【映画】「ザ・レッド・チャペル」感想・レビュー・解説

やっぱり、マッツ・ブリュガーって監督、ぶっ飛んでるんだな。『誰がハマーショルドを殺したか』も『THE MOLE』も異常な作品だったけど、この『ザ・レッド・チャペル』もとんでもない映画だった。

マッツと共に北朝鮮入りした、韓国系デンマーク人のヤコブが、マッツにこんなことを言う場面がある。

【君の良心が咎めないの?
良心の呵責は皆無なの?】

これに対してマッツは「北朝鮮に対してはない」と断言する。

ヤコブがどのような意図で「良心」の話を持ち出したのかは正直良くわからなかったが、マッツが受け取った通り「北朝鮮に対する良心」という意味であれば、確かに僕も「ない」と答えるかもしれない。

ただこれは、僕が日本人だからだろうとも思う。北朝鮮と否応無しに付き合わざるを得ない、そして、どうやっても良い関わり合いにはなりようがない日本からすれば、北朝鮮に対して「良心」を感じないことはさほど不思議ではない。

しかし、日本にいるとなかなか気づかないが、世界の「北朝鮮」に対する感覚は、日本のそれとは違うようだ。

世界で見れば、約80%の国が北朝鮮と国交がある。国交があるからと言って友好的とは限らないが、少なくとも日本やアメリカのように、国交を断絶はしていない。

以前観た『THE MOLE』という作品では、「デンマーク北朝鮮友好協会」という組織が登場する。その名の通り、デンマークに存在する北朝鮮と友好的な関係を持とうとする団体だ。さらに「KFA」という、世界規模の北朝鮮友好団体が存在する。

マッツは北朝鮮がどんな国なのか知っており、

【北朝鮮の邪悪さを世界に示せると思った】

という動機でこの映画の撮影に挑んでいる。

一方ヤコブは、当然北朝鮮に渡航するのは初めてであり、北朝鮮がどういう国であるかについて詳しく知らなかった。彼は北朝鮮で、

【耐えられない。
僕らにはなにも出来ない。僕は役立たずだ。
あんなウソっぱち、どうにも我慢ならない。
笑うフリをして、我慢し続けた。求められた役割を演じていただけだ。
あんなの、とても耐えられない】

と言って泣き叫ぶ。何を見たのか。それは、我々日本人には割とお馴染みの、「北朝鮮が歓迎の印として、張り付いたような笑顔で歌ったり踊ったりする様子」である。彼らは歓待され、様々な催し物を見ることになったが、ヤコブはその「異常さ」に恐怖して泣き叫んだのだ。

しかしだからといって、ヤコブは、北朝鮮の人たちが「邪悪」だとまで考えなかったのだろう。しかしヤコブはマッツから、

【君と僕の安全を確保するために、嘘をつかなければならないんだ】

と、幾度となく説得される。

そんな、「明らかに本心ではないことを口にして、良心が咎めないのか」という叫びが、ヤコブの内側から湧き出てしまったのだろう。

ヤコブのこの「良心」に関する追及から、日本と外国では「北朝鮮」をどう見るかという視点が異なるのだということを改めて実感させられた。

さて、ここまでの記述に疑問を抱いた人もいるかもしれない。

引用したような会話を、彼らは「北朝鮮国内」で行っている。北朝鮮では想像の通り、撮影された映像はすべて提出させられ、チェックを受ける。普通に考えれば、北朝鮮に知られたら一発アウトな会話を多数しているのに、彼らはどうして無事なのだろうか?

この辺り、実に巧妙というか、非常によくできている。そして、その「巧妙さ」の方にこそむしろ、マッツという人物の「良心の無さ」が透けて見えるように僕には感じられる。

まず非常に都合が良いのが、彼らが「デンマーク人」であり、母語が「デンマーク語」だということだ。もちろんマッツは英語を喋れるし、マッツ・ヤコブと共に北朝鮮に渡ったシモンも英語を話す。北朝鮮には、パクさんという通訳兼世話係兼監視役の女性がおり、その女性が英語を話すのでコミュニケーションは成り立つ。

さて、ヤコブは英語を話せない。しかも、「英語を話せない」というだけではない。彼は脳性マヒという障害を負っているのだ。ヤコブが話せるのはデンマーク語だけだが、仮に北朝鮮にデンマーク語を理解できる人物がいたとしても、ヤコブのデンマーク語は脳性マヒのせいで非常に聞き取りにくい。

ヤコブが何かマズいことを発しても、北朝鮮の人はそれを聞き取れない。マッツは、ヤコブのマズい発言を、適当に良い言葉に変えて翻訳して伝えている。

そんなわけで、ヤコブだけが北朝鮮国内で、自由に発言することが可能なのだ。

さらにヤコブの脳性マヒという障害を、マッツは上手く利用している。その説明のために、マッツがいかにして北朝鮮訪問を実現したのかに触れよう。

マッツは、ヤコブ・シモンという2人の「韓国系デンマーク人」のコメディアンのショーを行うという名目で北朝鮮入りした。ヤコブもシモンも共に、韓国で生まれながらデンマークに養子に出された人物である。

ヤコブとシモンは別にコメディアンというわけではなく、「権力者はコメディアンが好きだ」というマッツの発想から、即席でコメディアンの訓練を積んで北朝鮮入りした。

だからこそ当然、彼らのショーは非常にレベルが低い。そんなことは当然マッツも理解している。というか、レベルの低いショーを持ち込むことで、北朝鮮がどんな反応を示すのか見ようという意図もあるはずだ。

しかしマッツにも1点、気がかりな点はあった。それは、「レベルが低いからショーを取りやめよう」という結論になる可能性だ。彼らのショーは国立劇場で披露されることになっている。日本で言ったら帝国劇場のような場所だろうか。当然、一定以上のレベルが求められるはずだ。

しかし、川辺で彼らのリハーサルを見た北朝鮮側の人間は、渋い顔をしながらも、ショーの中止には言及しなかった。

その理由をマッツは2つ想像する。

1つは、彼らが「韓国系デンマーク人」であることが関係している。北朝鮮としては、「朝鮮からデンマークに養子に出された人物が、”南”ではなく”北”を選んで凱旋した」という点がアピールになると考えたのだろう、という推測だ。この点はショーの成否に関わると考えたのだろう、マッツは事あるごとに彼らを「デンマーク系朝鮮人」と紹介していた。

そしてもう1つの理由が、ヤコブの「脳性マヒ」だ。北朝鮮には、「障害者は生まれた時に殺す」とか「一生施設に閉じ込めておく」というような噂があるらしい。ヤコブを大切に扱っていることを示すことで、そんな疑惑を払拭できると考えたのだろう、とマッツは推測する。

もちろんマッツとしても、北朝鮮がそう判断すると踏んで「脳性マヒ」のヤコブを組み入れている。なかなかのメンタリティだと言っていいだろう。

さてヤコブは、世話係のパクさんから息子同然のように親切に扱われる。しかしそんなパクさんの態度に対してヤコブは、

【異常で薄気味悪い気分がする。息が詰まる思いだ。
全部この女性のせいだよ】

と、後ろにパクさんがいる状況で口にする。また別の場面では、こんなことも話していた。

【彼らがイカれてると感じるのは、僕に対して異常に親切であることだ。
でも僕にははっきり分かる。
彼らは心底、僕を軽蔑しているんだ】

普段から「障害を持つ存在」として他人からの視線に敏感だからこそ、他国の人の視線も理解できるのだろう。ヤコブと同じレベルで理解することは出来ていないだろうが、僕としてもこの映画を見ながら、表面上の振る舞いとは裏腹に、彼らはヤコブを「同類」とは扱っていないのだろうな、と感じさせられた。

映画の中では当然、彼らのショーの準備の場面が多く映し出される。そして、それだけを見ていても北朝鮮の「異常さ」が理解できる。

今回のショーを取り仕切る北朝鮮側の責任者(舞台監督)は、ヤコブとシモンがリハーサルで見せた内容をがらりと変えると提案する。提案というか、変えなければ上演させない、という意思だと言っていいだろう。というのも、北朝鮮入りする前の打ち合わせではショーに合わせて楽団が演奏するということになっていたが、当初彼らはリハーサルに現れなかったからだ。ショーのレベルが低いから、楽団を関わらせるのは止めよう、という判断だと誰もが受け取るだろう。

まあ、ショーのレベルが低いことはマッツら3人は承知していることだし、変更はやむを得ないかもしれない。しかし、北朝鮮による変更を、彼らは「支離滅裂で意味不明」と受け取った。しかも、イデオロギー的な主張は含めないという当初の約束をあっさり破り、「朝鮮は1つ」というようなセリフを入れ込む始末だ。

ヤコブもシモンも、北朝鮮による改変に当然納得せず、反対の声を挙げるのだが、マッツは要求を飲み、上演を実現させることに注力する。

このような展開に対し、マッツはこんな風に述懐している。

【北朝鮮にとっての「文化交流」とは、北朝鮮の文化を一方的に押し付けることなのだ】

改変された演目からは、デンマーク的な要素は一切廃されることとなり、ヤコブもシモンも、なんだか分からないまま舞台監督の指示する通りに演じることとなった。

さて彼らは、観光などもする。『THE MOLE』でも同じことを感じたが、この映画では、北朝鮮の日常風景が映し出されているのが凄い。もちろんすべて検閲済であり、北朝鮮が見せていいと判断したものに限られるわけだが、それにしても、普段なかなか映像で観る機会のない、北朝鮮の一般市民の様子が映し出されている。

まあ、「一般市民」と呼んでいいのかは難しいが。マッツはこんな風に言っている。

【平壌の市民は、現政権が用意した舞台上で演技をするエキストラだ】

なるほど、言い得て妙という感じだろう。また、こんな指摘をする場面もある。

【最高指導者を思って泣くことは、国民がつらさや悲しみを表現する唯一の手段だ】

歓迎のための踊りを披露してくれた、小学生か入学前に見える幼い女の子たちが、マッツらが去る際に手を振り続ける場面ではこんなナレーションが入る。

【この風景こそが、北朝鮮の日常と言っていいだろう。
恐怖からの拍手。
カメラが回り続ける限り、手を叩き続けるのだ】

「文化交流と称して北朝鮮に潜入し、その実像を映し出す」というマッツの思惑は、かなり上手くいったと言っていいだろう。

この映画の中心軸にはヤコブの存在があり、映画は、ヤコブの印象的な場面で終わる。その具体的な内容には触れないが、マッツの指示である内容の手紙を書きパクさんに渡す場面だ。それまでパクさんに対して様々な形で嫌悪感を示していたヤコブは、この場面で「助け舟」を出すのである。

それがどのような気持ちの変化によるものなのか、具体的には触れられていなかったが、北朝鮮にやってきた時とは違う実感を得られるようになったのだろうヤコブの変化が印象的だった。

しかしホント、とんでもない映画が存在するものだ。マッツ・ブリュガーはなかなかイカれてるし、それ以上に北朝鮮という国が輪をかけてイカれている。

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