名前の話

「あまちゃん」でおなじみの、岩手県久慈市で僕は生まれた。この街出身の母が帰省して産んだのだ。

両親にとっては第一子、母方の祖父母にとっては初めての孫の誕生だった。生まれたからには名付けねばならない。さっそく家族会議が開かれた。

運命は、父、母、祖父母の4人に託された。遠く盛岡に暮らす父方勢に出る幕はない。おっぱい飲んでねんねしていた当の本人も蚊帳の外だ。

最近ではすっかり様変わりしただろうけれど、日本の男性の名前には漢字2文字が多かった。なぜか。親から1文字もらって付ける習慣があったからだ。いや、違うかもしれない。まあでも、家康、家光、家綱、家宣…のどれが誰状態は、実際そういう風にして起こっている。

そんなわけで、僕の名前もそうしようということになった。ついでだからおじいちゃんからも1文字とればいいんじゃない? いいねえ。そうしよう。よし、決定。意外とすんなり決まったね。ほんとほんと。ねえ、晩御飯どうする? 毎日お刺身も飽きたなあ。とりあえずビール持ってきて!

まだ夏の日差しが残る蒸し暑い8月の終わり、僕の一生を決める大事な会議はこうして無事に終わりかけた。

ちなみに父は名を勉(つとむ)という。1文字なのでまずはこれを使う。一方、祖父は吉松(きちまつ)。孫が言うのもなんだが縁起のいい素敵な名前だ。もらわない手はない。よーしできた。命名・勉吉。べんきち。僕の前に開けたまだまっさらな人生が、少しだけ険しくなった瞬間だった。

それから長い年月が過ぎ、思春期を迎えていた僕は、母にこの話を教えられて10数年越しの冷や汗をかいた。反対してくれたのは母だった。お腹を痛めて産んだ本人はやっぱり責任感が違う。他の3人には文句のひとつも言ってやりたかったが、ひと夏の過ちということで大目に見てあげた。

結局、最終的に名前を決めたのも母だったらしい。なぜこの名前にしたのかと聞くと、いつも目にしていたこの字が好きだったのだと教えてくれた。こうして僕の名前は、母の叔父さんの漁船「裕翔丸」から1文字だけもらってユタカと付けられた。残念ながら僕にはその船の記憶がない。一度それに乗って、大らかな久慈の海に揺られてみたかったなと、今更ながらにそう思っている。

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