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本日の「私の脳細胞を通過した本」

クーリエ・ジャポン編『新しい世界』(講談社現代新書 2021)
奥野克己・近藤祉秋・辻陽介編『コロナ禍をどう読むか』(亜紀書房 2021)

前書は副題が「世界の賢人16人が語る未来」とあるように、現代の知のトップアスリートが、昨年来のcovid-19に揺れるこの世界をどう見ているのかを垣間見る一冊。基本インタビューによるものだけに、読みやすい。
 不勉強なおっさんは知らない人も結構いたのだが、この本を読んでから、本人の著作を手にしてみたくなった人もいる。

後書は副題に「16の知性による8つの対話」となっている。前著が、コロナ前のインタビュー記事にコロナを追加取材したものだが、こちらは、最初の緊急事態宣言のころから、オンラインの形式で行われた日本の知性による対談を納めている(正直に告白するが、既知の知性は2/16。ごめんなさい)。

前書で、covid-19が、ゆったりとした生活を人びとにもたらしているという指摘はうなづけるし、オンラインによるコミュニケーションについても、賢人たちの間で、意見が分かれるのもおもしろい。
 私が、心動かされたのはフランスの人口学者エマニュエル・トッド氏の「高齢者を救うために若者を犠牲にすることはできない」という指摘。
 日本でも、感染者は圧倒的に若い世代が多く、死者は高齢者に集中する。医療現場を追いこんでいるのは、高齢者であるという現実。そのために、社会が動きを止め、仕事にせよ、学びにせよまわりまわって若い世代が側杖を食っているという不都合な? 事実がある。
 若い世代は自分たちの重症化が見えない代わり、その、延長線上にある高齢者の重症化、死亡者にも想像力が及ばない。
 メディアも国もそういった因果を説明する努力を怠ったのではないだろうか。

後書は、表面をサラサラと読み流すおっさんには「予備知性」がないのでちょっと手ごわかった。
 それでも、
 ”ウイルスは敵なのか”、
 ”文字導入前に東北まで統一した日本”、
 現在進む欧米諸国による(日本も加担)中華包囲網は、コロナ賠償請求の前段で、結果として、戦が起こり、攻撃してもいちばん文句の少ない日本がターゲットになるのではないかという”不安”、
 ”ヨーロッパが飴と鞭の国家なら、日本は飴しか持ってない”、
 ”オンラインの面談の安全性(ボディーコンタクトが皆無。ゆえに、泥酔した女子をホテルに運び込んで強姦するなどは起こりえない)”、
 ”ハンセン病と比較し、国家のみに責任が問われ、市民の責任は免罪されている”
 などなど、つるっつるのおっさん脳にも引っかかる言葉が多かった。
 とくに、「自粛要請」という日本語の不安定さ(自律と他律の相反することばの羅列)の指摘は完全にスルーしていた自分の不明を恥じた。
 手に持てばそれなりに味わいもある装丁だが、表紙も背も装画の
精密画に小さい白抜き文字で書名が入っており、正直、書店の棚での販売は考えていないのではないかと思う。

両書を読んで理解したことは、自分で考え、自分で情報を補足し、自分で判断して、自分の身を守ることしかない、というごく当たり前のこと。
 大切な人を守るためとかいうが、ここは、東北の震災に学んだ「てんでこ」精神が重要だと思う。(完)


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