【映画】「NOPE/ノープ」感想・レビュー・解説

面白かったが、期待は超えなかったかな、というのが正直な感想だ。

映画『NOPE/ノープ』の予告を観て、面白そうだなと思った。この時点で僕は、『ゲット・アウト』や『アス』の監督だとは分かっていなかったのだが、その後それを知って、「なるほどそれは観なければ」と思った。

『ゲット・アウト』はまったく意味不明な映画だったが、衝撃作であることは間違いないし、『アス』は『ゲット・アウト』よりも分かりやすく、やはり衝撃作だったからだ。

さて、映画は冒頭から、「何かが起こりそうな予感」満載で展開されていく。それが何かはさっぱり分からないが、何かが起こる、何かが起こるぞ……という風に煽られていくのだ。これは、『ゲット・アウト』や『アス』とは違うタイプの作品だと思う。『ゲット・アウト』や『アス』は、冒頭かなり早い段階から、「異常さ」が明確に描かれていく。しかし『NOPE/ノープ』では、「なんだか分からないが、嫌な予感がする」という描写がしばらくずっと続くのだ。僕の体感では、映画の半分を超えてもまだ、「予感」のままで終わっていたと思う。

こういう構成にする以上、その「何か」が何であるかによって、作品の受け取り方や評価が決まると言っていいだろう。とにかく、徹底して焦らされるのだから、そうなって当然だ。

そして僕には、その「何か」は、「メチャクチャ焦らした割には普通だな」という印象だった。これは、人によって受け取り方が異なるだろう。「おぉ!」となった人もいると思う。僕は、そっちのタイプではなかった。ある日本人作家(作家名を出すだけでちょっとネタバレになるかもと思うので伏せる)の作品に、同じではないが似たようなアイデアのものがあり、そういうこともあって僕にとっては「予想外の展開」とはならなかった。

そういう意味で、「期待は超えなかった」と感じた。つまり、「ジョーダン・ピール監督作にしては期待を超えない」というのではなく、「これだけ焦らしたにしては期待を超えない」という感想だ。

ただ、『ゲット・アウト』を観た時に感じたが、この監督はとにかく、あらゆる部分に「意図」を隠し込んでいる。『ゲット・アウト』は、表面上展開されるストーリーはまったく意味不明で、だから鑑賞後にネットで調べまくったのだが、暗喩や引用など、様々なモチーフを使うことで、「分かる人には分かる物語」になっていた。

と考えると、この『NOPE/ノープ』にしても、表面上だけではない「何か」があるのかもしれない。今この感想を書いている時点では、まだ何も調べていないので、その辺りのことは分からないが、「『何か』があるのではないか」と考えた時に気になる要素は2つある。

1つは、「映画撮影用の馬などを飼育する牧場を経営する一家が、世界初の映画で馬に載った騎手の子孫であり、ハリウッド唯一の黒人経営の牧場」という点だ。

映画の中で、主人公OJ(オースティス・ジュニア)の妹エメラルドが、この点について語っている。彼らが経営する牧場は「ヘイウッド・ハリウッド牧場」というのだが、「ヘイウッド」というのが彼らの「ひいひいじいちゃん」だそうである。そして彼は、「世界初と言われる、黒人が馬を駆る2秒間の映画で馬に乗っていた騎手」だというのだ。調べてみるとこの映画は『動く馬』というタイトルで、エドワード・マイブリッジが撮影した12枚の写真を連続で動かすものだったそうだ。その騎手がヘイウッドであり、自分たちはその子孫だと、彼らは語っている。

ジョーダン。ピール監督はこれまでも、「黒人」を取り巻く様々な問題を題材に映画を撮っており、本作の主人公OJを演じる役者も、『ゲット・アウト』と同じ人物だそうだ。この映画全体は、「黒人問題」を示唆するようなものには感じられないのだが、もしかしたらそういう何かが示唆されているのかもしれない。

あるいは、「黒人」というポイントではなく、「映画」とう要素にこそ焦点が当てられていると考えることもできるだろう。この感想では、作品のネタバレはしないのでぼやっと書くが、この映画では「無尽蔵に飲み込む」という部分が1つ重要なポイントとなってくる。

そして、穿った見方かもしれないが、これは、Netflixやアマゾンプライムなど、「配信」が主流になりつつある映画業界を暗喩していると捉えることも出来るかもしれない。「世界初の映画に関わった人物の子孫」と「無尽蔵に飲み込む」という組み合わせによって、「配信に押されている映画業界」を象徴させているのかもしれない。まあ、考えすぎか。

もう1つは、「ゴーディ」に関するものだ。「ゴーディ」が何か説明はしないが、「あるテレビ番組」が関係するとだけ書いておこう。

正直、映画を観終わった時点では、この「ゴーディ」の話が全体としてどうつながるのか分からなかった。エンドロールを観ている間に色々考えたのだが、とりあえずの結論には達した。僕なりの解釈は、「テーマパーク経営者の動機に関係する」というものだ。

この映画は、主人公が馬の調教師であることもあって、「手懐ける」というキーワードも重要なものとなる。そしてこの「手懐ける」というのは、経営者であるリッキーにも関係してくるだろう。彼には彼なりの理屈があって「手懐けられる」と判断したのだろうし、その判断の遠因となっているのが「ゴーディ」だ、という解釈である。

まあ、その捉え方は1つの解釈としてそんなに外していないと思うが、それだけなんだろうか? とも思う。映画の中で、「ゴーディ」に関する描写はそう多くはないが、しかし全体の中でのインパクトはかなり大きい。それが、「リッキーの動機」にしか関係しないというのは、さすがに読み解きが浅いのではないかという気もする。

みたいな理解が、僕にとっては限界だ。というわけで、しばらく色んな人の考察を読んでみることにする。

https://www.eiganohimitsu.com/9526.html

個人的に一番良かったサイトが上記のもの。なるほどという感じ。ネタバレありなので鑑賞後に読んでください。

いくつか考察サイトを読んで納得したのが、「消費」と「搾取」というキーワードだ。なるほど、考えてみればそういう映画だと思う。特に、映画のキャッチコピーとして使われる「絶対に空を見てはいけない」は、なるほどそういう意味なのかという感じがした。つまりこれは、「消費のために、過激になりすぎるな」というメッセージを裏打ちしているというわけだ。なるほどなぁ。また、「ゴーディ」の話や、ハリウッド映画の撮影で使われる馬の調教師という設定が、「搾取」というキーワードで繋がっていくというのもなるほどと感じた。

しかしやっぱり、こういう考察が出来る人は凄いなと思う。

個人的に良かったなと思うのは、妹のエメラルドのエピソードだ。彼女は、9歳の誕生日に「Gジャン」という名の馬の調教を始める予定だったのだが、その直前に「Gジャン」は売られた(んだか、撮影のために使わなきゃいけなかったんだか)で、結局調教は延期になった。エメラルドは、父親が長男のOJばかり目を掛けて、自分が蔑ろにされていたことを根に持っている。

そして物語の後半、再び「Gジャン」が登場するのだが、物語のラストの展開に、「調教したいと思っていて出来なかったエメラルドの悔しさ」みたいなものが払拭されたのではないかと感じさせられた。「調教」とはまた少し違うかもしれないが、最後のエメラルドの奮闘は、9歳の頃の悔しかった自分の感覚を吹き飛ばすような展開だったと思う。

っていうかラスト、テーマパークのあれやこれやが、まさかあんな風に機能するとはという驚きがあったなぁ。特に、硬貨を入れて動作するアレが、まさかあんな風に役立つとは。冒頭からずっと焦らされていた「何か」の正体が明らかになった場面からしばらく続く「恐怖映像」より、彼らが明らかに無謀な挑戦を決断してからの闘いっぷりが実に良かった。途中メチャクチャ怖いシーンもあるのに、ラストは「マヌケ」と言いたくなるようなおかしさがある。彼らは真剣そのものなのだけど、その真剣さが不思議な「おかしみ」を生み出しているのだ。

しかし、あの手回しのカメラを回してたオッサンは、一体何をしたかったんだろうか? それが不思議である。

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