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自己の再構築

トルーマン・カポーティ氏の『冷血』(佐々田雅子訳、新潮文庫、2006)からの引用。

「ディックがバスルームのドアの外に立って番をしている間、おれは偵察に出ました。で、女の子の部屋を探しまわって、ちっぽけな財布を見つけたんです――人形の財布みたいなのを。中には1ドル銀貨が入っていたんですが、なぜか、それを落っことして。銀貨は床を転がっていきました。転がって、椅子の下へ。おれは膝をつかなきゃならなかったんです。そのときでしたね。自分が自分の外にいるみたいに感じたのは。何かいかれた映画に出てる自分を眺めてるみたいだったな。(中略)1ドルですよ。それを拾おうとしてはいずりまわってるんだから」

この『冷血』という作品は実際の事件を小説化したものである。ストーリーとしては簡単で、2人の青年が、田舎の領主一家を殺し、逃亡する。そしてつかまり、裁判が始まり、死刑になるという話である。しかし、この小説はストーリーこそ面白みに欠けるものの、人間の中の残虐性や虚無感をかなりリアルに映し出している。引用した部分は、犯人のうちの1人が事情聴取を受けている場面である。

引用した部分と似た経験はきっと誰でもあるのではないだろうか。もちろん、強盗とか殺人の話ではなく、自分が自分でないような瞬間。ヒュッと音が鳴って自分を外側から見ているような感覚。少なくとも、私にはある。

自分が認識していた自己を超えた行動を自身がとったとき。きっとその時、自分は今まで認識していた自己に確信が持てなくなる。自己と認識していた人格が他者になる。

しかし、人はそこから自己を再構築する。自分をより洗練するために、他者である自己を受け入れる、あるいは拒否し、その他者ではない自己を意識する。そのようにして、人は成長していく。


ということをこの描写を読んで、感じた。


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