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常に変わり続けること

 哲学者・東浩紀氏の著作『訂正する力』を読んだ。本書を読む中で感じたことは多々あれど、人間は常に変わり続けていくことが大事なんじゃないかと改めて確信した。この「変わり続けていく」ことに関して、科学・生命・精神のそれぞれの観点から見つめ直したい。


科学とは反証可能性
 科学史を学ぶときに必ず登場する、「ポパーの反証可能性」というものがある。これは「提唱された理論が今後の実験や観察によって反証されうる」ことを以て、その理論を科学的とみなす姿勢である。ニュートンの古典力学やシュレディンガーの量子力学も、これまで観測されている事象には少なくとも適合する理論であって、あくまで現時点では正しいと信じられている理論であることを念頭に置くべきである。いつか理論にそぐわない現象が見つかって、新しい理論の方が現象を説明できるようになるかもしれない。その代表例が天動説から地動説へのパラダイムシフトだろう。徐々に科学が発展する中で、観測された事象が天動説に適合しないことが多発し、新しい理論として地動説を確立する流れが出たのだ。今後もこのようなことが起こらないとは断言できない。


生命とは動的平衡
 福岡 伸一氏によるベストセラー『生物と無生物のあいだ』では、生命の本質は動的平衡性にあると結論されている。これはすなわち、我々の身体を構成している成分は変わっていないように見えて、我々の身体に取り込まれる成分と同じ種類・量の成分が同時的に放出されて、それが釣り合っているにすぎないのだ、ということである。食事したら排泄しなければいけない、活動したら休まなければならない。冷静に考えると非効率的に思えるかも知れないが、だからこそメリハリが生まれて活き活きとするのではないだろうか。食事があるから味わう楽しみが生まれる、活動できるから交友関係が深まる。常に「足りない」状態にあるからこそ、我々は生来的に新しいことを欲するのだと思う。


精神とは非一貫性
 SNSでの発信により個人の思想が開示される中で、発言の一貫性が暗黙のうちに要請される世の中になったと感じる。周囲の環境や自身のライフステージによっても思考は変わりうるのは当然だ。思考の非一貫性を要請すること自体が思考停止につながっている。
 巷で流行しているリスキリングについても、「このスキルを身につければ大丈夫!」という安心感で一時的に満たされてしまったら、結局思考停止だ。そうではなく、「世界の動向を気にしながら必要なスキルを学び続けていこう」という心構えの方がより重要だと思う。思想だけでなくスキルも変わり続けていって良いのだ。


終わりに
 私たちは常に変わり続けている。それは身体的なレベルではなく、精神的なレベルにおいてもきっと同様だ。意識や考え方を強固に持ちながらも、他者からの指摘を恐れずに受け止めること。その時、他者の異見を決してすぐに受け入れる必要はない。あくまで受け止めればよいのだ。それこそが、今の時代に求められる「しなやかさ」だと思う。

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