がないので、よく国会を見ていた。
無論、午後からは意図的に仕事や作業をしながらBGM気分で音だけ聞くしかできず、よほど興味がある場合は、帰ってから深夜に1.5倍から2倍速で見る。

少しづつ国会の仕組みや習慣に慣れてくると、各委員会などでの各論も理解できるようになると面白くなるので、次に自分の中にあるテーマや興味、あるいは心配事や憂いが明確になってくる。
実際X(旧Twitter)では、#国会や#国会中継というタグで検索すればそういう人は多く散見できる。
そして、自分の考えに近い考えや質問をする議員を多く見るようになって、その人達が所属する政党を贔屓目に、その議員と異なる見解や回答をする政党を毛嫌いするようになる。
ここまでは簡単に行き着き、それゆえに毛嫌いする政党に悪態ばかりを重ねている人はXには多い。

私も当初は例外では無かったが、ある時、ふと思った。
そんなことは単なるストレス解消で、そのストレスは自分で作ってるだけで、社会は思った方向には1mmたりとも変えられない、と。

そこで、毛嫌いしてようが贔屓してようが、一様に全部聞くようにして、自分自身の頭の中では何が問題で、どういう考えがあり、或いは何がこの発言者に感じる違和感や論理矛盾になってるのかを考えたり調べたりするようになった。
まあそれでも国会視聴者としては中学生ぐらいなんだろう。

そして恐らく高校生になるというのは、自らの政治思想の中で、他人に主張できるものにまで理論化して、何らかの形で実際に発信することなのだろう。そしてその高校の3年生ぐらいで「立候補」という行動につながるのだろうと思う。
勿論、ここでいう「中学生」や「高校生」或いは「高校3年生」なんていうのは比喩で、実際の年齢や学生のことではない。

こうした中で、2024年7月に迎える東京都知事選挙を、あくまで一有権者であるが、意識して考えるようになったのは2023年の秋ごろだった。
当時はそれこそ国政は裏金疑惑がいよいよ少しづつ表面化がされていくころで、例に漏れず、自分自身にも今の与党と野党の大差が長い期間続いている背景に「カネ」という存在が色濃く存在する現実を理解しだした。

選挙は現職が強い。その理由は、現実的な目の前の問題やその対策に、よりリアルな情報を持っているからだと思っていたが、確かにその一面はあるものの、やはり持ちうる「資金力」がいかに活用されているかはよくわからず、単に「金がある人は、賄賂などでバレない様に悪用している(票を買っている)」と考えていた。

実際には、そんなことよりも大半は、候補者として供託金や事務所費や街宣車関係、チラシやポスター、そして最も大きいのは私設秘書やスタッフの人件費で、立候補者は人を雇って、本人がいない中でも普段から選挙区内で有権者と人間関係を持ち、互いに協力関係を持ち、いざという時にその人たちが投票で名前を書いてもらえるように努力している。

現職が強いのは、やはり他の仕事の収益よりも若干いいという状態にあるのと、スタッフとして慣れた人が周りに多いことから、有利な環境が作りやすいということだ。

自民党の裏金が問題なのは、そうした資金にめちゃくちゃに余裕が出て、他の政党、特に行政に直接携わっていない野党との差が大きく開き過ぎてしまうからである。
とくに小選挙区選挙では椅子が1個が多いので、その環境的大差が大きく左右してしまう。
けんかで例えれば、金属バットを振り回す防具でバッチリ包まれた相手に、けがをした右手のみで挑むようなものだ。
スポーツでいうドーピング程度の生易しい話ではない。

とそんな考えでいる中で都知事選を考えた。

すると、小池百合子都知事にどれぐらい裏金があるかは知らないが、少なくとも政策情報と資金という環境はものすごく有利で、これを崩すには相当の力がないとならないと気が付いた。

選挙のプロではない単なる一有権者でしかない私ですら、簡単に行き着いた。

例え野党第一党の立憲民主党でもここを崩すにはかなりのネームバリューと信頼がなければ崩せないと思った。

②石丸伸二元安芸高田市長の立候補

結局、東京都知事選挙に誰が立つかはどんどんと先送りにされ、まずは国政では裏金問題の解決を優先となっていたが、もう時期がないぞと言われ始めた5月に、元広島県安芸高田市長の石丸伸二という人が名乗りを上げた。

当然であるが、都民である自分には「この人はなにもの?」という感覚であった。
もっと簡単に言えば、「小池百合子に勝てるわけがない」という感想。
また、「万が一小池百合子を倒したところで、体制も予算規模も、広島の一市とはかなり違い、運営できるわけがない」とも思った。

その感覚は今もなお変わっていない。
とにかくも議会や議員、或いはメディアへの罵倒がユーチューブで視聴者を集めたことから、市議会と対立していったという面があり、その手法を東京都政に持ち込んだら、普通に働いてる都民の人達にもかなり大きな影響があると懸念された。

子供の喧嘩状態を作り出して都政の運営を図られたら、都政は独裁化してしまい、その持ちうる権限や資金力はかなり危険な状況になると危惧された。
一部の「体制へのストレス過剰」な人たちには受けるだろうが、小池百合子都政に何らかの反感がある層には受け入れられないだろうとも思った。

今現在、彼はどうか知らないが、私は国政でも、こういう「受け狙い」や「ステレオタイプの自信家」は、例え反体制でも信用していない。
議員、議会、首長というような「選挙で選ばれた人達」というのは、いわば仕事で言えば「交渉係」の延長のようなもので、一定の基準に達するまで徹底的に話し合い、できる限り現実的な策を生むものだ、と思っているからである。

国政で自民党による政治資金改革に半端だと怒っているなら、実は消費税廃止や政治家の排除などという夢想の強引な発信にも反対して間違いないと確信しており、大半の庶民は「そりゃ結構なことだけど、現実にできるわけがない」と感じている。

しかし実は東京では、こうした「夢想」が結構な勢いで蔓延している。
個人の思想信条の自由という範囲である限りは、別に問題はないのだが・・・・
まあそのことは後で語ろう。

③出馬表明の乱立

自分が知らないところで、実は2月から東京都知事選挙に出馬表明していた。相川絹二郎(アキノリ将軍未満)、桜井誠、NHK党から13人、黒川敦彦、根本良輔、尾関亜弓、石丸幸人、木宮光喜、NHK党は2名追加・・・

だが一人たりとも、小池百合子を押しのけてその椅子に座れるとは思えなかった。

立憲民主党から蓮舫、保守界隈から田母神俊雄が出馬表明後も、清水国明、へずまりゅう、安野貴博、ドクター中松、小林興起、AIメイヤー、福本繁幸、加賀田卓志、内海聡と・・・

実は昔から東京都知事選では、こうしたよくわからない人や小さな政党を名乗る人が多く出馬する。
ドクター中松氏なんぞはその典型例と言ってもいい。

何名かは立候補届け出前に辞退するのだが、数名である。
また、こうやって出馬の名乗りをわざわざ挙げる人も比較的少なく、いざ告示となって名前が出る人も多い。

今回の場合はひまそらあかねと河合悠佑を除いては告示前に表明会見をわざわざ開いている人が多く、また立候補者もいつもにまして多く、最終的には小池百合子を含めて56名にもなった。

供託金が一人300万円で、投票者の1割以下の得票数だと没収されるので、恐らく50名近くが没収されるといわれており、没収総額は1億とも1.5億ともいわれている。

勿論、立候補は被選挙権という権利なので否定されるものではないが、ハナから勝つという信念を持って立候補している人は少なく、また今回は約3週間掲出されるポスター掲示板の掲出権を売るという発想の人まで出てきた。

こうなると、公職選挙法の見直しが叫ばれ、立候補のハードルを託しないとならないということになる。

これは実は東京の今の社会の影響でもある。

④堀江貴文の台頭と社会の低迷

ホリエモンこと堀江貴文氏が話題に多く上がってきたのは2000年代初頭。その後2006年に逮捕されるが、当時のメディアでは、彼の活躍と資金集め能力、更には悪評やあることいないこと、どこまでが真実かわからないことまでが伝えられ、世論は超信者と超否定者に分断されるほどになった。

やがて2013年に仮釈放される頃には、超信者によって神格化されており、その様相は今も健在である。

これはまだ言っても高価だったパソコンが安価になり、インターネットの普及がかなり高まり、個人が何らかの形でネットの中で個人主張を発信しやすくなった時代とリンクしたのだ。
ちなみに初代アイフォンの発表は2007年である。

一方で社会では、いわゆる平成バブル景気を終えて、景気後退局面に入り、デフレスパイラルに陥り、どんどんと荒んでいき、庶民の中にはストレスが溜まっていった。
パソコンやスマホの普及は、そんな社会において格好のストレス発散媒体となったのだ。

このあたりから日本社会は新しい分断社会へと変わっていく。
一つは、それまで普通とされていた典型的な社会迎合型の人達、二つ目は、どうせなら目立って一攫千金をという人達、三つ目にただただ今の世の中に苦情を吐き生活している人達。

やがてそこに「SNSによる収益」という社会構造的変化が現れた。
最も台頭したのは「YouTube」によるものだ。
これに飛びついたのが、いわゆる前出の二つ目にいる人達だ。
やがて、その層は大きくなっていき、社会性も持ち始めた。
小学生の人気職業第一位がユーチューバーになる時代の到来である。

しかしそれは「真面目に一生懸命になっても大して稼げない」という心理の裏返しでもあり、実は彼らの台頭と並行して、三つ目に登場した苦情発信型の人達も増え、簡単には景気の回復につながらなくなっても来た。
そして多くの人が「自己の主張をしなきゃ損する」という思いを持つようになり、世の中の風潮として「利己的な、或いは自己満足重視型」の思考が強くなってくる。

勿論、その自己満足の基準が社会貢献やボランティアである人も増えてくるが、こうやって選挙で勝てなくても立候補するという方向にも向いてくる。

つまり今回の東京都知事選の様相は、東京で暮らす人々の縮図であるといっても過言ではない。

⑤小池百合子の計算、蓮舫の賭け

さて今回の東京都知事選挙で、本当に東京都知事の椅子を争うのは、この二名であろう。
小池百合子というとても強い存在に勝てる候補者を出せなかった自民党と公明党、および国民民主党は、小池百合子に相乗りした。
勿論小池側もそれを見越して、かなり前からしたたかにそれぞれの政党との融和関係を築いてきた。
都議会で、小池都政に反対を表明されないように、自民党とは総理に限らず、いわゆる派閥の長と言われる人たちとも親交を重ねてきた。
まあさしずめかつてのフランス貴族や王族の振舞いである。
国民民主党とはかなり前に手を結び、公明党は自民党を取り込むことで手なずけた。
これによって前章で登場した「一つ目」の人達を取り込んだのだ。
実は世の中にはこの「一つ目」の層が最も多い。しいて言えば、東京は他地域よりわずかに少ないだけで、東京が物流も商店も交通も、割と正確に機能してるのは、この「一つ目」の層が多いからだ。

しかし一方で、実は自民党が弱まった背景には、この「一つ目」の層を裏切ったことにある。
裏金事件を通して、現実を突きつけてしまったのだ。さらにそれをインフレが襲う。
4月の衆院補選や港区長選は、自民党支持という人達の半分以上が寝返った。

蓮舫はそこに賭けたのだ。
前出の「三つ目」の層の人達と「一つ目」だが寝返った人達を合わせれば、東京ならば小池百合子と勝負できる。
実際、補選や区長選は勝利した。
唯一の違いは、国会が閉幕し、不完全解決である自民党への怒りが「一つ目」の人達に残っているかどうかである。

⑥本当なら

本当ならば、勝てそうにない候補者は全員辞退してもらいたい。
小池百合子と蓮舫の戦いに有権者の票を集約してもらいたい。
そうすれば「二つ目」の層は無党派層となり、またその支援者である「一つ目」や「三つ目」の層も無党派層になり、真に掲げる思いや政策のくっきりとした対比になる。
なかなか動かない女性層や政治に興味を持たない若者層も動くであろう。
そうなれば、どちらが当選するかで、東京の未来は決まってくるというもんだ。


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