フルマラソン

ランニングを始めて6年になる。

最初は5キロがやっとだった。ちょっとハマってマメに走っていたら、ある日たまたま7キロいけた。そうしたらフルマラソンを経験している友人に、「7キロ行けたら10キロ行けるし、10キロ行けたら20キロ行けるよ」と言われた。

乱暴なことを言ってはいけない。たかだか5キロの間でさえ、僕は空腹の子猫のように弱音を吐く自分の心にムチをふるい、返す刀でこれを走りきったら高いアイスクリームを買ってやってもいいと甘い話を持ちかけて、どうにかこうにか持てる力を絞りつくしているのだ。たとえばここが砂漠の真ん中で、1キロ先に緑のオアシスが見えていたとしても、今が7キロ地点ならもう一歩たりとも進めない。バッタリ倒れたきり、ジリジリ近寄ってくるハゲタカと、目の前をチラつくハーゲンダッツの幻を追い払いながらゆっくり干からびていくしかないランニング初心者なのだ。

それなのに友人はそんな僕が20キロ走れるようになるという。普段1分しか息を止められない人が、すぐに4分でも止めていられるようになると聞かされて信じられるだろうか。そんなことをしたら、4分のはずが永遠に息を吹き返さないに決まっている。友人が言い放ったのは、それくらい途方もない話に思えた。

ところが素人の伸び代というのはおそろしいもので、こんな僕でもGoogleマップをズームアウトするように、走れる範囲がみるみる広がった。1ヵ月が過ぎた頃には10キロが「いつもの距離」になり、雪が積もっても構わず走り続けた。やがて大会に参加するようになり、ハーフマラソンの距離も大事件ではなくなって、友人の予言は本当になった。もちろん今でもありとあらゆる手を使って自分を騙さないとサボってしまうし、「寒いからやめる」だの「腹が減ったから引き返そう」だのは珍しくない。いろいろ手を出す割に何かを極めるということがない僕らしく記録も頭打ちだが、それでも年齢を考えれば後退していないだけ上出来だと思ってどうにかやってきた。

そんな中、元号も改まる2019年の秋から、僕が暮らす街でもフルマラソンの大会が開催されることになった。「東京マラソン」の抽選に落ち続けている以外、フルにチャレンジしたことはない。だけど「フルマラソンを走ったことがある側」の人間になってみたいとは思っているのでエントリーしてみるつもりだ。5キロしか走れなかった頃の僕にとっては死を意味する8分の息止めも、ハーフを経験済みの今となってはたった2分のチャレンジでしかない。なにか間違えてる気がしないでもないが、今でも必死でやれば2分くらいの息止めはどうにかなるのでもう走れたも同然だ。ご褒美は見たこともない高いアイスにしてやるから、いいか俺、頑張るんだぞ。

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