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人生百年、退職後の生き方、息子を通し ての社会参加

息子誕生と私の中の変化

母親似の色白で目が大きい幼児の息子をベビーカーに乗せて行くと綺麗な娘さんと出会えるのが楽しみになりました。息子を見かけると必ず駆け寄ってくるデパートの化粧品売り場の娘さんはすこぶるつきの美人でした。
この変化はごく軽い変化です。
大きな変化は自分が過去から未来にかけての連環の輪の中にいると気付いたことです。
成長するわが子の変化を目にする喜びに勝る喜びはありません。そこで気が付いたのです。
私が現在あるのも父母の愛情によって育てられたからだと。
戦前、戦中、戦後の大変な時期に身を削るようにして7人の子供を育ててくれた父母に、今まで以上に感謝の念を持ったのです。
子をもって知る親の恩です。そしてさらに考えました。
父母もまた祖父母の愛情によって育てられたのです。息子も子供を持つようになったら同じことをするでしょう。
このような連環の輪の中にいる自分に気が付いたのです。
もう一つ子供の頃のことを思い出しました。仏壇の上の鴨居のところに亡くなった祖父母の写真が飾ってあったのです。仏陀にお祈りするするとき、父が良く言っていたことです。「お祈りすれば祖父母が家族みんなが安全で元気であるようにと見守ってくれるのだよ」という意味のことを言っていたのです。
私も今、なき父母に向かって心の中で言うのです。「遅ればせながら(30年もですよ)こんなに元気で可愛い息子がうまれました、どうか見守ってください」と。
付記;見出しの写真は我が家の庭の花です。傍らの壺はガラクタ市で約700円で買いました。数百年前のタイ北部のサンカンぺ―ン窯の壺と思われます。
下の写真は私のお気に入りの散歩道です。ジャングル小路と勝手に名付けています。

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息子を通しての社会参加

真の意味で社会の一員になったという意識を実感。
息子の運動会で親同士の楽しさ増大。

私の息子が通っていたタイの小学校の運動会は、日本的な見方からすると、誠にいい加減でデタラメと言えます。
広い校庭の中央の一部分で競技が行われます。
子供たちは自分の出番の時は先生のもとに集まりますが、そうでないときは競技場所の周りで子供同士で遊んだり、両親のもとに行ってお菓子を食べたりしているのです。
親の方も、時々,競技を見はしますが、親同士のおしゃべりや飲食の方が熱心です。
時間どおりに競技を進行させることなど生徒はもちろん、先生もいっさい気にしていません。
私もこのお祭り気分の運動会の空気に染まり、すっかり楽しくなってきました。
私はお菓子の用意をしてこなかったので息子は知人でもない他人の親から袋入りのお菓子をもらい,空になったら、お替りまでもらっています。
どうしてこんなに楽しい気分になるのか?と自問してみました。
親たちが子供を慈しんでいる姿を見て、共感、共有を感じたのです。
私も親として彼らと共に楽しんでいることに大きな喜びを感じていたのです。
息子の遊び友達『○○ちゃんのお父さんこんにちは」とも言ってくれます。もう一つの新しい自分を発見したのです。私は夫になり、お父ちゃんになったことを実感しました。
社会により深く参加できたのです。人間は社会的な動物であると改めて実感したのです。
息子の父親でなければ入り込めない、子供たちの世界に入り込めたのです。遊び友達のお母さんたちとも子供の教育について、おしゃべりもできるようになったのです。


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