【映画】「ウーマン・トーキング 私たちの選択」感想・レビュー・解説

凄い話だった。恐らく、この物語をギリギリ成立させているのが、「実話を基にしている」という外的要素だろう。なんというのか、「実話を基にしている」と言われなければ、あまりにもフィクショナル過ぎて、「受け入れがたい」という感覚の方が強くなるかもしれない。

そういう話である。

そして、単に「実話を基にしている」という事実に驚かされただけではない。この物語が、ごく最近起こった出来事に基づいているという点に驚愕させられた。

正直、この話が「200年前の史実を基にしている」というのであれば、さほど驚かなかったかもしれない。しかし、この映画の舞台は2010年である。さすがにその設定には無理があるんじゃないかと感じたが、原作小説が基にした実際の事件は、2005年から2009年に掛けて起こった出来事だという。たかだか20年前の物語である。こんな現実が、僕らの生きている世界と地続きの空間で起こっているという事実に、驚かされる。

さて、もう一つ先に触れておくべきだろうと感じる点がある。それは、物語の舞台となる村が、どうやら特殊な成り立ちのものである、ということだ。僕は普段、これから観る映画についてまったく何も調べずに行くので、基本的な情報は映画の中で語られるものから推測するしかない。この映画は、村の設定や登場人物同士の関係などの「説明」に時間を割かないので、とにかく、「女性たちが真剣な話し合いをしている」というその背景に、どういう要素が含まれているのかなかなか捉えにくい。村についても、「村の成り立ちが特殊だから」「誰もがこの村の成り立ちの犠牲者と言える」のような形でしか示唆されないので、映画を観ている間はその辺りのことが上手く理解できないでいた。

後で調べてみると、彼女たちが住んでいる村は「宗教コミュニティ」なのだそうだ。つまり、何らかの宗教(キリスト教だとは思うけど)を基にした共通の考え方を持つ者同士が集まって一緒に暮らしている、というわけだ。どうしても日本人の僕は、「オウム真理教の出家」とか「『カルト村で生まれました』というエッセイで知られる、閉鎖的な集団生活」などを想像してしまうのだが、当たらずも遠からずと言ったところだろうか。

そのことをきちんと理解していなかったので、冒頭の方で出てくる「男たちを赦さないと天国での居場所を失う」みたいな発言の「重さ」みたいなものがイマイチ理解できなかった。欧米ではキリスト教が割と当たり前に信仰されている印象が僕の中にはあるので、「たまたまキリスト教の信者が多い村」ぐらいにしか捉えていなかったのだ。

「宗教コミュニティ」という特殊さも加わるので、ちょっと「日常感」から浮遊する感じはあるが、「尊厳のために闘う」という側面は、僕らが生きる世の中の様々な場面で繰り返し現れるものだ。村の男に対して、「塩を取って。辛い時に背中をさすって」程度の「頼み事」すらしたことがないという女性たちが、「生きるため」にギリギリの選択を強いられる、その2日間の物語は、僕が「男である」という要素とも混じり合って、喉元にナイフを突きつけられ続けているかのような緊迫感に放り込まれる体験だった。

まずは、ざっと内容に触れておこう。

自給自足で生活するとある宗教コミュニティで、「寝ている間に女性が暴行される」という事件が頻発する。女性たちは、朝目覚めると、局部から血が流れていることに気づく。暴行によって妊娠する者もおり、そのまま自殺してしまう者もいた。
男たちは「幽霊」や「悪魔」の仕業だと言って取り合わなかったが、ある時被害女性の1人が犯人の1人を目撃、その男から仲間の名前も自白させ、事件が明るみになった。馬用の鎮静剤を打って犯行を続けていたらしい。
犯人は街へと連れていかれ、その後、保釈金の支払いのために村の男たちが街へと出払った。村の女たちの目の前には、3つの選択肢があった。「何もしない」「残って闘う」「出ていく」。文字の読めない女性たちは、投票のやり方を即席で学び、3つの選択肢のいずれかを選ぶことになった。
その結果、「残って闘う」と「出ていく」が同数になる。女性たちの総意を決するために、3家族計11人の女性たちと、以前村から追放され先ごろ村へと戻ってきた教師(文字が書けるという理由で書記を任された)の12人で話し合いが行われた。
期限は、男たちが村を出ている2日間……。

さて、先ほども触れたが、彼女たちが住んでいるのが「閉鎖的な宗教コミュニティ」であるという事実が、状況をややこしくしている。調べてみると、この物語の元となった事件において、その宗教コミュニティが信仰していた宗教は、「男尊女卑」を良しとする考え方があるのだそうだ。だから村では、男にしか教育を与えず、女は読み書きが出来ない。「女は男に従属する存在である」という考えが、女性の中にも「澱」のように淀んでしまっている環境であり、だからこそ、「被害を受けた女性同士」でさえ、議論がまとまらない。先に紹介した、「男たちを赦さないと天国での居場所を失う」という発言も、男たちがそう言いくるめることで女性たちを従属させていると考えるべきだろう。

正直、これほどの環境は、それなりに文明化された国のごく一般的な社会ではなかなか存在しないだろう……と思うのだが、いやそうでもないか、と思い直す。アメリカの黒人差別や、日本の部落差別などは、この「宗教コミュニティ」で描かれる現実と大差ないかもしれない。

女性たちの議論は、当然紛糾する。当たり前だ。「残って闘う」にせよ「出ていく」にせよ、彼女たちを取り巻く状況はそれまでと激変することは間違いないからだ。「残って闘う」場合、今までほんの僅かな頼み事さえしたことがないのに本当に「闘う」なんてことが出来るのか。「出ていく」場合、この「宗教コミュニティ」でしか暮らしたことがなく、地図さえ見たことがない自分たちが、一体どこに行けるというのか。また、「出ていく」場合、愛する者との別れを意味することになる者もいる。そうしてまで、この村を離れるべきなのか。

どうしてこの3家族が、女たちの決断を左右する議論に選ばれたのかはよく分からないが、同じ家族内でも決して意見が共通ということはなく、「とてもまとまるとは思えない」という状況のまま進んでいく。「自身も被害者である」という感情的な辛さや、「自分の子供を絶対に被害者にはしたくない」という強い決意、そして「いずれの決断を行うにしても、その先の生活が不安だ」という葛藤。参加者一人一人がこのような「相反する内情」を抱えながら、さらに個々人に対する鬱憤や売り言葉に買い言葉と言った感じのやり取り、議論の本筋とは関係ないが言わずにはいられないと言った感じの吐露など、なかなか議論は進まない。

そういう紆余曲折を経た議論がどんな着地を迎えるのか。なかなか見ごたえがある物語だと思う。

個人的には、僕が男だからということもあるだろうが、書記のオーガストが印象的だった。彼も元々この村に住んでいたはずだが、母親が村の方針に異を唱えるようになり、家族もろとも追放されてしまった。しかしその後、大学を出たオーガストは、村で少年たちの教育を行う教師をして戻ってきた。ただ恐らく、「かつて追放された家の男」というレッテルがあるのだろう、男たちが総出で街へと出ているのに、オーガストだけが村に残っている。それで、彼に書記の役目が回ってきた、というわけだ。

オーガストの立場はなかなかややこしい。なにせ村の女たちが「村の男に対してどういう態度を取るか」を決する場に居合わせているのだ。彼自身は最近村に戻ってきたこともあり、レイプ事件とは無関係だが、やはり「男である」という属性は消せない。オーガストは、彼なりに議論に関わろうとする場面もあるのだが、気が立った参加者の女性から、「お前は書記だけやってりゃいいんだよ、口出すな(意訳)」みたいな言われ方をしてしまう。

面白いのが、オーガストが「そういう扱われ方を吸収できるような存在感」を放っているということだろう。なんとなくだが、そういう扱われ方をされるオーガストが「あまり可愛そうに見えない」ところが、この物語のバランスになっている気がする。どうしても「議論をしている女性たち」の輪にするっと入れはしないが、それでいて「排除されている」という風にもならない佇まいが絶妙だったなと思う。

あと、もう1つ印象的だったのが、「『こと』を語る言葉がない」という表現だ。これも初めはちょっと意味が分からなかったのだが、村が「閉鎖的な宗教コミュニティ」であることを考えれば理解できるようになる。

要するに、少なくとも女性たちは「レイプ」という言葉の存在を知らない、ということだと思う。外界から隔離され、村の中だけで生活しているのであれば、そういうこともあり得るだろう。

映画の中では、「言葉がないから、沈黙するしかない」というような表現もあった。確かに、僕らは当たり前のように「レイプ」という言葉・概念を知っているし、だからそういう状況に直面した時に、その状況を的確に表現する言葉を使って訴えることが出来る。しかし、「こと」を指す言葉が無ければ、声を上げることも出来ない。また、「言葉が無い」という状況は、「その概念が共通理解として存在しない」ということを意味する。これは、村の男たちによる犯行であることが発覚する以前は、女性たちが共闘しにくかったことを意味するだろう。「幽霊」「悪霊」の仕業という説明で押し切られてしまうことも仕方なかったかもしれない。

ある人物が、「私たちには3つの権利がある」と言った後、その内の1つに「考える権利」を挙げていた。そしてやはり、知れば知るほど、より考えることが出来るようになる。「レイプ」という言葉が存在しない世界ではレイプについて考えることが難しいように、知らない言葉・概念について考えを巡らせることは困難だ。

映画で描かれる村では、恐らく男たちが意図的に女性を「無学」にさせているので仕方ない部分はあるが、いくらでも学べる環境がある僕たちは、やはり「学ぶこと」から遠ざかってはいけないのだと改めて実感させられた。

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