希望の話

「サウルの息子」という映画がある。

ナチスの強制収容所で働くひとりの囚人に、カメラが死神のように張り付いて追い回し、その内側を写し撮るとても生々しい作品だ。

途中、悪名高いガス室の場面が出てくる。はじめに広い更衣室に集められた人々は、「シャワーを浴びるため」に服を脱ぐように命令される。そしてこんな風に声を掛けられる。

「自分の持ち物の場所を覚えておけよ」

彼らがシャワー室だと信じて押し込まれる部屋は、もちろんガス室だ。みんな中で死んでしまうのだから、荷物の場所など覚える必要はない。後でここに戻って来ると信じ込ませて、素直にガス室に向かわせるための嘘なのだ。だから人々がガス室に入り終えると、係の人間はすぐに残された服を漁りはじめる。そして価値のあるものはすべて持ち去られてしまう。

人が不安に立ち向かう時、希望というものはとても役に立つ。その心理を逆手に取ったこのずるい嘘は、何気ないシーンだったけれど、観るほどに気が滅入ってくるこの暗い作品の中でも強く印象に残っている。

新型コロナウイルスの感染がものすごい勢いで広がっている。「SARS」や「MERS」の時も背筋が冷えるような恐怖を感じたけれど、まさか世界中がロックダウンしてしまうSFめいた未来は想像していなかった。

そんな中、日々圧力を増して押し寄せてくるニュースを通じて、世界のリーダー達の振る舞いを知る機会が増えた。有事には後回しにされがちな芸術家へのリスペクトと支援をいち早く表明したドイツ。「子供を寝かせていた所だから普段着でごめんなさいね」なんて言いながら、首相が動画で国民に語りかけたニュージーランド。なりふり構わぬ言動(と髪型)そのままに、自ら最前線の医療現場を目撃する羽目になったイギリスの首相さえ、日本にいるとその人間らしさが羨ましく見えてしまう。

本物の希望を持たせてほしいなあと思う。別に巧みな演説でなくていい。ほの暗い不安をやわらげる、血の通った心からの言葉が聞きたい。自分達のリーダーに、怒ったり、呆れたり、ずるい嘘で煙に巻かれたりするのはもういやだ。

「コロナ一過(いっか)」の晴れ晴れとした空を想像する。遠方の友人を訪ね、マスクなしに笑い合うその日を。不要不急だらけの週末を。会社に行くのが面倒な朝を。そんな当たり前を、今はただじっと待っている。

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