竜のタトゥのあーたん②車椅子生活になったら少女が押しかけてきた
そうかもう僕の恋人が死んでもう10年たつのか。
そうするとあの車椅子生活からも10年たったんだな。
右足を痛めたのはたいした事故でもなかった。
うかつに準備運動をせずに友人と激しい運動をしてしまい。ふいに右足からバチンという音が鳴った。
この時じん帯が切れてしまったらしい。
でもなんとか動いたので、激痛ながらごまかして元気にふるまっていた。
(何人かの友人といっしょだったしね。)
この時、無理をしたためにふくらはぎの筋肉にも何箇所か筋肉断裂を起こしてしまったらしい。
右足の激痛をまる1日ほっておいた僕にもちろん罰は下った。
僕は夜中の新宿のど真ん中で動けなくなってしまい、うずくまって言葉を発する事も出来なくなってしまった。
友人の5番目のマリちゃん(*1)と調度いっしょに行動していたので、救急車を呼んでくれた。
たかだかじん帯と筋肉断裂ではあるが、それなりに手術をする事になった。
手術はそれほど難しくなかったのか、1時間ほどで終わった。麻酔もあり不安ではあったが、痛くはなかった。
二日後にはもう帰っても大丈夫だと言われたので、帰る事にした。
松葉杖での歩行の方法を教わったりした
「どなたかあなたのサポートしてくれる方はいますか」
との看護師の質問に
「いえ独り身なので頼める方はいません。家族とも疎遠です。」
そう答えた。
「では1万円ほどですので車椅子のレンタルをお勧めします。どうされますか?」
頭の中での僕の車椅子の持つイメージは、現実よりかなり軽快なものだった。
「ぜひお願いします。」
こうして僕は約半年ほどの車椅子生活を送る事になったのだ。
病院で練習はある程度したものの、車椅子のコントロールは想像してたよりずっと難しかった。ああこれも出来ないのかと、自分に出来る事が減っていく毎日だった。当然仕事もままならず、いろいろな目標は中断しなくてはならなくなった。
自宅前の横断歩道は青の間に渡りきる事は出来なくなったし、行き着けのスーパーもコンビニも段差で入れない。
もっと大変だったのはトイレだ。トイレが近い僕にはその度に死活問題だった。
いつか僕は右手と目と頭脳があれば、僕は体が動かなくなっても仕事を続けると豪語してた事を思い出した。
とんでもない。
車椅子で仕事するというハードルは想像より遥かに高かった。
唯一の救いは僕がサラリーマンではなく在宅の自営業だった事か。いや逆か。リーマンなら体が不自由で休んでいても給料はもらえるからね。
こんな時に一人ボッチがこんなに不便なのかとあらゆる未来に
絶望した。
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