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【今日コレ受けvol.036】原稿の最初に
朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。
毎日文章がうまくなりたい、とnoteを書いている自分が言うのもなんだが、文章は技術ではないんだな、と思う瞬間がある。
例えば、「電子書籍を出したいけれど、文章を書いた経験はあまりない」とおっしゃる著者の方の原稿を編集者として読むとき。
「誰に」「何を」伝えたいか。
読んだ相手にどうなって欲しいのか。
そこがビシッと固まっている方の文章は、どんなに荒削りでも面白い。
おそらく、「書いている」のではなく「伝えている」からではないか。
その人だけが持つコンテンツを。
ただ、この「伝える」感覚が難しく、書いているうちに見失いやすいものだ。私も偉そうなことは言えない。見失っていることもあるだろう。
何故そうなるかというと、書いているうちに「うまく書きたい」「読みやすく書きたい」と、つい思ってしまうからかもしれない。
それも必要なんだけれど、あまりにもそこに目がいくと本分を見失う。輪郭がぼやけていく。
そこのバランスがとてもむずかしいのだと思う。
では、見失わないようにするには、どうしたらいいのか。
「企業の顧問編集者」をされている竹村俊助さんという方が以前Xで呟かれていて、実践していることがある。
文章を書く前に、手紙のように、その文章を読んでほしい相手の名前を書くのだ。「●●へ」と。
すると少なくとも、「誰に」はぶれない。
それだけでもかなり大きいと思う。
あとは「何を」伝えたいか。
そして、読んだ相手にどうなってほしいのか。
それをいつも頭に浮かべて原稿は書いている。
そう、原稿は。
このnoteの文章については、「誰に」「何を」がない。
「今日もコレカラ」を読んでからの、自分の気づきを、思考をただ綴っている。
それがあわよくば、誰かの思考にタッチすればいいな、そこから新しい思考がはじまればいいな、と思いながら。
昨日このnoteを読んだライターの先輩から、
「人間は考える葦である」というパスカルの言葉を思い出した、という感想をいただいた。
これって、タッチできたのかな、できなかったのかな? 明日会うので聞いてみよう。
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