【映画】「モナ・リザアンドザブラッドムーン」感想・レビュー・解説

いやー、これは面白かった!ここまで清々しく冒頭から「意味不明」だと、「もうちょっと説明してくれよ」なんて感じるヒマもないって感じがした。

まずは内容についてざっと紹介しておこう。

とある精神病院のさらにその奥、厳重に鍵が掛けられた向こう側の「特別警戒区域」に収容されているアジア系の少女。彼女は拘禁服を着せられ、ベッドぐらいしかない部屋の中で何をするでもなく過ごしている。後に分かることではあるが、モナ・リザ・リーという名前の韓国人であり、10歳からこの精神病院にいるという。

ガムを噛みながらモナ・リザの部屋にやってきた女性職員は、モナ・リザの足の爪を切り始める。「調子はどう? バカ」「お前の爪を切って得た金でネイルにいくんだ」と、彼女のことを雑に扱っていく。しかし、モナ・リザが女性職員と目を合わせると、不思議なことが起こる。なんと、爪切りを持っていたその職員が、モナ・リザの首の動きに合わせるように、自ら爪切りを太ももに突き立てていくのだ。助けてくれと懇願する職員に、「拘禁服を解け」と命じ、モナ・リザはあっさりと精神病院を抜け出す。その日は、満月だった。

10歳から精神病院にいた彼女には、社会のことはほとんど理解できないのだが、夜の街にいたちょっとアブナそうな若者から靴や食べ物、Tシャツなんかを手に入れながら、彼女はフラフラとどこかへ向かう。そして、通りかかったハンバーガーショップで、突然覚醒した自身の能力を駆使して人助けをし、ハンバーガーを奢ってもらう。

ハンバーガーを奢ったのは、ストリップ嬢として働くボニー・ベル。彼女はモナ・リザの特異な才能を使えば楽に金が手に入ると気付き、彼女をしばらく家に住まわせることにする。そこで、ボニーの幼い息子チャーリーと出会う。

一方、酔っぱらいの相手に駆り出されたハロルド巡査は、その時にたまたま見かけた少女を保護しようと追いかけていた。しかし、安全のための手錠を掛けようとすると、突然巡査は自ら拳銃を抜き、自ら膝に発砲した。もちろん、モナ・リザの仕業である。ハロルドは大怪我を負い杖をつきながらも、この危険な「悪魔」を追い詰めるべく捜査を開始する……。

というような話です。

いやー、素晴らしかった。ホント、設定がハチャメチャで、結局「モナ・リザがどうして覚醒したのか」「彼女は何故超能力のような力を持っているのか」みたいな説明は一切されない。普通の物語だと、そういう「投げっぱなし」の感じでは上手く成立しない印象があるのだけど、本作の場合は「ンなことどうでもいい!」ってなる感じがある。そして、その要素を一手に引き受けているのが、モナ・リザを演じたチョン・ジョンソだと思う。

とにかく彼女の存在感が半端ない。「統合失調症のため、10歳から精神病院に入院している」という、かなり難しい役柄だと思うのだけど、「まさにそういう人なんだろうな」というような雰囲気で存在している。精神病院の職員が「生きた死人みたい」というぐらい、当初は感情らしい感情もないのだが、しばらくして、人と喋ったり、テレビでニュースを観たりすることで知識や価値観が増えて、ちょっとずつ人間っぽくなっていく。その過程もとても魅力的である。

モナ・リザは、本当に「何を考えているんだか分からない」という佇まいを最後の最後まで見せるのだが、そう感じさせる演技がとにかくずば抜けて上手かった。

しかも、この映画の場合、「モナ・リザ役がアジア人である」という点はとても重要だと感じた。上手くは説明できないのだが、仮にモナ・リザ役が白人だったら、悪い意味で大分違う印象になったと思う。黒人でもハマったかもしれないが、しかしアジア系の方が、モナ・リザが醸し出す「ミステリアス感」をより強く見せられるように思う。それを、同じアジア人である僕が感じるというのもおかしな話だが、でもそんな気がするのだ。

この「『モナ・リザ役がアジア人である』という点が重要」という要素は、作品にとって大きな意味を持つと思う。この説明のためにまず、僕が「ポリティカル・コレクトネス」に対して抱いてしまう違和感について触れよう。

映画の感想の中で度々書くことではあるのだけど、最近特に、「この作品はちゃんとポリコレを意識していますよ」とあからさまに訴えかけるような設定・配役が増えたように感じる。もちろんそれは、僕が過剰に受け取り過ぎているだけかもしれないが、特に欧米の主に白人が出てくる映画の場合、アジア系や黒人を満遍なく配置するような”配慮”がなされているように感じられるのだ。恐らくそれは、時代の流れの中でそうしないと批判されるとか、あるいはアカデミー賞争いに絡めないなど、色んな理由があるのだと思う。

ただ、そういうこと関係なく観ている側としては、「そういう”配慮”ってうぜーんだよなぁ」と感じてしまうこともある。というか、僕はよくそんな風に感じる。

ただ、本作の場合、モナ・リザ役にアジア系を配するというのがあまりにもハマっていると僕は感じたので、そういうポリコレ的要素を感じることはなかった。そういう風に感じさせるのは、作品にとってはとてもプラスであるように思う。

また、ポリコレとは関係ないのだけど話の流れでいうと、本作でちょっと皮肉的に面白いのは、「モナ・リザを助ける者の多くが、社会のはみ出し者である」という点だろう。恐らく、この点は結構意識して作られているように思う。

例えば、病院を抜け出してすぐ出会った、夜道で酒を飲んでいた若者3人は、裸足だったモナ・リザに靴をくれた。コンビニ的な店の脇でたむろしていた若者たちの1人は、お金を持っていないモナ・リザの代わりに支払いをしてくれ、またほとんど奪ったようなものだが、Tシャツもくれた。「助けた」という表現が適切なのか分からないが、モナ・リザを家に住まわせることにしたボニーは、ストリップ劇場の中でも嫌われているようなはみ出しっぷりである。

モナ・リザには善悪や良し悪しの価値基準がないため、人を見た目で判断するみたいな偏見がまったくない。だから、何らかの形で関わる人たちを結構信頼して、すっと入り込んでしまう。

ただ一方で、「長い間自分を拘束し続けた精神病院」を連想させる状況には強く拒絶反応を示してしまう。彼女にとって、唯一「悪」と判断する基準と言えるだろう。だから、普通は市民を守ったり助けたりする警察が、モナ・リザにとっては「悪」に映る。手錠で拘束しようとするからだ。

このように、モナ・リザの視点で物語を捉えると、善悪の判断があっさりと歪んでいく感じがとても面白い。モナ・リザにとっては「普通」という感覚がなさすぎるが故に、直面する状況に対する価値判断が僕らのものと大きく異なるし、しかしそういう判断や振る舞いをほぼ無表情のまま当然のように突き進んでいく感じがめちゃくちゃクールで良いのだ。

モナ・リザは、普通の価値基準を持たないから、普通に考えたら危ない状況にも躊躇なく踏み込んでいく。もちろん、彼女の場合最終的に、持ってる特殊能力で状況をどうにか出来てしまうから出来ることだとも言えるのだけど、でも映画を観ながら、「彼女みたいに偏見を持たずに、ほぼノールックで他人や状況と関われたら平和かもしれないな」と思ったりもした。物語の中では、モナ・リザは「状況を混沌とさせていく悪魔」みたいな描かれ方がなされるのだけど、見方を変えれば「世界を平和に導く天使」みたいにも感じられると思う。

映画の最後、空港でのシーンは、ちょっとなんとも言えない感じがしたなぁ。チャーリーのある決断には割と色んな捉え方があって、観る人によって受け取り方が変わりそう。僕は「モナ・リザのためにやった」と受け取っているけど、「怖くなったのを誤魔化した」みたいな解釈も可能だろう。これもまた、モナ・リザが何を考えているのか分からないが故の揺らぎみたいなものだが、随所にそういう場面が散りばめられていてとても良かった。

しかしホント、チョン・ジョンソが抜群だったなぁ。何が起こるのか分からないストーリーそのものももちろん面白かったけど、やっぱり、どう考えても現実離れしたモナ・リザという存在をリアルなものとして感じさせたチョン・ジョンソの佇まいと演技力に圧倒されてしまった。いやはや、お見事。

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