はじめてのメルカリの話

昨年の暮れ、はじめて「メルカリ」を使ってみた。読みたかった本が安く見つかったからだ。

何もわからなかったので調べてみると、購入前に「購入希望です」とコメントするのが礼儀だとか、ワケのわからない記事を見つけてなんだか怖いところだなと思った。それはそうしてほしいと明記している出品者に対してだけで良さそうだったけれど、僕が買おうとしている相手がその事について何も書いていないのが逆に不安だった。本当にいきなり購入ボタンを押していいんだろうか。僕の知らないどこかで「礼儀正しい」何かが執り行われていたらどうしよう。そんなとこにいきなり割り込んでしまったらものすごく怒られそうだ。この本が欲しい、でも怖い。ああ、事前にコメントしろと言われた方がどれだけ楽だろう。

思いあぐねて「先にコメントした方がいいですか?」とコメントしようかとも思ったが、そんなバカなと考え直し、目を瞑ってエイヤっとボタンを押した。そしてせめて自分が悪い人間ではないと知ってもらうために、入金予定日の連絡を兼ねて丁寧にあいさつのメッセージを入れておいた。

結果から言うとその方はとても良い人で、事はスムーズに運び、目当ての本も問題なく手に入った。僕は何をあんなに怖がっていたのだ。これだけ人気のあるサービスで、欲しいものを買って怒られるなんて理不尽なことがあるわけないじゃないか。安堵した僕は、商品が届いた喜びと共に最後のお礼のコメントを流した。すると間もなく、ちょっと予想外の返事が届いたのだった。

どうやらその人は、たくさんの取り引きの中で何度も嫌な目にあったらしく、メルカリ文化に勝手に恐れをなして誠実に振る舞った僕に感銘を受けたようだった。 「何度もやめてしまおうかと思いましたが、その度にあなたのような人が現れます」と、ほとんど救世主扱いだ。「とても丁寧に応対して頂いてうれしかったです」程度のメッセージしか送ってないことを思うと破格の厚遇ではないか。「もう少し続けなさいということでしょうか」と寂しく笑う顔が見えるような一言に、たかがフリマでと思わなくもなかったが、この人が直面したであろう理不尽や面倒の数々を想像してなんだか可哀想になった。

いつもニコニコと温かく迎えてくれる顔馴染みの個人店の店主たちが、困ったお客への思いをSNSで吐露するのを見かけて胸が痛むことがある。眩しいくらいに素敵な仕事ぶりの彼らの店でさえそうなのだ、ネットの世界ではなおさらだろう。この国ではお客様は神様だから、中には思い上がったり、気遣いを忘れたりする者も現れるのだ。せめて僕自身は、感謝を忘れない客でありたいと思う。そして、できることなら読みたい本くらい本屋で買って、本作りに関わる人たちをバックアップできる大人でありたいとも思うのだけど、どうにも稼ぎがアレなもので、背に腹はかえられずまたメルカリにお世話になることもあるかもしれませんが、その時は皆さん、万が一僕が何かやらかしてしまってもどうかひとつお手柔らかにお願いしますね。

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