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本日の「読了」

佐々木実『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』(講談社 2019)

いやぁー、装丁も含めて厚さ4センチ余の本──などというおっさんが読む本ではなかった?
 近代経済学史ともいえる内容だが、小難しいところは読み飛ばしても(ごめんなさい、書いた人。)読みとおすことで、ぼーっと生きてきたおっさんにもわかったことがある。
 中国がぁー、イスラーム国がぁー、北朝鮮がぁーと種々「脅威」というものが存在しますが、アメリカの資本主義、それに支えられる政治ほど、この世にとって「厄介」なものはないということ。
 本書にも指摘されているが、日本に原子爆弾を落とし、何十万もの非戦闘員を殺害し、ベトナムでとてつもない大量の爆弾を降らせただけでなく、枯葉剤を撒いて、土地を傷つけ、現在に至るまで住む人を傷め続けている国、その国を動かしている経済とその理論(たとえば、ベトナム兵を一人を殺すコストの計算を経済学者が行う)を信用できるのかという根本的な問題。リーマンショックにしても自分の国が「発生源」なのに、しれっとして、その後もさらに精緻なマネーゲームを展開している。
 アメリカで研究していた時代の同僚や恩師が「ノーベル経済学賞を貰って当然だった」と口をそろえる男・宇沢弘文氏は、日本に帰国後、水俣をはじめとする公害と、成田開港問題と真正面から切り結び、自然環境のみならず、人間が持続可能である社会を支える理論の構築が必要であると確信を深めていく。
 成田問題では後藤田正晴氏に助力を頼み、後藤田氏も応え、そればかりか、宇沢氏の「三里塚農社」の行く末の心配もする。
 さらにその後、民主党政権時代には、ブレーンとして迎えられるも、岡田哲也氏に切られる。このあたりは、現政権の専門家を都合よく「使い」「捨てる」のと重なって見える。
 日本の現実社会と切り結ぶ中で、宇沢氏が「社会的共通資本」「コモンズ」をベースにした新しい構想をまとめる時間は残っていなかった。東日本大震災直後に倒れ、数年後に亡くなる。
 
社会的共通資本とか、コモンズとか、最近流行の渋沢翁関連で耳にするような気もするが、本書では、宇沢氏が「日本資本主義の父(母はだれだ?)」と称される渋沢翁触れた記録は残されていない。
どう思っていたんだろうね。

借り物ではない、目の前の「人が生きる現実」を「すこしでも豊かにする経済理論」とはいかなものなのか。孤独に奮闘した人間の生きざまに「今この時期に」触れるのも悪くない。[2021.07.25.ぶんろく]

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