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【本】ジョン・ブロックマン編「天才科学者はこう考える 読むだけで頭がよくなる151の視点」感想・レビュー・解説

本書には、著者が151人いる。

ジョン・ブロックマンというのは、著作権エージェントだ。彼は1981年に「リアリティ・クラブ」を創設する。「ポストカード工業化時代のテーマを探ろうとする人々」を、中華料理店や博物館、投資銀行の役員室、誰かのリビングなど様々な場所に集め、知的なやり取りをしていたという。

1997年に「リアリティ・クラブ」はオンライン化し、「エッジ」という名前になった。「エッジ」は、一流の研究者・思想家のみが入会を許され、現代の「知的ホットスポット」となっている。本書の「はじめに」で、デイヴィッド・ブルックス(ニューヨーク・タイムズ紙コラムニスト)は、こんなふうに書いている。

【大学など専門の研究機関の存在はとても重要である。あくまでそれが科学研究の基盤となる。体系的で信頼のおける研究は、専門の機関なしでは成り立たないだろう。しかし、専門分野に特化するあまり、現実の世界との関わりが希薄になってしまう恐れもある。(中略)知の世界を活気づけたいと思えば、誰かが研究者たちを専門分野の囲いのなかから外へ引っ張り出さなくてはいけない。それをしたのがブロックマンだった。彼はそのためにエッジ財団を設立した】

つまり、この「エッジ」でやり取りされていることは、科学・思想の最前線だ、ということだ。

本書は、そんな「エッジ」のメンバーに対して出題されたお題(毎年の記念号で問いを投げかけるのだという)の151名分の回答集である。そのお題とは、

『人々の認知能力を向上させうる科学的な概念は何か?』

である。これに対する回答は様々だ。目次から、各執筆者のタイトルで気になるものをいくつか抜き出してみよう。

【地球に似た惑星は数十万もある―地球外生命体の存在(J・クレイグ・ヴェンター)】


【ブラックホールのなかで情報収集はできない―思考実験(ジノ・セグレマン)】


【iPadを使ってコンテンツを作る人が少ない理由―メディアとテクノロジーに潜むバイアス(ダグラス・ラシュコフ)】


【クモに噛まれて死ぬ人は1億人にひとりもいない―確率計算能力の上げ方(ギャレット・リージ)】


【オックスフォードの学生の90%が間違えた論理クイズ―優れた思考法の共通点(リチャード・ニスベット)】


【イタリアに行くと身振り手振りが大げさになる―脳のなかの無数の「自分」(ダグラス・TR・ケンリック)】


【人間の一生は何秒?―10のべき乗(テレンス・セジュノスキー)】


【なぜ「赤ずきんちゃん」は正確に語り継がれるのか―文化的アトラクター(ダン・スペルベル)】


【人は鉛筆の作り方さえも知らない―集団的知性(マット・リドレー)】


【プロレスの観客はリアリズムを求めていない―ケーファイ(エリック・ワインスタイン)】


【なぜ自爆テロリストは男性ばかりなのか―性選択(デヴィッド・M・バス)】

メンバーには、科学者や大学教授などが多いので、やはり科学・哲学・テクノロジー・思想などの話が多い。しかしメンバーには、記者や建築家、ブロガー、芸術家など様々なタイプの人がいるので、学問的な高度な話ばかりでもない。書かれていることすべてが面白いとは思わないが、知らなかった知識、発想したことのない見方、意外な罠など、知ってよかったと思える話も多かった。各人に分量の制約は設けられなかったようで、長い人もいれば短い人もいる。

さてでは、本書を読んだ上で、僕としても多くの人に知ってほしいと感じたことをまず取り上げよう。それらは、知識や考え方としては本書を読む前から大体知っていたけど、世間的には知られていないし、知らないことがマイナスになるなぁ、と僕自身感じることである。それは、「科学の捉え方」「リスクの評価と確率」「相関関係」の3つだ。

「科学の捉え方」については、多くの人が触れている。いくつか抜き出してみよう。

【科学は絶え間なく続く近似の連続であり、自分はそのなかの一部であると認識しているのである。彼らは皆、自分のしているのは現実の秘密の暴露ではなく、現実のモデルの構築だとわかっており、常に自分のしていることに確信の持てない状況を受け入れている。自分が今、立てている仮説は正しくないかもしれない、データと照らしたら謝っていると証明されるかもしれないと単に疑っているだけではない。絶えず真実に近づく努力をしながらも、絶対的な真実にたどりつくことは永遠にないと理解している】(キャサリン・シュルツ)

【「科学的に証明されている」という言い方をする人は多いが、実はこれは非常に害の大きい言い方である。まず言葉として矛盾している。科学にとって大切なのは、常に懐疑に対して扉を開けておくことだからだ。
科学においては、あらゆることを常に疑う必要がある。特に「当然」だと思うこと自体を疑う必要がある。そうするからこそ、私達は物事をより広く、深く知れる。
だから、優れた科学者は決して何かを「確信」したりはしない。むしろ、確信を持たない人間の出した結論のほうが、確信を持っている人間の結論よりも信頼できる。優れた科学者とは、より良い証拠が見つかった場合、あるいは誰かによって斬新な主張がなされた場合、即、それまでとは違った観点で問題を見直せる人だ。確信を持つことはまったく有用でないばかりか害悪になる。確信は信頼性を下げるだけだ。
確信を持たない市井を理解できる人は少ない。社会が愚かな方向に進んでしまいがちなのはそのせいであることが多い】(カルロ・ロヴェッリ)

【科学者は真実を追究するもの、真実を見つけ出すものと思われていることが多い。これは科学についてのよくある誤解だ。科学者は真実を探しているわけではない。
科学者はモデルを作り、それを検証するだけだ】(ニール・ガーシェンフェルド)

【科学は、誰かの誤りを証明したり、自分の絶対的な正しさを証明したりするものではない】(ニール・ガーシェンフェルド)

【まったく知らなかった事柄や事象を発見するのが科学なので、先行きが不透明なのは当然である。それはまったく弱点ではない。バグがあるのが仕様だ。予想を裏切られることは問題ではなく、科学を改良するチャンスの到来と言える】(ニール・ガーシェンフェルド)

【科学は暫定的なものなので、常に新たな証拠に照らして見直そうとする。権威に反抗的で、誰でも貢献できて、誰もが間違えていい。積極的に問題を試そうとし、不確かな結果しか得られなくても構わない。こうした特色のおかげで、科学的手法は物事について調べる方法として比類なきものとされている】(マーク・ヘンダーソン)

また本書ではある人物が、「自分が何をしているかわかっているのだとしたら、それは研究とは言えない」というアインシュタインの警句を紹介している。

多くの人が「科学」というものを捉え間違っていて、そのせいで科学と上手く接することが出来ていないと思う。「科学」という名のブラックボックスに何かを放り込めば白黒はっきりする、というイメージは間違いだし、科学で「正しい」とされたことが500年後もずっと正しいと信じるのも間違いだ。こういうことが理解できると、科学的な記述の真偽の判断や、科学者の発言を正しく捉える役に立つと思う。

また、この「科学」の捉え方に関しては、「不確実性」に言及する人も何人かいた。「不確実性」と聞くと、なんだか悪いものに聞こえるだろう。「確実ではない」ということだからだ。しかし、ローレンス・クラウスは、

【不確実性は科学にとって「核」と言ってもいいほど大切な要素である】

と書いている。

【使う数値が「正確」と言えるかどうかは、その数値をどう利用したいかによって変わる。たとえば、明日何時何分に日が昇るかを知りたいのであれば、先にあげた地球と太陽の距離の数値は十分に正確と言える。しかし、衛星を太陽より少しだけ上の軌道に送りたいなら、もっと正確な数値が必要だろう。不確実性が重要というのは、こういう理由からだ。何かを発言するとき、あるいは予測するとき、そこに不確実性がどの程度あるのか定量化できない限り、発言や予測の影響力、重要性をほとんど知ることはできない】(ローレンス・クラウス)

また、「不確実性」について科学者が一般の人に正しく伝えられていないせいで、こんなことも起こる。

【豚インフルエンザ、鳥インフルエンザ、遺伝子組換え作物、幹細胞…テーマが何であっても、一般の人たちのする議論は、科学者にとって心地よいものからはほど遠くなってしまう。科学の研究には失敗がつきものであるにもかかわらず、コミュニケーションの失敗のせいで、一般の人たちは科学者の失敗に極端に不寛容になる。たとえば、核移植の技術が「クローン」の技術だと理解されたせいで、研究が何年もの間停滞した】(オーブリー・デグレイ)

本書を読んで、「科学」というものの捉え方を見直してほしいと思う。

「リスクの評価と確率」の話も、非常に重要だ。そもそも、

【人間は元来、確率を理解するのが非常に苦手な生き物なのだと思う】(セス・ロイド)

と、セス・ロイドは書いている。だから、

【最先端の科学研究、テクノロジーにリスクと利益の両方があるとき、一般の人たちは不合理なほどにリスクに注目してしまう。これは、未知のものに対する恐れの感情が大きいためだろう。現状の変化によって利益と危険が生じるならば、変化を起こさないほうを選んで危険を避けようとする。】(オーブリー・デグレイ)

ということになる。しかし、

【この態度は長期的には良くない結果をもたらす。たとえリスクはあっても、変化を受け入れたほうが、長期的には生活の質が向上し、寿命も伸びるだろう】(オーブリー・デグレイ)

ということなのだ。

また、人間は、

【めったに経験しないが、経験すると感情を大きく動かされる出来事は、経験する確率を過大評価してしまう】(セス・ロイド)

という特性がある。福島第一原発事故の放射能、9.11のテロ、そして今世界中で蔓延しているコロナウイルス。もちろん、どれも「死」の危険はある。しかしでは、その可能性がどの程度高いのかということを客観的に判断できているかというと、なかなかそうはいかない。

アメリカでは9.11のテロ後、「テロ対策のため」という理由で様々なものが導入された。たとえば、アメリカの空港に導入された後方散乱X線検査装置などだ。しかしこれは、X線による健康被害があるのでは、という話も出ている。テロ対策のためにこの検査装置を導入することは、果たして合理的だろうか?

【空港での後方散乱X線検査装置の話に戻るが、テロリストによる攻撃で死に基準率は、私たちが日々ためらうことなく行っているさまざまな行動で死亡する確率よりも低い。ある調査によると、その基準率は、空港での検査装置を通ったせいでがんになる確率とほぼ同じだという】(キース・デブリン)

本書には具体的に書かれていないが、「私たちが日々ためらうことなく行っているさまざまな行動」というのは、例えば「歩道を歩く」などだ。交通事故による死亡確率の方が圧倒的に高い。また何かの本で読んだが、アメリカでは、銃で亡くなる子どもよりも、プールで溺れて亡くなる子どもの方が多いという。

もっと身近な話では、「クモに噛まれて死ぬ人は1億人にひとりもいない」がある。

【たとえば、クモを見たとき、私たちはどういう気持ちになるだろうか。恐怖心を抱く人は多いのではないか。恐れの程度は人によって違うが、だいたいの人は怖いと思うに違いない。しかし、考えてみてほしい。クモに噛まれて人が死ぬ確率はどのくらいだろうか。クモに噛まれて死ぬ人は平均して年に4人未満である。つまり1億人にひとりもいないということだ。
これくらい少ないと、怖がる意味はまずなく、怖がることが逆に害になってしまう。ストレスが原因の病気で亡くなる人は、年に何百万人、何千万人といるだろう。クモに噛まれる可能性、噛まれて死ぬ可能性は非常に低いが、クモを恐れたことによって生じたストレスはあなたの死亡確率を確実に上げてしまう】(ギャレット・リージ)

こういうことをきちんと理解し、確率的な捉え方が出来るようになれば、そこまで誤った行動を取ることはなくなるだろう。

【現代社会は安全対策に大枚をはたいているが、その真意は、リスクを減らすためではなく安心を得るためにある】(ロス・アンダーソン)

【「危険」は証明できても「安全」は証明できない】(トム・スタンデージ)

さて最後の「相関関係」だ。英語には、「相関関係は根拠ではない(Correlation Is Not A Cause)」の頭文字を撮ったシナク(CINAC)という言葉があるらしい。この話を核スーザン・ブラックモアは、相関関係と因果関係を混同する実例をいくつか書いている。「仮に、トマトケチャップを食べる量が多い子供の方がテストの成績が悪いという事実が明らかになったとしたらどんな原因が考えられるか」「仮に、占星術師や霊能者によく相談する人のほうが長生きするという事実が発見されたら、どんな原因が考えられるか」などを、講義で話すと、最初は見当違いの意見が噴出するという。ちなみに、前者は「貧しい家庭はジャンクフードを食べる機会が多い」、後者は「占いなどは女性の方が好きだから」となる。

ここで大事なのは、「相関関係」があってもそれが「因果関係」とは限らない、ということだ。「トマトケチャップ」と「テストの成績」に相関関係が発見されても、「テストの成績」の原因が「トマトケチャップ」である、ということが確定するわけではない。ここを混同すると、様々な誤解が生じうる。

頭の良い人でも間違える。正確には覚えていないが、日本のどこかの役所が、「朝食を食べると成績が良くなる」というキャンペーンを行った、という話を以前何かの本で読んだ記憶がある。実際に、「朝食を食べる子供の成績は良い」というデータは存在する。しかし、「朝食を食べるから成績が良い」わけではないのだ。朝食が当たり前に出てくる家庭は、子育てや家庭内の教育もきちんと行われる。一方、家庭環境が悪いとそもそも朝食は出ない。朝食を食べるかどうかではなく、朝食が出てくる家庭環境であるかどうかの違いなのだ。これも、覚えておくべき事柄だろう。

他にも、「収入がある一定以上に増えても、幸福度は同じようには上がらない」「インターネットの構造がひとりでに生まれたように、誰かがデザインしたような複雑な構造も勝手に生まれうる」「名前をつけると分かった気になる」「危機に直面するまで人間は動かない」などなど、知っておくと生き方や物の見方が変わる話は非常に多い。

個人的に興味深かった話は、「予測コーディング」「経路依存性」「ブラック・スワン」「カコノミクス」の4つだ。

「予測コーディング」は、脳が世界を捉える際の方法だ。以前は、外界から入ってくる情報を脳がつなぎ合わせて世界を認識する、と考えられていた。しかし今では、

【自分の周囲の世界を正しく認識するには、この先受け取るであろう感覚情報を的確に予測する必要がある】(アンディ・クラーク)

ということが分かっている。つまり、「これからこういう情報を受け取るだろう」と予測し、その予測と違った情報が入力された場合にエラー信号が出る、という。これによって、感覚器からの情報が正確なだけでは正しい世界認識が出来ない、ということが分かったのだ。予測がどれだけ適切かが重要なのだという。

「経路依存性」は、

【今当たり前、もしくは不可欠に思われているものの多くは、過去のどこかの時点で理にかなった選択として始まり、その後、その正当性が失われたにもかかわらず生き残っている事実を表す言葉】(ジョン・マクウォーター)

である。これではなんのことは理解しにくいだろうが、非常に分かりやすい例がある。キーボードの配列である。あの非論理的としか思えないキーボードn配列は、生み出された当初は合理的な理由があった。しかし機器の改良によって、その配列である必然性は早い段階で失われたという。しかし、一度定着してしまったものを変え、後戻りする余地はもうなかった。だからあの配列が定着しているという。言語の変化などは「経路依存性」でほとんど説明できるらしいが、書き手は、

【私に言わせれば、人生のほとんどは経路依存性で説明できる】(ジョン・マクウォーター)

と書いている。

「ブラック・スワン」というのは、

【普通はまず起こらず、極端に大きな衝撃を与え、沖田あとにしか予測できない事象のこと】(ビノッド・コースラ)

であるが、こういうものの存在をきちんと認識することで、時代遅れの社会通念に多額の資金をつぎ込むリスクを減らせると書き手はいう。「ブラック・スワン」は、いつどんなタイミングで起こるか分からないが、しかし起こることを前提に準備しておかないと、その「ブラック・スワン」によって衰退してしまうテクノロジーに投資することになってしまうかもしれない。

「カコノミクス」は、

【質の低い商品を渡す見返りに、質の低い商品の受け取りを実際に求める】(グロリア・オリッジ)

である。なんでこんな行動が成立するんだ?と、この文章だけ読むと感じるだろう。しかし、具体例を読むと非常に納得する。それはここでは触れないが(あまりにも非合理的な行動なので、納得感を与える形で短く説明するのは難しい)、確かに僕もそういう行動をしている、と感じる。こういう行動原理が存在するのだ、ということをきちんと理解しておくことも大事だろう。

というわけで、本書に書かれている内容のほんの一部にしか触れられなかったが、時代の最先端にいる天才たちが、「人々の認知能力を向上させうる科学的な概念」を151個も提示してくれる作品だ。まさに「読むだけで頭がよくなる」一冊と言えるだろう。


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