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【本】結城浩「数学ガール ゲーデルの不完全性定理」感想・レビュー・解説

本書は、「数学ガール」「数学ガール フェルマーの最終定理」の続編で、「数学ガール」シリーズ第三弾になります。まずは登場人物の大枠の設定だけ書いておきましょう。
登場人物は主に四人。主人公の僕は高校二年生。数学が趣味で、学校の勉強以外にも個人的な興味から様々な分野の数学の勉強をしている。
同級生のミルカさん。数学の才媛。数学に関してはずば抜けた才能を持ち、常に数学について語らうメンバーを、予想もしなかった高みへと連れて行ってくれる。クールで常に冷静なんだけど、高所恐怖症と判明。ピアノの腕前もなかなかのもの。


一学年下のテトラちゃん。英語は大の得意なのだけど、数学は得意とは言い難い。それを克服しようとして、数学が得意だと噂の先輩(=僕)に数学を教えてくれるように話しかけてきて以来の関係。理解力は遅いかもしれないけど、理解するまで諦めない粘り強さと、理解してからの定着度は素晴らしいし、時々先輩をハッとさせるような質問をする。
従兄弟のユーリ。中学生で、よく僕の家に入り浸っている。お兄ちゃん(=僕)から数学を教わるのが好き。「~にゃ」みたいに猫っぽく喋る。論理的な話になるととにかく強い。


この三人はみんな主人公のことが好きなわけで、その微妙な恋愛っぷりみたいな部分も面白いんだけど、もちろん本書のメインは数学の話。
本書は、副題が「ゲーデルの不完全性定理」となっていて、もちろん最終的にはそこに辿りつくように出来ているんだけど、それ以外のいろんな話も出てくる。


初めに出てくる大きな話は、「ペアノの公理」というものだ。僕はこの定理の話は今まで知らなかったんで、本書で初めて知りました。ペアノの公理をとりあえず全部書きだしてみます。ちなみにこのペアノの公理は、村木先生という高校の数学の先生が出してくれたものだ。村木先生は、主人公やテトラちゃんに、数学をより深く理解するための問題を時々くれるのだ。

ペアノの公理

① 1は自然数である
② どんな自然数nに対しても、後続数n'は自然数である
③ どんな自然数nに対しても、n'≠1が成り立つ
④ どんな自然数m,nに対しても、m'=n'ならばm=nである
⑤ 自然数nに関する述語P(n)で、(a)と(b)が成り立つとする。
 (a) P(1)である
 (b) どんな自然数kに対しても、P(k)ならばP(k')である
 このとき、どんな自然数nに対しても、P(n)が成り立つ

このペアノの公理というのは、大雑把に言ってしまえば、自然数を定義する、みたいな感じのものだ。自然数なんて、「1,2,3,4…」なんだから、定義も何もないじゃないか、と思うかもしれないけど、そうじゃない。とりあえず自然数が「1,2,3,4…」という形をしているということを「知らないふり」をして、ペアノの公理からどんな風に自然数というものが導かれていくかを見ていくのだ。ペアノの公理は、ちゃんと読めば書いてあること自体はそこまで難しくはないんだけど、それでもこれだけの規則から、過不足なく自然数が定義できる、というのが面白いなと思いました。
その次は、大雑把に括ると、無限の話です。ここでもいろんな話が出てきます。
分かりやすいのは、「0.999999…=1」という話です。これは僕も時々人に話したりするネタだったりします。僕の場合の証明はこうなんです。

X=0.999999…と置く
10x=9.999999… 10倍する
(10x-x)=9.99999…-0.99999… 各辺を引く
9x=9
x=1
つまり
0.99999…=1

でも本書を読んで、今まではそういう計算上でしか捉えていなかったものを、別の角度から知ることが出来たなと思いました。
というか、どうも僕は解釈を間違えていたようですね。
本書によれば、こういうことのようです。

0.9、0.99、0.999、…と進んでいくと、この数列は『ある数』に近づいていく。
しかし、0.9、0.99、0.999、…と進んで行っても、その『ある和』は決して出てこない
だからそのある数を、とりあえず『0.9999…』と表記することに決めた。
『0.9999…』が表している数は1に等しい。

この話はユーリとしているんだけど、ユーリはこんな面白いことを言っています。

『この、「0.999…」という書き方が犯人だ。これ紛らわしいっ!
…あのね、数列を書くときってさ、
0.9、0.99、0.999、…
みたいに、最後にテンテン(…)付けて書くじゃん。だkら、0.9、0.99、0.999、と続けた先に、「0.999…」もいつか出てくるって、思ってたんだよ。でも、そうじゃないんだね。0.9、0.99、0.999の先に、0.999…は出てこない。0.999…なんて書くからまぎらわしいんだよ、まったく!♡とか書いてくれればいのにさ。

・0.9、0.99、0.999、…は、♡に限りなく近づく。
・そして、♡は1に等しい。

こんなふうに言ってくれれば、何も混乱しないのに』

なるほどと思いました。0.9、0.99、0.999、…という数列の先に、0.999…というのは出てこないんですね。僕も出てくるんだと思ってたんです。だから、おかしいなぁ、0.999…って1よりちょっと小さいよなぁ、でも計算上は0.999…と1って同じだよなぁ、とか思ってたんです。なんかすっきりしました。
あとは、自然数と平方数(自然数を二乗した数)はどちらの方が多いか(この『多いか』というのは正確な表現ではなくて、正確には一対一の対応が作れるか、みたいな感じなんだけど、まあイメージ的に)、みたいな話も出てきます。これ、前に別の本で読んだんだけど、自然数と平方数は一対一の対応が出来る、つまり個数が同じ(という表現はちょっと乱暴かもしれないけど)なんです。

同じような話で、対角線論法も出てきます。僕はこの対角線論法ってすごく好きなんです。たぶんきちんと理解しようと思えば、文系の人でも理解できると思うんですよ。だから時々人にこの話をしたりするんですけどね。
大雑把に言うと、実数と自然数はどちらの方が多いか(正確に言えば、実数全体の周豪は加算集合か否か)という話なんです。イメージとしては、小数や無理数まで含めたありとあらゆる数字(実数)と自然数だったらどっちの方が多いか、という問題です。これを、『実数の方が多い』と証明するために使われるのが対角線論法なんだけど、これは素晴らしい発想だと思うんですね。やってることはものすごく単純です。背理法の証明が理解できる人ならたぶん誰でも理解できると思う。それでも、この対角線論法を0から思いつける人というのはまずいないでしょう。カントールさんという無限についての研究をした数学者が考えたものなんですけど、これはお見事ですね。

また極限についての話も出てきます。僕は高校時代とか、極限とかって苦手でした。機械的な計算は出来るんですよ。limの計算とかは、やり方さえ覚えてしまえば式変形だけなんで、別に結構出来たんですけど、じゃあ極限というのは一体何なんだ、という部分をまったくきちんと理解していなかったんですね。本書では、極限というものを定義そのものからきちんと理解しようという話が出てきます。きちんと理解できているかどうかは分からないけど、少なくとも高校時代よくわからないまま機械的な計算をしていた頃よりは有意義な理解が出来たような気がします。
さて本書で最も重要な話は、形式的体系という部分でしょう。これは、直接的にゲーデルの不完全性定理の話に繋がっていきます。

この形式的体系の話は、読んで何となく理解できたつもりではあるんですけど、人に説明するのはすごく難しいですね。
とにかく、数学というものを、記号が持つ意味から離れて『形式的』に定義してみよう、という感じです。
僕らは例えば『+』という記号について意味を知っています。和を取る、ということですね。他にも、『2』という数字が意味するところも知っています。数学というのはこういう、意味を持つたくさんの記号によって成り立っているわけです。
しかし数学というのは、基礎から家を建てるみたいにして順番に作られて行ったわけではありません。様々な数学者が、様々な数学を発見し、関連付け、そうやって今の数学の体系が出来ているわけです。その過程で、いろんな記号に意味がつけられてきたわけです。
そこでヒルベルトさんっていう数学者が、とりあえず一旦意味をすべて取り去って、論理式という形式だけが与えられた状態で、限られた公理と推論規則のみによって定理を証明していく、というプログラムが提唱されたわけです。本書にあるような具体的な例を出さないで説明するのは難しいんですけど、そんな感じです。
イメージとしてはこんな感じかなぁ。例えばこれまで数学者は、オレンジの絵の具や水色の絵の具というのをそれぞれ独立で見つけ、それをいろんな場所で使いながら『数学』というキャンバスに絵を描いていたんですね。そこにヒルベルトという画家が現れて、一度赤・黄色・青の三色だけですべての色を作り出せるかやってみようじゃないか、と提案したんですね。そうやって、赤・黄色・青だけですべての色を作り出せれば、数学というのは無矛盾で完全だということを示せるんじゃないか、と期待したわけです。
で、それを打ち砕いたのがゲーデルさんなんです。今の比喩を使えば、ゲーデルさんがやったことはこんな感じになるかもしれません(間違ってるかもだけど)。
例えば、赤・黄色・青の三つの色を使った世界の中には、どうしても作りだせない色が存在する(その色をとりあえず○色としましょう)。でもその○色というのは、別の三色(例えばオレンジ・緑・黒としましょうか)を使った世界では生み出せますよ、という感じでしょうか(この色の比喩だと無矛盾についての説明が出来ないから不足だなぁと思いますけど)。

つまり、ある数学的体系(赤・黄色・青)の中には、真偽を言及することが出来ない命題(作りだせない色)が存在する。けどその命題(色)は、他の数学的体系(他の三色)では言及できるかもしれない、みたいな感じのことを示した、んだと思います、たぶん。実際、本書のラストで畳みかけるようにして書かれているゲーデルの不完全性定理の話は、さすがに僕には難しすぎて諦めたんで、ほとんど理解出来ているとは言えないんだけど、数式を追うのはほとんど不可能だったんだけど、一応何がやりたいのかという流れはなんとか追っていたつもりです。しかしホントすごいですね、ゲーデルさんは。
ゲーデルさんがやったことはいろんな点で凄いんでしょうけど、僕が理解できる範囲で凄いなと感じたのは、ゲーデル数についての話です。ゲーデル数というのは、論理式に使われる記号にある数字を当てはめ、それにある計算方法を当てはめることで導き出される数字のことです。つまり、論理式一つ一つに固有のゲーデル数を与えることが出来るわけです。素因数分解の一意性により、ゲーデル数から論理式を再構成することもできるわけです。ゲーデルさんはこのゲーデル数というものを駆使しながら不完全性定理の証明を行ったらしいんですけど、発想が凄いですよね。記号を数字に置き換えて一つの大きな数字にしてしまうなんて、とんでもないな、と思いました。
ゲーデルの不完全性定理についてはほとんど何をやっているのか理解できなかったんですけど、いつか時間のある時に時間を掛けてもう一度チャレンジしたいなと思います。

あと本書の中で気に入っているシーンを一つ。とある理由で主人公が落ち込んでいる時ミルカさんが掛ける言葉。

『きみには―すべての次元が見えているのかな
きみには、円周を回る点しか見えていない
きみには、螺旋が見えていない』

そういって励ますところがいいですね。ミルカさんらしい。要するに、三次元にいれば螺旋というのは認識できるけど、自分が二次元にいた場合、それは円周を回る点でしかない、ということですね。なるほど、という感じです。
というわけで、このシリーズはやっぱり素敵ですねぇ。メチャクチャ面白いです。内容的には、かなり難しいものからかなり易しいものまでいろんなものが含まれています。難しい部分については理系の人間でないとついていけないでしょうけど(僕は元々理系ですけど、でも本書のゲーデルの不完全性定理の話は難しすぎました)、易しい話については文系の人でも十分に楽しめる内容だと思います。まずは第一弾の「数学ガール」を読んでみてください。数学って面白いんだな、と思ってもらえれば嬉しいです。


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